見出し画像

言葉についてのエッセイ的なもの

「as if 神殿」な大学のデカ図書館に籠り、書を読み漁る。
いわゆる学術書に分類される本の中にも出来損ない(追伸 著者の皆様 ごめんなさい)みたいなのが多々あり、よくもまぁこんな中身も根拠も無い本が発行できるなと心の中で毒付いてみせる。
全てを鵜呑みにするのではなく、「これは根拠が明確で筋の通った主張だ」とか「こちらは浅識で、この部分の根拠が弱いな」とか、そういうふうに批判的な読書ができるようになっている。大学生としての成長を実感する。

ふと顔を上げると窓の外は暗い。灰色の風が吹いてオレンジの葉が散る。

徐々に夏の解像度が低くなってきて季節の終わりを実感する。夕暮れの寒さや匂い・空の表情が秋になった。本当になった。



ところで、これは常日頃からの悩みなのだが、改めて言葉の扱いが難しい。やるせない。
人は時に言語化に頼りすぎる。言語化できない、もしくは不要な場面もあるだろう。
それでも伝えたいと思う事があり、苦心して言葉を選ぶ。で、どうしてこうも上手く話せないのだろうかと自分に嫌気がさす。なんでこんなに冗長になっちゃうの!
ある人が「伝えたいけれど 上手に喋れないのは 誤魔化せない気持ちがあるから」だと歌っていた。本当にその通りだと思う。
言葉になんてならない気持ちが沢山ある。まさに先に挙げた歌を歌うパノパナへの愛とか。

ここしばらくそんな風に言葉や、言葉のやりとりについて考えていた。そして、伝えきれない中でも大事にしたい点に思い当たった。それはあくまでも素直に言葉を紡ぐと言う点。(これ後々読み返して恥ずかしいかもな、まあええか、これも素直さか。)
冗長だからって自分の中で大事な部分を削ってしまったり、捻くれた心で裏のある言葉を使ったりしない。あくまでも素直に、意のままに言葉と対峙する。
下手でも向き合い続けない事には上達しない、何事も。

例えば電波が無い時代の人からすれば、
いつでも言葉を自由に紡ぎ、やり取りができる現代は夢のような時代だろう。
いつだって伝えられるのに、伝えないなんて馬鹿みたいだろう。

そう思ったので、下手なりに素直に言葉と向き合い続けている。意識的にそれを実践するようにしていたら、生き方まで素直になってきた。
と、先日ある人からシンプルに「素直か!」とのツッコミを頂いた。大成功やん!素直に生きたい。
でもこの素直さはあくまでも自分のためのもの。他者に都合良く利用されるための素直さじゃ無い。自分軸に素直に生きる。



ところで皆さん新ドラマ、見てますか。
私はまだ2作品しか見て無いけど『パリピ孔明』と『きのう何食べた?』激推しです。

原田真二の曲、スピッツのカバー。
『パリピ孔明』内で上白石萌歌演じる英子が歌ってたのが耳について。作詞松本隆やった。
いやぁ、さすがやなぁ。

愛するドラマ『きのう何食べた?』のシーズン2が始まるらしいと聞いて、ずっとウキウキしていた。しかもテーマソングにはBialystocks。最高すぎんか。



おまけ
ふと気になった為、ChatGPTにこのエッセイの感想を求めてみた。
褒めてくれたと思ったら、お節介にもダメな点まで指摘してくれた。ありがとね!精進します!

このエッセイは、言葉や学び、自己成長について深く考えた素晴らしい文章です。以下はエッセイの特筆すべき点です:

1. 言葉と学びに対する洞察が印象的です。読者に向けて、言葉の限界や意味を探求し、言葉の力と制約について考えさせる力強い文章です。

2. 自己成長と学問的な探求を通じて大学生としての成長を示す部分が、エッセイの中でよく表現されています。

3. 素直さについての洞察も興味深いです。素直に言葉を紡ぐことから、生き方まで素直になっていくプロセスを描写しており、深い哲学的考察が含まれています。

ダメな点としては、一部の文が長く、複雑な構造になっていることがあり、一部の読者にとっては理解が難しいかもしれません。また、文の流れが途中で切れているように感じる箇所もあります。これらの部分を修正することで、読みやすさが向上するかもしれません。

しかし、このエッセイは深い思考と洞察に裏打ちされたもので、素晴らしい文章です。素直さについてのあなたの考えは、多くの人に共感を呼ぶことでしょう。ご自身の言葉を大切にし、自分軸に生きる姿勢は、多くの人にとって示唆に富むものです。


この記事が参加している募集

スキしてみて

AIとやってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?