最後の九州

母の一周忌を終え、しばらくするとコロナウィルスで世間はきな臭い状況になりました。
3月は異動・転勤シーズンにもかかわらず懇親会はできなくなり、4月に入って初の緊急事態宣言も加わり、在宅ワークが当たり前となりました。ゴールデンウィークは全国的にステイホームが叫ばれ、都会から出ることも難しくなりました。そのため、実家に行くことは控えて電話で会話するしかありませんでした。

ステイホーム状態が多少落ち着いたと思われた6月下旬、実家に行って父の様子を見てきました。この時の父は当然アルコールは控えて、食べることはできていました。
初めて行った中華料理店で夕食を一緒に取ることもできました。この時、父の故郷の福岡県久留米市に行く計画を立てました。

7月16日、福岡空港で待ち合わせしました。父は愛知県の小牧空港から、私たちは羽田空港からの移動です。父と合流後にレンタカーを借りて、久留米市まで向かいました。

その間、父は自分の辿った歴史を語り始めました。高速道路から見える会社を指して、そこで仕事をしたことや、久留米インター近くに見えた高良大社によく行ったことなどを話しました。
父は実兄のところに泊まり、私たちは久留米市内のビジネスホテルに宿泊し、商店街にある焼き鳥屋に入りました。コロナ禍で客はほとんどいなかったのですが、出張中の1グループだけが騒いでいたのが印象的でした。

翌日、父の兄弟姉妹が実兄の家に集まり、うなぎ弁当を食べながら皆で語り合いました。父は末期がん患者とは思えないくらい食欲があり、弁当を食べた後もお菓子をつまんだりして一番元気に振る舞っていました。
その時は、4ヶ月後に父が亡くなるとは想像することすらできなかったことでした。

次の日、亡き母の弟が住む熊本県天草市に移動しました。昔に比べて道路が整備されたとはいえ、久留米からは3時間以上かかる道程です。私が小さい頃、夏休みに父を家に残して母と弟とともによく天草に行ったものでした。
当時、熊本市からはバスで長い時間乗っていたことを鮮明に覚えています。ただ、今回久しぶりに行ってみると、天草五橋あたりにバイパスが通っていて早く移動することができて、時代の流れを感じました。

天草で母の弟と会った後、長崎県島原市に向かいました。島原市は、随分昔に雲仙普賢岳が大噴火して火山灰が積もったことで有名になった場所です。
島原市には母の妹がいるので、最後のご挨拶として訪れました。天草から島原市へは、鬼池港という場所からフェリーで長崎県側にある口之津(くちのつ)港に渡り、そこから移動します。途中、父のリクエストで島原の乱で有名な原城跡に立ち寄った後、島原市内のビジネスホテルに宿泊しました。

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