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万葉仮名という上代キラネーム法。漢字の極限用法だ。

「仮名」とは呼ばれていても、万葉仮名は平仮名や片仮名とは本質的、原理的に異なったシステムである。高句麗や新羅に見られた〈借字表記〉もまさにキラネーム法であった。
●野間秀樹『言語 この希望に満ちたもの--TAVnet時代を生きる』北海道大学出版会。2021年。pp.238-239から。

万葉仮名という上代キラネーム法
 あるいは『万葉集』を英語で読む。おそらくそこには汲めど尽きせぬことばへの問いが湧出するであろう。実は英語までと行かずとも、『万葉集』を現代日本語と対照しながら読む、といった営みも、対照的な方法である。〈書かれたことば〉なので、万葉仮名の原文と照らし合わせることができる。


 巻頭「こもよ みこもち」で始まる雄略天皇の歌をつぶさに見るだけでも、それはそれは面白い発見があるだろう。「仮名は万葉仮名からできた」などという乱暴な言説も疑ってみることが、可能になるだろう。「あ」は「安」から、「い」は「以」から、「う」は「宇」からできた…という延長で万葉仮名を考えがちである。「篭もよみ篭持ち掘串もよみ掘串持ち」の一節は「籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持」と書かれている。ここだけでも既に「もち」は「母乳」と「持」の二通りの表記が現れている。他にも「岳=をか」「吾=われ」「家=いへ」「山跡乃國者=やまとのくには」といった訓読みが用いられている。「毛=も」「美=み」「久=く」のような音読みと混在しているわけである。中西進校注(1978)。つまり万葉仮名は、一文字一音節を原則とする音仮名と、一文字複音節を許す訓仮名が混在していることが、すぐに見て取れる。この点ではっきり解るように、「仮名」とは呼ばれていても、万葉仮名は平仮名や片仮名とは本質的、原理的に異なったシステムである。
 今日の日本語で漢字の音訓に加え、外来語までも宛てて自在に読ませる、「キラネーム」と呼ばれる命名法がある。ネット上にはこんな例が駆け巡っている。「田中 宇宙戦艦=たなか やまと」「柑夏 日向=かんな ひなた」「希星=きらら」「和夢=なごむ」「七音=どれみ」「男=あだむ」。万葉仮名から見れば、こうしたキラネーム群は大いに理のある漢字の極限用法だとも言える。万葉仮名は謂わば上代キラネーム法の集積であった。
 漢字の音訓を用いて自分の言語を表す方法は、日本語圏よりもさらに古く、高句麗や新羅に見られたものである。朝鮮語学では漢字で朝鮮語を表す方法を〈借字表記〉と呼んでいる。ただ残念なことに高句麗や新羅の借字表記は朝鮮語圏では一般化されず、後世に伝わることもなく、絶えてしまう。仏典漢文の訓読などでごく一部が残っただけであった。それゆえ、人名地名を除いては、朝鮮語は基本的に書かれることがなかったわけである。一五世紀朝鮮王朝に訓民正音=ハングルが登場する理由は、まさにここにある。


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