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パプアニューギニアで感じた「当たり前」って #行った国

海外に行って、色んなことを五感を通して感じますが、
どこの国へ行っても私が一番強く思うのは
「自分の当たり前が、当たり前ではないこと」です。

特に20代前半、10か国以上へ行きました。
大学の語学研修でロンドンにホームステイしたり、友達とバックパッカーでヨーロッパを回ってみたり、一人でカメラ片手にカンボジアへ行ってみたり。

その先々で感じることは、言葉の壁や文化の違いなどたくさんありますが、衝撃的なことは「自分の当たり前が、当たり前ではないこと」です。
つくづく、自分が見えている世界はほんの一部分であることと、自分が生活できていることのありがたさを感じます。

特に感じたのは「パプアニューギニア」へ行った時のこと。
約15年前のことです。

赤道近くの国

大学のボランティアサークルで、家に不自由している国へ行き、家を建てるお手伝いをするという活動を通して訪れました。
グローバルな主となる団体があり、各大学のサークルが属しているものです。
当時、国内でもボランティアの経験もほぼないくせに、なかなか行けないような国へ行けることと、役にたてるということから興味本位で参加しました。
ボランティアという活動の難しさも学びましたが、ここでは現地で感じたことを記します。

(建築資金は、募金活動などで集め、旅費は自腹です。約2週間、受け入れる村で寝とりまりしながら活動します。)

活動する村へ向かう日、飛行機を乗り継ぎ、最後小型ジェット機で到着し、村ヘはトラックの荷台に乗って近づきました。

トラックの荷台から

まさにジャングルの中で、どこだどこだ?という状態から、音が聞こえ始め、装飾した村の人たちが一斉に踊りながら出てきました。
村の人総出で歓迎してくれたのです。

一斉に出てきて迎えてくれた

よくテレビで見るジャングルで住む人々のお祭りごとのようです。

私たちも陽気な音楽と共に気づけばみんなで初対面の村人たちと楽しく踊っていました。
こんなカーニバルのような歓迎式は、私たちもみな初めてです。
炎天下、滝のように流れる汗にびしょびしょになりながら、楽しみました。
日本のような仰々しい式とは違うことから、すでに文化の違いを感じました。

その後、生活しながら、活動をしていくのですが、全てが目新しく、興味深いものでした。

まずはインフラ。
私たちボランティアの人たちのために、水を引いてくれる予定になっていたそうですが、到着日は間に合っていませんでした。
四方をビニールシートで囲い、ホースの水を浴びるという簡易シャワースペースは作られていましたが、初日は使えず。

そこで連れて行ってくれたのが、近くの小川でした。
そこでまさに行水です。
わちゃわちゃと川で頭と体を洗うという初体験をしました。
そのすぐそばでは村人が自分たちの洗濯をしています。
生活用水としての川でした。

トイレも私たち用に囲いを作ってくれていましたが、穴が掘ってあるものです。

たしか簡易トイレ

飲み水は、私たちだけ準備されたミネラルウォーターでした。

いつかテレビで見たジャングルの生活のようでした。

食事は、色々アクシデントがありましたが、村の人が準備するタロイモやパッションフルーツなど、日本ではあまり見かけない食材が並びます。
ただ、食事を置くと同時に一斉に大量のハエが集合してきます。
そのハエを片手で払いながら、急いで口に食事を運びます。
遅いとハエまで一緒に口に入ります。

払っても払っても迫ってくるハエ
タロイモとバナナとパッションフルーツをよく食べた記憶
あっという間にハエで真黒くなる(黒い点はハエ)

あるときは、豚が丸ごと運ばれるところに遭遇しました。
まだ夜が明けきらない薄暗い中を、何を運んでいるかと思えば、棒に両足をつるされた豚だと気づいた時には驚きました。
その後は、村の人たちの前で解体です。
リアルな姿に目を覆いたくもなりましたが、なんだかこれが生活なのかと、目を背けている場合ではないとも思いました。
そして、村の子供たちは、血まみれの中、解体する大人のお手伝い。
しかも、村の中には豚も歩いていたので、その一匹か?と思うとちょっと複雑な気持ち。
食べ物がどこから来ているのか、日常生活の中で知っているのです。
日本では見かけない光景です。
日本ではわざわざ食育という言葉がありますが、生産と消費が遠いからできる言葉なんですね。ここでも当たり前の違いを強く感じました。
(豚の解体の写真がありますが、貼るのは控えておきます)


衣服は、男性や子供はTシャツ、女性はワンピースのようなものや子供はTシャツでした。

ステキな笑顔

特に興味深かったのは、Tシャツ。
どこかで見たようなピカ〇ュウや、ドラえ〇んのような有名キャラクターのものを大人も子供も着ていました。
さらには、運動部だった私にはわかる国体のスタッフTシャツのようなものも。
きっと、日本や他のアジア圏からの援助物資や転売で届いたものと思われます。
人によっては、一日目そのTシャツを着て、次の日「あれ?」と思ったら、裏返しに着ていました。連日両面で使うスタンスなのか、もしくは知らないキャラなので表裏がわかりにくかったのかわかりませんが、二日連続着ていても、全く匂いが気になりませんでした。
日中活動的でこれだけ汗をかくにも関わらず、汗臭いと感じたことがほとんどなく、不思議に感じました。
日本では、汗をかく活動すらほとんどなくても毎日シャンプーをするのが当たり前。(最近では違う傾向もありますが)洗濯も汗をかけば毎日洗濯機で洗濯をします。
連日同じ服を着たら、どう思われるか?と考えてしまうほどです。

色んな国に行くたびに、日本の清潔さを感じますが、パプアニューギニアでの生活は、さらに、興味深く、色んなことを考えさせられる時間でした。
ここで育つ人にとっては、これが当たり前なのです。
「普通さ~」という言葉が簡単に使えない気がしました。
最優先は生きていくこと。
そして、富はやはり経済活動が伴うことも感じました。
20代前半の私の当たり前と思っていた世界が、ちっぽけに感じました。
そして、世界を見ることと同時に、身の回りについても知らなすぎると感じ、改めて自分が生きていることに感謝した帰りの飛行機でした。

こういったことを五感で知ることができるのも、リアルな旅の醍醐味ですね。

村を去るとき、約2週間の生活で感じたいろんな思いがこみ上げ、大泣きして別れを惜しみました。
また行ってみたいと思いますが、まずあの村がどこにあるのか、彼らはいるのかわかりません。

訪れた学校の生徒からのプレゼント

同じような体験はあの時だからできたもので、再びできるとも思いません。二度と会えない人たちと体験、という点からも涙が止まらなかったと思います。そんな貴重な時間を過ごせた国でした。
ありきたりな感想かもしれませんが、帰国後も深く考えた体験でした。

プレゼントの腰みのやバックなどと 買ったコーヒー

↑こういう置き物をお土産に買ってくる人いますよね(ここにいた(笑))。もらった家族も困るパターン(笑)

読んでいただきありがとうございました。



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