東京を歩き始める
2022年5月9日 カロク採訪記 瀬尾夏美
東北からふるさとに戻る
ついに東京を歩き始める。ついに、とあえて言う。
22歳からの11年間は東北にいて、この春、ふるさとである東京に戻ってきた。東北では、津波の後の沿岸部や台風被害に遭ったまちに通い、土地に根付いて生きる人びとの話を聞き、記録してきた。
もちろん、災禍の記憶だけではない。日々の暮らしについて、生業(田畑や山仕事の話などが印象深い)について、風景について、土着的な信仰や民話について、受け継がれてきた郷土の資料について。自分の行動範囲と自分自身が生きている時代だけが世界なのだと思っていたわたしにとって、彼らの語りは衝撃的で、うつくしかった。
彼らは日常会話の中で、人が表現をすることの根本にある強くしなやかな動機をごく自然に語り、それを実際に実行するために時間を割き、手を動かす。
たとえば。水に呑まれた人を弔うために花を手向ける。それでは足りないからと人びとは集まり、花を植える。風景の一部が色付いていれば、通りすがりの人だって、そこが特別な場所だと言うことに気づくことができる。
またたとえば。繰り返し水があふれる暴れ川。集落では避難訓練を繰り返すけれど、それだけでは危機感を共有できないからと、人びとは脈々と受け継がれた蛇の民話を語る。子どもたちは不思議そうな顔で聞き入り、頷いている。
弔いと伝承。表現の動機として、これほど強いものがあるだろうかとわたしは思う。そして、そのふたつは本質的に同じであるとも感じている。
東京で“伝承”は可能か
東京は全国から人が集まり、交わり、通過し、入れ替わるまちだ。そしてつねに激しい開発が繰り返されている。
風景が改変されると、人は過去を思い出しにくくなる。また。記憶を共有する人がいなくなってしまえば、それについて語り合えなくなる。それは、“伝承”にとって致命的なことであると感じている。
だけど、東京にだって記憶の地層がある。それを掘り起こしたい。いくつかの個人的な動機がある。何より、忘れ去られてはならない災禍の歴史があり、それに向き合う人びとがいるから。
慰霊碑を探す
1日目はNOOKのメンバー中村くんと礒崎さんと作戦会議。どこを歩けばいいのかわからなかったので、大島四丁目団地のカレー屋でゆっくりとお昼を食べる。パキスタン料理、インド料理のお店。美味しくてボリュームがすごい。
この団地は高度経済成長期に都市部に集中した人口を受け止めるために昭和43(1963)年に完成。少子高齢化など社会状況が変化し、現在は外国籍の人も多く暮らしているという。中国、韓国、パキスタン、インド。インドの人たちが江東区に住むのは、ガンジス川と隅田川が似ているからだそうな。ほんとかな。
東京大空襲・戦災資料センターが発行している「東京大空襲を歩く」を参考に歩く。いくつかの碑を探してみるも、道路が変わっていたりしてなかなか見つからない。
「戦災殉難者供養碑」があるというので妙久寺へ。碑の前には新しそうな花が手向けてあり、まわりには黒く焦げた墓石がある。入り口でお掃除をしていた方に声をかけてみると、「なぜあるかは詳しいことは知らないんです。だけど、手を合わせに来てくださる方は多いですよ。あっちの方にもいくつか戦争関係の碑があります」とのこと。
墓地を進むと、殉職した看護婦の碑があり、とくに花が多いのを見て、友人知人を亡くしたおばあさんが手を合わせに通っていたりするのだろうか…など想像する。
風景は重なる
また、妙久寺には俳人・石田波郷の句碑がある。
波郷は終戦の翌年1946年からおよそ12年間江東区に暮らし、焼け野原の情景を俳句に詠んだ(「焦土俳句」と呼ばれるらしい)という。わたし自身も震災の一年後に陸前高田に引っ越して、津波に攫われたまちで生きる人びとの語りをツイッター上に記録(と発信)してきたので、勝手にシンパシーを覚える。
「繁縷(ハコベラ)や 焦土の色の 雀ども」(石田波郷)
刻まれた句を読み、流されたまち跡に繁茂したクローバーを思い出す。
たとえまったく違う事象であっても、記憶の中の風景は重なる。その重なり、いくら慎重にあろうとしてさえも重なってしまうことにこそ、何かのヒントがあるような気がする。
焦土俳句という試み
「石田波郷記念館」が近くにあり、開館しているというので向かう。途中、砂町銀座の商店街がすばらしすぎて、お惣菜やら買う。
砂町文化センター内にある「石田波郷記念館」は思ったよりも広く、資料も充実していた。波郷が創刊した俳句の結社誌「鶴」はいまも発行されているとのこと。
図書館で波郷の「焦土俳句」をまとめた本がないか探したが、それだけに特化した本は見つからず。自分たちでまとめ直すのもいいかもねえ、などと話し合う。
お地蔵さんを送る会
帰り際、お地蔵様のほこらに張り紙がついているのを見つける。なんと、撤去されることが決まったので、町内会で「送る会」をするというものだった。しかも日程は今日の午前中。
またひとつ、古くからあるもの、長く同じ場所を見つめ続けてくれたものが、土地から剥がされてしまうのか。
悲しく、さみしく、なんだか情けないような感じもするけれど、こうして「送る会」を開催し、別れを惜しむ人びとの感覚に触れるとホッとする。
瀬尾夏美(アーティスト)
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