どうか死んだあとは楽になっていて欲しい
2016年春、とある土曜日。
桜が美しく咲き誇っていたこの日、わたしはタレちゃん(現在の伴侶)にお花見の約束をすっぽかされ、新宿シネマカリテで映画を観ていた。
前日の金曜からタレちゃんと連絡がとれていなかった。
昼に送ったLINEに既読はついている。
だが夜になっても返事は来なかった。
様子がきになるが、仕事で疲れて寝てしまったのかもしれない。
お花見の確認は当日朝でもいいかと、電話はせずに眠った。
当日。朝になっても返事は来なかった。
携帯の電源は入っている。
午前中、何度電話しても出なかった。
何かあったんだ・・・不安になった。
正午頃、タレちゃんからLINEが入った。
「ノキちゃん(わたし)、今なにしてるの?」
緊張の糸が切れ安堵した。
が、同時に湧き上がる苛立ちを抑えられなくなった。
よくもこんなすっとぼけた返事を送れたものだ。
そのあとは電話だったかLINEだったかはおぼろげだ。
はっきりと覚えているのは、「仕事で嫌なことがあった」という理由。
こみ上げる怒りで話の整理ができない。
一言でいいから連絡くれてもいいじゃないか。
嫌なことがあった?どのくらい嫌なこと?
こっちだって仕事で嫌なことばっかりだ。
「今なにしてるの」って?ふざけんじゃねえ。
わたしはどこまで口に出してしまっただろうか。記憶は曖昧だ。
タレちゃんは今から謝りに行きたいと言ったが、
「顔も見たくないし声も聞きたくない。
謝りたければLINEしといて。もう出かけるら」
と冷たい言葉を投げつけ、わたしは新宿に向かった。
映画を観よう。どんな映画でもいい。わななき続ける心に蓋をしたかった。
🎬🎬🎬
『無伴奏』という小池真理子さんの同名小説を実写化した映画を選んだ。
学生運動、デモ、純喫茶、カノン、タバコ、セックス。
官能的で退廃的。
わたしは映画の世界にのめり込んでいった。
海に消えていった渉は、
苦しみから解放されただろうか。
タバコをふかしながらそんなことを考えた。
映画の余韻が残る夜。
約束をすっぽかされた怒りは、
少しだけ浄化されていた。
🎬🎬🎬
それから数か月後。
タレちゃんとすっかり仲直りしていたわたしだが、
話の流れである事実を知ることとなった。
約束をすっぽかされた日の前日。
その日、タレちゃんは同僚の男性が自殺したことを知らされていた。
仕事で嫌なことがあったとは、このことだった。
あの日、タレちゃんはどんな気持ちで夜をすごしただろう。
身近な人の自死。死が頭の中を支配する。
仕事で嫌なことがあったと言うのが精いっぱいだったはずだ。
繊細で弱ったタレちゃんを突き放して遮断した。
わたしは愚かで大馬鹿者だった。
なにがあってもタレちゃんの理解者であり味方でいる。
そう心に決めた出来事だった。
顔も名前も知らないタレちゃんの同僚が、思いがけない形で人生に登場する。決して忘れることのできない人となった。
現実と物語の世界で二人の青年の自死が重なる。
顔も名前も知らない彼は、苦しみから解放されたのだろうか。
どうか死んだあとは楽になっていて欲しい。
そう願うことしかできなかった。
今もこれからもご冥福をお祈りしています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?