見出し画像

「民間療法」について

こんにちは、Nollです。
さて突然ですが、皆さんは民間療法というものを聞いたことはございますか。ざっくりいうなれば、お医者さんいらずな昔のおばあちゃんの知恵と言えるでしょう。症状に対して効く植物と食べたり、煎じて飲んだり、体に塗布したり、湯に浸かったり、燻したりなどして回復を促す方法です。ものによっては、身近すぎて療法と呼ぶには違和感があるものもあるかもしれません。逆に平地などでは手に入らなさ過ぎて、珍しいものもあります。伊吹山でしか採れない、沖縄でしか育たないなど。
余談ですが、英訳するとHerbalistとなります。

日本でも、療法と呼ばれているのに普段から取りいれられている方法がいくつかあります。緑茶や麦茶を飲む、季節に合った物を決まった時に食べる(桃の節句にハマグリの吸い物、端午の節句に柏餅やちまきなど)冬至に柚子風呂に浸かる、腫物ができたらドクダミ、傷にはよもぎを塗るなど、昔ながらに知られている、続いているまたは行事ごとが実はそうだったりします。詳しく挙げるとまだまだたくさんありますがキリがなくなってしまうので、気になった方はご自身で検索されてみると面白いと思います。お味噌汁や山菜の天ぷらもその一端になるので、全然療法という感じがしませんね。ただただ、やっていることは身近です。

民間療法はあくまでも、生活や習慣の中で生まれた知恵であって完璧なものではありません。民間療法が生活の中での行いなら、積み重ねれば健康の基盤は固められますが即効性は正直、無に近いと思います。少しでも回復促進のために病院や薬局などで、漢方があり、単一成分の薬剤があったり、鍼があり、それでもだめだったら場合によっては最終的に手術という風に段階があるでしょう。個人的に「これさえすればOK」は何においても鵜呑みにしてはならない事象1位に入ると思います。

海外にも、あまり知られていないかもしれませんが「民間療法」の達人として知られた人がいます。そういう人たちは「魔女」と呼ばれています。私が知った一人は、アイルランドのフィークル村のビディーアーリーという女性です。かなりのハーブに精通していた女性だそうです。それにまつわるページを下記に引用します。

ビディ・アーリーとは - Who is Biddy Early?
ビディ・アーリーは19世紀にフィークルに住んでいた"民間療法士"です。
ハーブを使用した民間療法士(Herbalist)としてよく知られていた存在でしたが、あまりにもよく効くので地元の教会から魔女との疑いをかけられ、本当に魔女裁判にかけられてしまったという伝説の残っています。
ビディのハーブ療法はよく効いたそうで、かのダニエル・オコンネル*もフィークルのビディ・アーリーの小屋に足しげく通っていたそうです。
*カトリック開放の父と呼ばれる19世紀の政治家。オコンネル自身はケリー州の出身ですが、選挙区はクレア州を基盤していたそうです。
ビディは1798年に東クレアのキラニーナ(Kilanena)に生まれました。彼女の母親もハーブ療法士として知られていたそうで、ハーブの知識は母親から教えられたそうです。
ビディが18歳のときに家を離れリムリックに働きに出ますが、後に結婚に伴い東クレアへと戻りフィークルのドロモアという所に居を構えました。
ドロモアの家は2部屋しかない小さな家でしたが、ビディのハーブ療法を受けたい人達が頻繁に訪ねてきていたそうです。
ところがビディのハーブ療法の評判が高いことを危惧した教会が、ビディを魔女として告発し裁判にかけられてしまいます。当時のアイルランドには1586年に制定された「ウィッチクラフト法」という魔女術を禁じた法律があったそうで、その法律に乗っ取って裁判にかけられたそうです。ちなみにビディが裁判にかけられたのは1865年のことだったそうです。判決がどうだったのかは分かりませんが、実際に魔女裁判にかけられたのは事実らしいです。

海外の民間療法士もとい魔女という立ち位置の人たちは、共に暮らす人たちにとっては仏のようでありましたが、「神」を崇める教会や団体にとってはとても邪魔でした。祈祷をすることで神様に病を治してもらうのを商売にしていました。その祈祷の治療費も提示された金額が出せなければ受けられない(しかも治らない上に金額が増える)。ので、安いかタダ(あるいは別な方法でお返しという形)で病気に物理的に効く物を渡したり、助言したりして本当に治すことのできる療法士は敵のように見えていたことでしょう。「こいつに客を取られたら、困る!」ということで、魔女裁判に掛けられることも少なくなかったんだとか。欧米諸国の魔女裁判は本当に理不尽で気分のいいものではないので、お調の際は細心の注意を払ってください。まじで。

私が一番が食いついた点は、太字にした「母親も民間療法士であった」ことでした。親がやっていることを娘が見て、それに倣う、また母親もそれに応じて教えるという姿、目に浮かぶようです。これは推測ですが、その出来が母親を超えたが為に裁判に目をつけられてしまったのではないかと思うとなんともやるせない気も致します。その時にすでに「ウィッチクラフト法」が制定されていたにも関わらず、母親が捕まらずに暮らせていた、ハーブを生業の一部にしていたのがポイントです。母親は隠れて生きる事を見出していたのかもしれません。さらに詳しいことはリンクを貼っておきます。
https://www.irish-fiddle.net/biddy-early/

前、「ハーバルプラクティショナー」という資格を持っておりました。ただ、だいぶ前に返納しました。その時に使った教材は今でも持っているので、見直してこういうのがあったなというのや、これどういうのだっけと改めて探したりします。そういうのをしていると、自分の肥しが増えながらも、畑の狭さを発見します。民間療法だけに限らず、分野でもそう思います。分からないことだらけで、手を付けるところがいっぱいあります。どこから始めようかとなると、とかく気に入った分野に偏りやすくなってしまいます。よくもわるくも。それが、自分の見聞に浸透して、宝であったり武器になると思います。
取った資格は結構簡易度の高い試験を受けて取りました。当時の同期になんで返したのと慌てられました。返納した理由は、会費を払い続けている間は、有資格者として認める、という点がなんとも微妙な気になってしまったからです。最初はもちろん有資格者となれて嬉しかったです。だた、すぐには気づけなかったですが、私が望んだのはその称号ではなかったという結論に至りました。称号はあくまでこれまで積み重ねてきて合格ラインに到達した結果であって、それ以上に私には意味を持たなそうです。
返納した瞬間その知識を持たないと見做されるようです。だったら、それが持っていなくてもちゃんと必要な時に知識として持って、必要な時に扱えるようであろうという発想に至りました。開業などをする方にはその資格があった方が良かったりするかもですが、私にはその予定もないので、返納して却ってよかったかもしれないと思います。その分、自分で向かわないと消えていく一方というお土産付きです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?