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ピントを合わせる【甲本ヒロトのことば】

先週の土曜日、「まつもtoなかい」という松ちゃんと中居くんの特番に私のヒーロー、甲本ヒロトが出た。
ネットでは「ヒロトさん」という言葉が並んでいて、驚いた。ヒロトはヒロトだったのに、もういまや「さん」付けされるカリスマアーティスト人間なのかとびっくりしたのだ。私はと言うと、中学の時に友と2人で彼を私たちの永遠の恋人と決めたため、ヒロトをヒロトくんと呼んで生きてきた。ヒロトくんは57歳らしく年老いていたが、かっこいいままだった。スタイルも最高。
そして、今のヒロトくんの話すことばも、やはりすべて美しい詩のようだった。
余談だが、松ちゃんに対しては私の初恋の人だという想いがあるが(恋はいくつあってもいい)、今の彼にはガッカリさせられることも多く(初恋は実らない方が良い)、ヒロトくんとの格の違いというか、対談する相手としては物足りなさを感じてしまった、あの松ちゃんですら。
中居くん、菅田将暉については(四人での対談だった)、ここで語るまでもないので省略。

あと、もちろん当然のこととして、マーシーも私のヒーローだけどここでは省略。
(ヒロトくんのことを好きな菅田将暉と松ちゃんが挙げた好きな曲の「青空」も「夢」もどっちも、いやそれヒロトくんの曲ちゃうし、マーシー作詞作曲やから!とTVにつっこんだ。もちろん私もどっちも好きやけどな。)


ヒロトくんはこう語った。

おんなじ世界にいるから、
おんなじものを見てるはずだし
おんなじものを聞いている。
でもおもしろいもんで、
同じ場所にいて同じ方向を向いているからって
同じものが見えているとは限らない
同じものを見てるようでピントが合う場所が違う
僕は、中一でロックにピシッとピントが合った

ああ、分かる。
同じように時を過ごしても、思い出の残り方が全然違う人もいる。
例えば同じようにスペインを旅しても、スペインの食にピントが合う人もいれば、自然、建築物、スペインの人々などにピントが合う人もいるし、ガウディにロックオンする人もいれば、グアポなイケメンエスパニョールにロックオンする人もいる。私は広いスペインの中でも、カミーノ・デ・サンティアゴという巡礼路、一本の道にピシッとピントが合った。
どこにピントを合わせるかを自分で選べるのがいいし、いやむしろ自分で選ぶというのを超えて、自分の体にズキュンと撃たれる感じもあるなぁと、ヒロトくんの言葉を聞いてて頷いていた。
ヒロトくんは、中学1年の時に、ラジオから流れてくる60年代のイギリスのロックが流れている部屋で、何故だか分からないけど畳をかきむしりながら号泣してしまい、原因を探した時に「まさかこの音?」と気づいた。

もう一回そんな感じになりたかった。
あれが多分感動だと思う。

「あれが多分感動だと思う。」
ああ、この人はなんて素敵なんだろう、と惚れ惚れした。

歳をとると老眼になるっていうけど僕はなってない
その代わり、遠くがどんどんぼやける
でも、近いものを見たい
遠くのものは見えなくても大して影響ないから

そう言って生きられる人になりたいよ、ヒロトくん。
彼がただ視力について語っていても、そのことばは美しい。
音楽について中居くんに聞かれたヒロトくんはこう答えた。

(音楽作りについて)
作った本人は絶対こうだと思って作っていない
何となくバーンと作ってるし、聴く人に投げる
それをキャッチャーミットの中で受け取って
受け取った人がそこで見る
見るものはみんな違う
そこで完成されるから、それはもうみんなのもの

そして若いミュージシャンはみんないい、と言い切るところも優しい。ヒロトくんは絶対に若い人を否定しなかった。バカにしないし否定しない。誰1人傷つけない。格好いい。
唯一、ちょっとだけ最近の音楽について思うこととして次のように遠慮がちに話し始めた。

(今の音楽について思うこと?)
アナログ世代とデジタル世代と1箇所違うと感じるのは
歌詞を聞きすぎ
アナログの頃は、音で全部聴いてた
だから洋楽だろうが全部格好良かった
ロックは僕を元気にしてくれたけど、
元気付ける歌詞はひとつもなかった
(歌詞は)関係ない 
「no future」って歌ってる曲を聴いて、
「よし明日から学校行こう」って思えた
デジタルになると、
歌詞が情報として綺麗に入ってきちゃって 
歌詞を、文字を、追いすぎてる気がちょっとだけする
ちょっとだけね
(今の音楽は)ぼんやりしてない
ぼんやりしてると、どこに焦点を合わせるか、
ピントを合わすところを自分で合わせられる
ペランと1枚にされると、
みんなそれしか見えない

ああ、ヒロトくん。
ヒロトくんはやっぱりことばの人だなぁと思う。
ヒロトくんはことばを紡ぐ天才だから、「歌詞を追いすぎ」って言えるんだよ。感覚が研ぎ澄まされていて音楽を愛し過ぎているから、歌詞を追わずに感動できるし、矛盾しているようだけどそんなヒロトくんの書く歌詞が素晴らしいから人に感動を与えるんだと思う。
私も40代のアナログ人間だから、初めて出会う音楽は、ラジカセから流れてくるノイズだらけの音だったし、家族に静かにするように頼んでテレビにラジカセをあててカセットテープに録音して聴くものだったりラジオのDJが前奏中に曲名を言う声が邪魔だなぁと思いながらラジオを録音したものだった。
それからCDになって、歌詞カードを大切に読み込んだけど、ジャケ買いと呼ばれるジャケットのデザインが気に入って買ったりとかもしていたし、例えばデヴィッドボウイのCDジャケットの美しさに中学2年生の私は見惚れ続けていたし、例えばradioheadのCDアルバムの歌詞カードのデザイン、文字のフォントなどもそれ自体がアートで好きだった。歌詞カードの臭いを嗅ぐのも好きだったし(今は映画のパンフレットを開いて折り目のところを嗅ぐのが好きである)、手触りも記憶に残っているものもある。
受け取った側が何を好むかは、ヒロトくんの言う通り、確かに自由だった。
そんな私ですら、今はめっきりspotifyの申し子のようにそればっかりで聴いているし、気になったらすぐダウンロード、色気も工夫もないspotifyの歌詞を表示させて追いかけているが、CDの封を開ける時のあの頃のようなワクワク感はない。
ヒロトくんはもっとぼんやりと曖昧に、歌詞に意味を求め過ぎずに、と言いながら、彼のことばは、いつも私にシンプルに意味を持ってど真ん中に心臓ではなく心に刺さる。
文字じゃなくてことば。
はみだし者達のことばやメロディーが刺さり、ドブネズミに憧れ、誰1人傷つけない日曜日の使者に励まされ、いつでも14歳になるような音楽。

一発目の弾丸は眼球に命中 頭蓋骨を飛び越えて僕の胸に
二発目は鼓膜をつきやぶり やはり僕の胸に
それは僕の心臓ではなく それは僕の心に刺さった

それでもやっぱり、私はヒロトくんの旋律のようなことばを、これからも追いかけるなぁと思う。

追記:
美しいことばを放ち、やはり格が違うし素晴らしい人だと私の心を釘付けにさせておきながら、対談の最後に、スプーン曲げの人に会いたいと言ってよく分からん女の人をスタジオに呼んで、真面目にスプーン曲げに挑戦するところまでが、私のヒーロー、ヒロトくん、大好き。

十四才は私の歌。
リアルよりリアリティ。流れ星か路傍の石か。



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