夏イチおすすめ本紹介/原田ひ香『東京ロンダリング』

この物語の主人公りか子は、事故物件を転々として暮らす。

それが、彼女の職業なのだ。

変死や自殺のあった部屋を貸し出す際には、その事情を説明しなければならないが、それでは借り手がつかない。しかし、その後だれかが一定期間入居すれば、そのあとには説明する必要がなくなる。

この物語のタイトルにある「ロンダリング laundering」とは、「洗濯・洗浄すること」。りか子は、事故物件に一定期間暮らすことで、事故物件を、そして自死や変死が次々と起こる東京という街を「洗浄」する。

この物語の序盤に、その設定が飲み込めたときには、きっとシリアスなミステリーが展開されるのだろうと予想した。

しかし、その予想は外れ、ほとんど事件や事故には触れられず、ロンダリングをする主人公の心情変化に焦点が当たっている。
不穏な冒頭から始まるが、読後感の爽やかなハートウォーミングな物語だ。


さて、なぜこの物語の主人公が、ロンダリングをしているのかといえば、専業主婦であった彼女が自身の不貞が原因で金も居場所も失い、ほかに暮らせる場所がなかったからである。彼女が、ようやく辿り着いた先が、ロンダリングの適任者を探す不動産屋だった。

自分だったらロンダリングを引き受けるだろうか、と考えてみる。

事故物件に暮らすだけでお金がもらえる仕事。
給料は1日5,000円。
主人公は古本屋で買った小説を読み、安い食堂で食事をすませ、残りは貯金している。

物語を読みながら、私にはロンダリングは務まらないだろうな、とはじめは思った。

私はとくに霊感があるというわけではないけれど、よくない気が溜まっているような場所は苦手だ。非科学的な考えかもしれないが、そういう場所の空気に飲み込まれてしまいそうな気がする。

だけど、それは、いまの私だから言えることであって、そうせざるをえない状況に追い込まれたらどうだろう。

私も、いまは仕事をしていないし、貯金だってそれほどあるわけではない。
りか子のように、急にひとりで暮らしていかなければならないとしたら、きっと途方に暮れてしまう。そんなときに、目の前に生きる方法を示されたら、それに縋るしかないのかもしれない。

でも、なんだろう、そんな後ろ向きな理由だけではなくて。
もしかしたら、経済的に自立していたとしても、このロンダリングに惹かれる部分があるんじゃないかとチラリと思う。

好きなだけ本を読み、ほとんどモノを持たず、常に旅するような暮らし。それでいて、ちゃんと給料をもらって仕事をしている。
最近リモートワークの推進もあって、ホテル暮らしをしている人の話もちらほら聞くようになったけれど、きっと心のどこかでジプシーに憧れる人は私以外にもいるんじゃないだろうか。

私は、公務員を辞めてから、普通に仕事を頑張っている人の物語を読めなくなってしまった時期がある。いまは完全に読めないわけではないけれど、普通から外れた生き方が綴られた物語を読むと安心してしまう。たとえば、キャリアウーマンだった主人公が早期退職して安アパートに暮らす、群ようこさんの『れんげ荘』とか、楽な仕事ばかりを求めて転々とする津村記久子さんの『この世にたやすい仕事はない』とか。


でも、この物語の真髄は、ロンダリングという俗世から離れている暮らしそのものではなくて、そんな生活のバランスが少しずつ崩れていくところにあると思う。

転々と住む場所を変え、だれとも深い関係を築こうとしなかった主人公におせっかいを働く人たちがいる。詳しくは、この物語を読んでほしいが、感情を失っていた主人公が、少しずつ生きる力を取り戻していく姿に、勇気づけられるような気がした。


この小説を読み終わって、ある映画のセリフを思い出した。

愛のために調和がとれないことがあっても、それも調和のとれた生き方の一部なんだよ。(拙訳)

Sometimes to lose balance for love is part of living balanced life.

映画『食べて、祈って、恋をして』より


『東京ロンダリング』の主人公りか子は、いっときの恋心ですべてを失って、自身の心を固く閉ざしていた。

ロンダリングをしてからは、大きな苦しみも、逆に大きな喜びもない、よく言えば凪のような、悪く言えば生きながら死んでいるような生活を送っている。

けれども、周りの人たちからお節介な愛をうけとって、りか子のロンダリングの調和は崩れ始める。

調和が保たれていることが必ずしも正しいわけではない。

いつだって凪いでいることがいいわけではなくて、調和が乱れているところに愛が宿るのかもしれない。

この本を読み終わって、そんなことを考えさせられた。


このハートフルな物語もいいけれど、同じ設定でほかの登場人物に焦点を当てたシリアスなものも読んでみたい。
と思っていたら、続編があるらしいので読んでみようかな。

この作者さんの本を読むのは初めてだと思っていたが、『三千円の使いかた』の方だったのか。読み終わってから知った。この本も面白かったな。いつか感想を書いてみようっと。


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