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歩く方が得する

歩くと結局得をしている、
と最近思うようになりました。

というのは、歩くと、よく見える。

たとえば、
今、栽培している野菜や農作業の状態、
いいアイディア(支柱をうまく工夫しているところなど)、

でも良い面だけでなく、嫌な面も。
捨てられたゴミ、空き缶、

農薬散布の様子、
除草剤が撒かれたところ、など色々です。

よくも悪くも、全て見えるのは
いい。

もちろん、車でも見えるんだけど、
実はほとんど見えてない。

色々と見える。

それでも、やっぱり
植物や昆虫、
動物などの命ある存在に
目がいきます。



これって本能かもしれませんね。

そして、いつしかつい、
花や木々の色合いを見て、
写真をとってしまう。

あまり深入りするとまずい
面もありますが、

一眼レフで写真とるのも
いい世界だと思うように
なりました。

写真を撮る時って、植物をじっと
見るんですね。

気づかれないように、近づき、
何度も逃げられる。

そういえば、父親が
でかいリュックから

カメラを取り出していたのも
思い出します。

カメラが好きで、植物をとる。

植物が好きで、写真をとるようになる。

どちらも、結局は自然に
近づいて間近でみることには
変わりません。

一眼レフはファインダー(のぞき窓)で
ものを見ます。
レンズの種類で、見え方が
変わってきます。

どうでも良かった、ドングリでも
つい見てしまう。

農作業は遅れてしまいますが、

合間に楽しめることは
あるといいですね。

昔の古い一眼レフデジカメが
活躍してくれます。

高性能/高画質のは
たぶんいらない。

何かほわっとした、
温かみのあるような、強いていえば、フィルムカメラに近いくらいが
いいのかもしれません。

これまでは、スマートフォンで
写真をとってたのですが、

久々の一眼レフは
新鮮さがあっていいです。

最近はスマートフォンを持たずに出かける、
デジカメと農作業することが増えました。

一眼レフが相棒に
なりつつあります。

もちろん、農作業時に動植物の
観察はしていましたが、

今のちょっと古いデジカメが
思った以上に良い感じです。

マクロだと、対象を決めて、
背景や近くのものを
ボカすことができます。

その間、ああでもない、こうでもない、っと
よくわからない植物や昆虫を見るわけです。

オートフォーカスがマクロだと
迷う理由もなんと
なくわかってきますね。

また、ミノルタの一眼レフを
使っているのですが、

なんというか
温かみのある写真に
なっている気がします。


雑草の代表格とも言える、
嫌われ者のススキです。
見方を変えれば、写真撮影には
良いです。

光との相性もあって、
朝の植物はなかなかのもの。

まぁ、農家の人にとっては、
おそらくススキは嫌な存在。

草刈りといった、つまらんことを
思うのかもしれません。

実際に、いい感じで写真をとっていたススキも
無惨に切られています。

今まで、素通りしていたものであっても、
つい気になる植物もでてきます。

スマートフォンではこのようなことは
なかったんですね。

一眼レフのファインダーで見る世界って、
結構いいものです。

80年代のミノルタのレンズが活躍です。
田んぼでお米が実っていたから、
ミノルタを思い出し、
ミノルタ一眼レフという流れです。(名前の由来では一説あるらしいですね。)

そんなことはどうでもいいかも
しれませんが、
ミノルタは結構いいレンズを
過去にたくさん作っています。


葉っぱの模様も、何気に見てしまいます。
本当に、これまで、全く相手に
していなかった
野草を見てしまうんです。

外から見れば、変な人に
見えるかもしれません。

でも他人だし、まぁいいでしょう。


ススキをみて、遊べるようになれたのも、
一眼レフのおかげです。
セイタカアワダチソウなんて、まさに
最高のモデルなのですが、農家では嫌われています。
これも悲しいけど、現実です。


とりあえず、シャッター切る。
加工や修正はしない、一回きり。
そのうちにもっとレンズの良さを活かせられるかもしれません。
山に生えているユズです。
ワシのような、とても大きな鳥がいたのですが、間に合わず。
代わりに、空。
まぁそう滅多に現れずですが、まぁそれもありです。

歩くと、つい生き物をみてしまう。

いつしか写真を撮っていた。

写真のダメ出しはありますが、

普段の道でも
新鮮な気持ちで歩けます。

要は、楽しめたら
得した気分になります。

農作業、っていえば
面白みのない世界かもしれないけど、

写真や絵を描く、などあれば、
同じものをみても、
違う楽しみをしている。

写真を撮りに出かけよう、なんて
楽しみもでてきたのですが、

ふと思えば、普段歩いているところ、

山道などが、実は最高の
撮影場所だって
思いました。

まぁ、色々と嫌なことや
辛いことなども生きていると
あるものですが、

ちょっとでも好きになれること、
ついハマってしまうこと、
ってあった方がいいと思います。

そのついでの副産物のようなものが、
実は、運動になっています。

野菜作りも、気がつけば、
勝手に体を動かしている。

写真をとりに、
うろうろする。

気がつけば、何時間も歩いていた、
なんてことはよくあります。

足の筋肉はつく、
血流はよくなる、
体の臓器はよく働く、
体温は上がる、

知らぬ間に、体力がつく、という
流れになります。

体が自由に動く限り、
使っていく。

使って豊かになっていくのは、
得です。

実は、夕方に河原で見知らぬ
おばさんに話しかけられました。

野鳥について30分くらい、ノンストップで話を聞きました。

鴨を見ていて、縄張り意識があるとか、
鳥の種類についても、今までよく見ているだけに、くわしい。

となると、もしかしかしたら、
バードウォッチングも
楽しいかもしれません。

カラスの観察でも、十分
楽しめそうです。

家でほぼ眠っている双眼鏡の
出番もあるかもしれない。

歩いていたから、話しかけられた。
先のおばさんがきっかけになります。

初対面で何故話されるのか、
って思ったけど、

車で話しかけられることは
まずないかと。

歩いて、何かを見て、感じて、
始めるきっかけになる。

知らない間に運動もしていた、
っていう流れが
歩く世界にはあるようです。


どうでも良さそうなのに、つい見てしまいます。


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