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「CAR-T治療(アベクマ療法)その後と大学病院で聞けたお話!」

 先日、多発性骨髄腫(以降、当該疾病)の最新治療でもある「  アベクマ療法」を無事終了し現在自宅療養中であり、入院期間、24日と比較的早い退院となったがやはり足腰の弱りは否めず・・・(年のせいもあるが)

リハビリがてらカメラを持ち、近くの海辺をブラブラするが途端にこの暑さ!!

結局室内で寝ている我が家の「若大将」←(表現が古い)を撮影する羽目に・・・(トップの写真)

現在の状況と大学病院で先生からお聞きした話を是非、同じ疾患を持つ方にお伝えさせて頂きたい。

 




アベクマ治療後の経過

先ずは「アベクマ療法」の効果、がん細胞には強烈に効いており数字で表すと治療前には lgA 1654mg/dl まで上昇したいたが5月17日に治療後、5月27日には IgA 775mg/dl  まで低下し先日、6月19日の検査では IgA 77mg/dl まで低下。(私はIgA-k型 多発性骨髄腫)

この数値の変化はアベクマにより改良されたリンパ球が、自らがん細胞を発見・攻撃し、アメーバーのように細胞の量も増やしている状況である。

但し、この治療は自分のリンパ球を採取し、製薬会社の工場で当該疾病のガン細胞のみ攻撃するリンパ球に培養させる(これがアベクマ療法)ものであるため、がん細胞への効果は大きいが、例えば外部からの「コロナ」「インフルエンザ」「風邪」等、世に飛び回っている菌には攻撃性が無いのである。

副作用として通常の白血球がかなり減少しているため、外部の菌には無防備になっている状況で、今後の課題としては通常の白血球とアベクマのリンパ球(これも白血球の中にあるもの)の数値バランが重要である。

社会復帰の目安として、現状のアベクマ治療後1ヵ月の状態ではまだまだ白血球の数値は足りず、来週6月26日の外来にて再検査、7月3日ないし
10日を目途に再度検査し、早ければ7月8日から遅くとも7月16日頃には復帰の目途を付けたいと考えている。



アベクマ治療を振り返ると

  • 令和6年5月 7日  大学病院入院(全身のCT・脳検査・歯科検診迄実施)

  • 令和6年5月12日~14日   前治療の抗がん剤投与

  • 令和6年5月17日       CAR-T治療アベクマ療法実施

  • 令和6年5月30日       大学病院退院

  • 令和6年6月 5日       外来治療

  • 令和6年6月12日       外来治療

  • 令和6年6月19日       大学病院外来治療 

  • 令和6年6月26日       外来治療

  • 令和6年7月 3日       外来治療   

  • 令和6年7月16日頃      社会復帰予定

私の場合退院はかなり早いようで、通常だと後1週間は大学病院で入院となるようで、アベクマ治療後2ヵ月程で社会復帰を目指しているが、実際は治療後3ヵ月程の経過観察期間を検討しておいた方が無難なようである。

今後アベクマ治療を受けられる方は、このスケジュールを参考にして頂き多少余裕を持った治療計画を、担当医とご相談頂ければ幸いである。



大学病院で聞いた話!!

大学病院に入院したお陰で先生とも話す機会があり、お聞きしたところ当該疾病についてまだ完治する治療は確立されておらず、アベクマ療法を実施しても再発はまぬがれないとのこと。

しかし絶望的かと言えば決してそうでは無く、日々当該疾病の研究は進んでおり、私のような再発を繰り返す難治性の患者であっても「CAR-T治療」より進歩した研究も実現に向け、進められているとのことだ。

私も当該疾病が発覚した4年前から「骨髄腫家族会」に登録しており、当時の会報を見ると「CAR-T治療」も近年には実現化されるだろうとの見解がレポート記事に掲載されているが、すでに現時点で実施されている状況である。

30年前には不治の病と言われた疾患だが、このスピードで治療法が研究開発されているのだ。

アベクマ療法の場合、問題点とされていたリンパ球採取からアベクマ治療の実施期間が最低でも3ヵ月~4か月と言われており、この期間に病状が進む可能性が大きく懸念されていたが、私の場合リンパ球採取が令和6年3月8日、アベクマ治療が5月7日入院の後、5月17日アベクマ実施まで
約70日となっている。

この期間については、アベクマを製造する製薬会社工場のキャパシティーの問題であり、決して治療の難易度を示すものではないが、確実に短縮されている。



若い血液内科医に期待!!

当該疾病は希少で再発率が高い難病であるが、実際の話を聞くと治療・研究も進んでおり、大学病院には若くして血液内科専門医を目指している先生も多数おられる。

私の場合も3人の医師に担当して頂いたが、一番若い先生は30歳であった。

 他の国立大学医学部を卒業後、大阪の病院に就職しそこで働きながら血液内科専門医を目指し、大阪でも治療・研究が進んでいるこの大学病院の医局に入局し勉強と経験を積んでいるそうだ。

「先生の代で俺の病気も治るように頼むで!!」
と言うとちょっと照れた笑顔で「はい」と答えてくれた。

頼もしい限りである。


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