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「挫折王」から脱却したら、「全集中」型になりまして。

 私、挫折の経験値が高いです。新しい趣味や勉強を始めようとして習慣付ける前に、挫折した経験だらけです。 
 この解決策については、結局のところ人それぞれ自分に合う継続方法を見つけるしかないと思うのですが、私の場合は「最初から完璧を目指さないこと」に尽きました。
 実は、このnoteも過去に退会経験があります。毎月最低一回は投稿することを目安に、投稿締切期日感のハードルを下げて始めたものの、「作品」として仕上がった文章の投稿を目指した結果、書くこと自体が苦痛になってきてしまいました。好きな作家さんのエッセイ本を読んで、自分の体験をこんな風に書けたら楽しいだろうなぁと思い、自己表現を楽しむためにスタートさせたはずだったのですが。
 少しでも凝った表現をしてみたいと、カッコつけた文章をひねり出してみたり。作家気取りで、今よりもかなり硬い文体で書いていました。私の文章能力は、執筆というより作文レベルだったのに。
 「自由に、楽しく。」と言うのは簡単でも、現実には自分で決めてしまった作風の中でがんじがらめになり、楽しむ気持ちを完全に見失いました。
 完成形のクオリティーを求め過ぎるあまり、苦行になる。自分でハードルを上げてしまい、挫折。私がよくやってしまうパターンです。自分の失敗パターンを把握できていながら、またしても同じ轍を踏んでしまいました。

 物事を新しく始めるのに最適と言われる運気の、一粒万倍日と天赦日が重なる最強開運日にnoteのアカウントを新規登録し、気負い過ぎたことも原因の一つ。私の場合は意気込み過ぎると、ろくな結果にならないことが多いです。
 自分が書いた作品で一生ご飯を食べていけるような作家を志しているわけではなく、あくまで娯楽の範疇なので、私にはブログのような緩さがちょうどいいことに気付きました。
 ほどほどが、いい。ほどほどで、いい。そうしないと、自分が楽しむために始めたせっかくの趣味も続かない、続けられない。
 今はただ、ひたすらシンプルに「書きたい」という根本的な欲求に立ち戻ることが出来ました。

【結論】
●私の挫折パターン
・完成品のハードルを上げるとダメ
・自分でルールを決め過ぎるとダメ
・下準備し過ぎるとダメ
・考え込み過ぎると動けなくなる
・気負い過ぎ、厳禁

●継続するためには
・自分の挫折パターン、挫折理由を把握する
・始めから完璧を目指さない
・自分に合うやり方、物事との付き合い方を見つける

 自分に何が合っているかを見つける方法は、私は「ひたすら数(経験値)」だと思っています。まずは手を動かしてみて、トライ&エラーを繰り返しながら向き不向きが精査されていくイメージです。

 余談ですが、私は法律系の国家資格をいくつか保有しています。法学部出身ではなく、法律の知識ゼロからのスタートでした。
 当初はテキストの内容を自分なりに噛み砕いてノートにまとめ、手間のかかる作業をしながら暗記していくという勉強方法を取っていました。好きではない分野の勉強中は、苦行そのもの。時間をかけている間に、どんどん勉強自体がつまらなくなってきてしまったのです。それでも何とか食らいつき、仕事と両立させながら勉強時間を確保するためには、睡眠時間や余暇を楽しむ時間を削るしかありませんでした。しかし、努力虚しく2年連続で不合格。長時間の前傾姿勢により頚椎がストレートネックになり、軽度の椎間板ヘルニアで腰痛も出始めてしまい、もう資格取得を諦めようかと考えるようになりました。最後のチャンスとして、半ば捨て身で受験した年に受かりました。
 2年の受験経験を経て、苦行になる勉強方法を見直すことに。変えたことは、ノートまとめ作業はやめて、論点をテキストへ直接書き込むだけ。浮いた時間で過去問や問題集を解く数を圧倒的に増やした勉強法を取ったことが、功を奏したと思います。私はノートに要点を整理しながら理解・記憶の定着を図るタイプではなく、問題を解きながら理解して記憶していく方が向いていることに気付いてからは、一気に勉強楽しくなって苦痛ではなくなりました。結果、合格基準ラインに余裕のある成績で合格できました。
 学生時代に勉強が出来た人は、努力や旺盛な知識欲のみならず、自分に合う勉強方法をいち早く身に付けた人達だったのではないかと思います。私は、遅すぎました。現役の学生の頃も、ノートまとめが大好きでした。
 自分に合う方法を見つけるまでは無駄な時間を費やしたり挫折しかかったり何かと苦労しますが、いざ自分にバチッとハマるやり方を見つけたときの好調ぶりはすさまじく、波に乗って調子づいた自分を味わうことも悪くないと感じています。日頃から「だから、私はダメなんだ」とか「やっぱり、私はダメだな」と自己嫌悪に陥る思考の癖が身に付いてしまっていて、自己肯定感がとても低かったので。
 「自分、ちょっとやるじゃん?」「できるじゃん!」と思えるようになった、この成功体験は貴重でした。

 資格受験のための合格体験記のようになってしまいましたが、試験対策と同様、試行錯誤を繰り返しながら自分に合う道具と方法を見つけ出した今現在の私の趣味、旅と日常を手帳やノートに書くことは、始めてから5年以上経っても未だ飽きることなく楽しく続けられています。とんでもない集中力を発揮し、ノートにのめり込んでいます。この全集中時間が、日々の生活から被るストレスや雑念から解放されるリセット時間にもなり、メンタルヘルスにも役立っていて、まさに一挙両得。楽しく打ち込める趣味の存在が、こんなにも日常に充実感をもたらしてくれるなんて、自分でも驚いています。

 それにしても、「自分のことを知る」ってなんと難しいことか。真っ向から自分の嫌いな(ダメな)面を自覚して落ち込んだり、分かっているようで全然分かっていなくて遠回りしたり、私は随分ズタボロになりながら時間をかけて「今の自分」について分かってきたように思います。それが、私が不器用な人間たる所以なのかもしれませんが。何事においても器用でスマートな人は、もっと簡単に「自分」というものを把握できていたりするものなのでしょうか。

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