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憧れを消化していくこと。

この年齢になっても、忘れられない何かってありますよね。憧れもそのうち一つだと思っています。恥ずかしくて言い出せなかったけれど実はやりたかったこと、入りたかった部活、習いごととか。あるいは、友達が楽しそうにやっている何かをみて、羨ましいと思うこと。

わたしには、そういうのがたくさんあります。特に、社会人になるまでの22年間でたくさんの憧れを背負ってしまいました。そして、それを忘れられないまま、過ごしているというわけだ。

じゃあまずなぜ当時やらなかったのか。1番の要因は、自分自身に自信がなかったから、かなあ。わからないけど。「何かをするには、小さい頃から始めないと、もう周りにはついていけない」と思っていたような気がします。

まあ、実際そういうのもあるかもしれないが、自分で作り出した謎の呪いに縛られて、年を重ねれば重ねるほど、新しいことをやるのが恥ずかしくなってきてしまった。そりゃあ、いくら調べたって、「何歳から初めてもOK」とか「恥ずかしがらずに頑張ろう!」とか書いてあるけれど、それはもう自己肯定感の高い人々の言葉であり、そんな簡単にできるかあ!というのがわたしの主張である。(わたしは、そんな肯定的な言葉に噛み付いて、いいわけ並べている小心者なのです。)

ところで先日、前職で大変お世話になっていた取引先の社長さんと食事に行ってきました。“そういえば、社長さんは、アクロバット教室に通っていたような?”と思いだして、そのお話を聞いてみたんです。

「教室に通おうと思ったきっかけはなんだったのですか?」「子どもの頃、近所のお友達がバク転をしていたのをみて、すごくすごく羨ましかったけど、できなくて。それがずっと心に残っていたんだよね。」それで、その憧れを消化するために、始めたそう。

あ〜。ここ最近で、わたしがずーっと心で思っていたことを、既に実践している人が近くにいた。「そういう憧れって消えないですよね」「本当にそう、いつかやりたいってずっと思っちゃうんだよ」

教室に通い始めたのは、50歳を過ぎてからだったそうで、周りはプロを目指すような小学校低学年の子達がたくさんいるとのこと。わたしの思うような恥ずかしさってないのかなとおもったら、「下手な人のことは誰の印象にも残らないから、気にならない。(みんな、うまい人のことしかみていない)」と。いや、マジでそうですね。。

ということで、今年は「憧れを消化する」を目標の1つに加えてみよう。ここでいう「消化」というのは、やってみて楽しかったら続けるし、やってみて面白くなかったらさっさと切り上げる、というイメージ。やってこなかったから、憧れの理想がすごく膨らんでしまっている。これは危険。少しずつでも、消化していかなければ。

今日は、とあるレッスンに行きまして。それはそれは楽しかった。先生にも、「憧れが残り続けて15年以上経ってしまいました」と、つい伝えてしまった。消化できた。嬉しいなあ。

人に会えるようになったら、みんなの憧れを聞いてみたい。本当は何をしたくて、本当は何になりたいんだろう?

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