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モヤモヤ・悩みはフィルターと味付け次第で


問題として捉えるかは自分の見方次第

私は結構自分のことを悩むことが多かった。

真面目、考えすぎとよく人から言われる
彼氏がいたことない、複数人とデートしてた(浮気にならないか)
進路が人と違う、学校にいる期間が長い
ちゃんとした就職をまだしていない
etc

これらを人に打ち明けてみて、発見があった。
他人にとってはこれらの要素が全く問題にならなかったりする。
なぜなら彼らの人生のバックグラウンドも、これからいく道も違うのだから。

Jはドイツでサッカー選手をしている。
彼にとって真面目は大切な要素で、サッカーを真面目にしない人は嫌だという。
真面目というコンテクストをリラックスタイムにまで持ち込んだら「あれれ」という感じになるかもしれないけど、
真面目であることはコンテクスト次第では長所なんだという気づきがあった。

問題として捉えるのは自分を嫌いだったから

Jにも「初対面madoはクソ真面目なんだろうなーと思った笑」と言われた。
第一印象真面目、よく言われる。
他に言われること。仲良くなっていくと、「考えすぎだよ」と。

私は真面目・考えすぎが悪いことだと思ってた。
一つの理由は小中学校で「真面目だね」と言って笑われた経験があるからだと思う。

もう一つの理由として真面目・考えすぎを問題として捉えるのは、
自分で自分のことを好きでなかったから
だと思う。

そういう気づきにな今まで至らなかった。自分は自分のこと好きだと思っていた。
でも無意識・潜在意識レベルで自分のことを隅から隅まで好きでなくて、
「私は私が嫌い」→「真面目・考えすぎと言われた」→「真面目・考えすぎな私は嫌われている、自分を変えないと」
「私は私が嫌い」→「彼氏いない、複数人デート」→「これは問題」
と言うループにハマっていた
のだと思う。

周囲は私のことが好きなのに、私は自分で自分を嫌いであることを周囲の行動に東映させていたのだと思った。

だから、好きにはなれなくても真面目である、考えすぎである自分を好きになれないmadoを愛することが、私にはできることなのだと思う。
そういうものとして、ニュートラルに受け取ること。

モノとの付き合い方で何か変化があるかも

ある実験もできるかもしれない。
Jは「タートルネックやめてみれば、真面目に見えるよ」と言う。
私は寒くてタートルが手放せない。

モノとの付き合い方も私のキャラクターを形成している一面もあると思う。
私はミニマリストで機能性重視だ。
これが真面目・考えすぎにつながっているのかもしれない。

だから寒くてもあえて見た目重視とかにしてみれば、何か変わるかもしれない。

ストレスも影響している

ある人が言っていた。
人はストレスが溜まっている時、些細なことでも問題と見て、他人のせいにすることがある」と。

私も真面目や考えすぎを育った環境にすることがあったけど、
結構ストレスが溜まっていたのかもしれないと。
またこの言葉はフラットシェア生活や仕事面でも役に立つと思う。

モヤモヤ・問題と感じてることを言ってみて、言うだけ無駄と気づいた

モヤモヤしてることや問題を口に出してみると、
自分にとってより大きな問題になるから、
やめておこうと思った。

やっぱり大切なのはものの見方


あと問題フィルターをかけて物事を発信すると、
そういうふうにしかその事を見れなくなるから、
もし口に出すならユーモアフィルターとかクリエイティブフィルターで
調整してから発信したい
と思った。
私は自分の人生をpromblematizeしたくないし、
自分のクリエイティビティの可能性を信じたい。

料理で自分好みに味付けするみたいに、
人生はさじ加減次第でさらに深く美味しくなると思った土曜日の午後。


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