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愛着障害を一面で捉えると、また拗らせるよ

僕の物事を見聞きして考える時の話をします。

例えば、誰かの発言について考える場合。

その発言をする事で、物事や、その人がその後どうなるのかを考えます。

Aという人が「○○」という発言をした。
これに対して人は、賛否や理解できる、または共感して、その人に対する判断(評価)をしていると思います。僕もそれはあります。

ただ、僕はその人の発言が、その発言をする事で、その人がどうなるのか、その対象の物事がどう動くのかを考えてしまいます。

◆という事に対して、Aさんが「○○」という発言をしました。

◆の事に対して僕は感想を持ちます。

Aさんがなぜ「○○」という発言をしたのか考えます。

その「○○」という発言によって、◆やAさんがどうなるのかを考えます。

そこからAさんの意図や心情(腹の中)を考えます。

そうやって僕は物事を見たり、考えたりします。

Aさんが「○○」と言う事で、利益がどう生まれるのか、不利益が生じるのか。どちらかの味方側に立つことで、反対意見側に近くなることで生じる事を考えます。



自分の考えなどを「俯瞰」して、自己理解する為には、例え雑談でも、単純にその一部分だけを考えるより、少しだけ多くの面(物事は多面である)を考えた方が、物事を冷静に見ることが出来るのではないかと僕は思います。

・・

愛着障害という言葉をよく見ます。



僕は20歳の時に不安障害(強不安)という診断を受けたことがあります。

この不安は、今になると「見捨てられる不安」みたいに言われています。

そして僕には愛着障害があるのかなと考えています。

この愛着障害の背景には、アダルトチルドレン(AC)や毒親問題。
機能不全家族、親子問題。親や子の発達障害。
それぞれの事情(家の事情や、個人の事情)があると言われています。

ただ、僕が最近思うのは、一言(一概)に「愛着障害」が原因(理由)だと言う人が、見えていない、気付いていない事があると思います。

・・

もし愛着障害を持ってしまった子供がいたとして。

その子供の要求や、満足するレベル(度合い)が、現実的に不可能な、現実離れした要望だった場合。

例えば、
「私は食事も満足に食べられなかった(与えられなかった)」
と言っている愛着障害の人がいたとします。

その場合、その人の満足する食事が何なのかを知らないと、その人の言っている事やその人の問題が理解できないと思うのです。

腹八分目と言います。

言葉は悪いですが、お腹がパンパンになって食べ過ぎと判断されるまで食べないと満足しない。
好きな物を好きなだけ腹いっぱい食べて、食べたいと思った時にすぐに満足いくだけ食べ物が自由に出てくる環境でなければ満足しない、と言うのであれば、それは現実的に問題があるのは子供の方です。

「買いたいものも買ってもらえない」

「何も買ってもらえなかった」


この場合、その人の買ってもらえないは、どのレベル(度合い)なのでしょう。

子供が、ブランド品や高級な物、キラキラしたもの、欲しい物を際限なく欲しいと言い、駄々をこねる事はあります。

全員とは言いませんが、よくある光景。
子供がおもちゃを買ってもらえなかった時に泣き叫ぶような事です。

そこで教育(しつけ)として、我慢や忍耐力。
現実を教える(覚えさせる)のが親の責任(役目)です。

それを

「欲しい物を買ってもらえなかった」

と言って、私は不憫な子供時代(幼少期)を過ごしたから、それが原因で愛着障害になったと親を責めるのも変な話だと、僕は気付いています。

そういう話です。



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