見出し画像

つい比較して落ち込ちこんでしまう時

今年の年末年始は、やっとこ実家に帰省して、親族で集まって過ごした人も多いのではないでしょうか。

コロナ禍で、なかなか会えなかった分、久々に子どもたちの元気な顔と成長を見せれるいい機会だったと思います。

集まれば同じ年頃の従兄弟たちと過ごす時間も多くあり、それぞれ、ひとまわりもふたまわりも成長して、感慨深い場面もあったかもしれません。

一方で、その集まりがちょっと辛いパパママもいるかもしれません。すっかり肩を落として戻ってきているママさんをみると、心がチクリと痛みます。

久々の再会は、軸を見失うと、親自身が他の子どもたちと比較して落ち込みやすい機会でもあります。

ほかの子ども達の成長が早かったり、褒められている様子をうけて、我が子がまだまだ足りてないと不安になったり、

ほかの子達が簡単にできている様子をみて、もっと教えなければと思ったり、

時には、その場の雰囲気を読んでしまい、我が子を不適切な方法で叱ってしまったり、

少しでも発達ハンディの要素がある子であれば、そこのところを全く理解されずに落ち込んだり。

もってのほかですが、親のせいのように言われるケースもあるかもしれません。

親自身が、自分と誰かと比較してしまい、落ち込んでしまう事も、、、。

心が痛くて悲しかったり、イライラした気持ちになってしまったら、いつものごとく、やはり、まず自分を癒して欲しいと思います。

こんな風に思われたい

そのように、人が持つ承認欲求自体は、本来健全なものなので、ちょっとくらい落ち込んでもいいんです。でも、そこからねじれることのないように、ほどなくして軸をしっかり取り戻し、また子どもが大好きなパパママに戻る事を意識しておく事が大切です。

パパママが落胆しつづけてしまったら、子どもは比較病の対象者になってしまっています。

どのみち子どもは、親が何か言わなくても、勝手に他者と自分との関わりの中で、自分の立ち位置を評価しながら成長していきます。

そんな時、1番大好きな両親の評価は自己肯定感にとんでもなく大きな影響を与えてしまいます。

こども自身が他者との間で、嬉しかったり悔しかったりしながら、自分自身で比較した評価は、どんなに他者より劣っていても、それを自分らしさとして自分を確立していく一方で、親がくだしたマイナス評価は、恐ろしいぐらい自己肯定感を下げ、自分らしさに変える事ができません。

(念のため、やってはいけない事をいけないと言うべきではないとか、なんでも認めるという事ではありません。)

親族は、親が親しみを持って接するほど、子どもからも他人より少し影響力が大きい存在としてうつりがちです。

親は、親族からの何気ない評価から、こどもの心を守る事ができる立場にいます。

親が、落胆している姿は、たとえ言葉を発しなくても、言葉と同じ衝撃波があります。自分はダメな子なのかなと、潜在意識にすり込んでしまいます。

おじいちゃんやおばあちゃん、おじさん、おばさんが、我が子以外の子を褒めていたら、そこは、称賛してニコニコしていたらいいんです。それ自体は、人の良いところ探しが出来るためにも、悪いことではありません。

それにくらべて、うちの子は、なんて、いちいち叱咤激励をやったり、落胆する必要なんてないとうことです。

もし、親族の誰かが、個性を認めてくれずに、誰かと比較するような事があったならば、誰がなんと言おうと、あなたが1番大好きと、伝えてあげる必要があります。

比較ベースで語られる場合、たいてい発している本人が過去に大なり小なり満たされなかったもの、望まなかったけれど受け入れてきた事を、正しい常識として変化させている事も多いのです。

親は、親族が発した比較評価の意図やからくりを、冷静によみとればいいのです。

もし、そこに愛情があるのにもかかわらず、誤解を招くだけになりそうな時は、言葉をそのまま受けとってしまわないように、紐解いて説明し、中和してあげるといいと思います。

愛あるしつけと、比較を伴う叱咤は別物です。

(悪意なき影響力については、時には、伝え方を変えてもらう勇気も必要です)

他人の言葉による比較評価から、力強く守れるのも、また親なのです。

そんな事は全くないよ、というご家族もたくさんいらっしゃると思います。親族だから貴重な意見をもらえている事もあるでしょう。たしかにその場所には、大きな課題はないと言えるかもしれません。

一方で、やはり、落ち込んで帰ってきてしまうママさんや、落ち込まざるを得ない環境下を持つ人も確かに存在しています。

そう捉えてしまうママも、そう捉えざるを得ないママも、自分を癒し、自分を確立する事ができれば、

どんな環境下でもぶれない自分軸によって、

そんな事は全くないよというワードを生み出すミラクルも必ず起こせます。

ここでひとつ。逆に、もし、褒めてもらった時は、あえて謙遜して、いやいや、まだまだ、なんて言わずに、ありがとう、よかったね、嬉しいね、と発する事も大切ですね。

どんなに不器用でも、大人が思うような行動が簡単にできなくても、できるまでの歩みをそっとサポートして、自ら頑張れる力と、愛し愛される心を育てる。

心が健全であることほど最強な事はありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?