遠くの川の堤防、
一般の畑の道を歩いてきました。
往復1万3000歩くらいの程よい距離。
用事は単に郵便物を出しに
ポストにいくだけです。
でも歩いて行くと、色々と
観察もできます。
途中の川の堤防を歩けば、
菜の花などの野草の香りが
ふんわりと伝わってくる。
朝はウグイスの鳴き声も聞けて、
結構いいです。
それと、歩くと車や自転車より、
ずっとよく色々なものが
目に入って来ます。
歩くから見えること、
実はとても多い。
いいことも、悪いことも、
色々色です。
出会ったおじいさんの話では、昔(50年くらい前)
アユが大量にいたらしい。
川をせき止めたこと、
農水が川に流れ込んだこと、
川底の色からして、汚れている。
こうして見ると、あゆが消えた原因は
だいたい想像できる。
川は流れがあれば、
まだましだったかもしれない。
流れを止めるとダメですね。
毎年あゆを放流しても、これだと定着するはずがない。
カメラ片手に、歩いて
動くのはいいですね。
花や新芽、またコケなども
きれいに見える。
予想外の生き物に
出会うこともある。
歩いて出かけると、
シャッターを切りたい瞬間が増える。
植物が生えているところを
通るだけで十分。
何かに出くわすことが時々あります。
稀にキツネも見かけるけど、
警戒心強く、すぐ逃げる。
なかなか写真にはとれません。
カメラは古い機種で十分なので、
一眼レフで望遠とマクロレンズが
あるといいです。
コウノトリがいることを
知っている人は少ない。
話をしても信じない人は、
おそらくほとんど歩いていないのは、
会話でわかる。
とにかく、歩くと
色々みえて日常が
悲しくも楽しくもなる。
野生動物にも
会える機会が増える。
同じ世界を生きるなら、
いろいろと見えた方が得です。
雑草や花でも、よく見れば
きれいで楽しめる。
薬草も歩けば見つけられる。
サンショウが山には大量に生えており、
苗木を買ってまで
栽培することもない。
ヤマブキやワラビなどの山菜も
歩けばある場所がわかってくる。
植物のあるところを
見て回ると、何かを見つけるか
出くわす。
探さなくても、
視界に入ってくる。
草木のないところだと
効率はいいかもしれないけど、
発見がなく、物足りない。
自家栽培の野菜のでき具合が
よくなくても、山菜など見つければ
使えるものも多い。
また何よりも、時間帯によって光の当たり具合、
雰囲気も変わる。
とる写真もさまざまで、
毎日同じ植物を見ても
不思議と飽きない。
植物は晴れ、雨の日、曇り、午前と午後だけでも
随分と印象が違う。
飽きないこと、っていうのがいいかもしれません。
特に刺激があるわけではないですが、
花を見ているだけで、
見つめてしまうことがある。
特に珍しくもない花、どうでもよい雑草。
ふと思うのは、小学校の時に、
もしこんな動植物を見る時間が
あったらなら、
きっとそれなりに楽しんでいただろうと思う。
教室で緊張感がある授業より、ちょっと解放感といいますか、
色鮮やかな草木をただみるだけでも、
随分といい気分になれるものです。
学校の授業がこの上なくつまらないと思っていたことも
あったので、特に意味なく、
植物に触れる時間、今となっても、いい時間だと思っています。
もし、草が生えていて、いろんな生き物がいる場所に
放りだされたとしても、
きっと適当に楽しく
過ごしていたと思う。
今でも、植物を見るのは、何が楽しいかは説明できないけど、
やっぱりいいですね。
つまらないと思えばそれまでですが、
毎日同じような植物などを見ても、不思議と気分がよくなるし、
見ていて何か楽しい。
強い刺激があるわけでもないけど、
飽きないこと、っていいと思いました。