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直感は数々の熟考の上にあるものだ

私はめちゃめちゃに思考する人間だ。 とにかく、考えて、考えて、考える。 「考えすぎだよ、悩みすぎだよ、そんなこと気にしなくていいよ」と幾度となく言われてきたし、自分でもそう思う。あまり考えすぎずに生きていけたらいいのにといつも思う。 でも、「考えすぎてきた人生で良かった」と思えることに、最近気づいた。 それは、「直感力」に自信が持てることだ。 私は、「考えるタイプの人だよね」と言われる一方で、意外と判断が早かったり、頑固だったりする自分のパーソナリティに疑問を抱いて

      • スーパームーンと金木犀

        夏とも秋とも言えそうな9月の日の夕方。 低い東の空に、燃えるように赤くてでっかい月が浮かんでいた。 その日、私は友人と田舎で子供のように遊んでいて、ちょうどロープウェイで山を降りている時だった。 ロープウェイの曇ったビニールの窓の隙間から赤と橙の間のような強い光が見えて目を疑った。 街灯??? 人工的なものかと見間違うほどの光。 そうだ、今日はスーパームーンだった。 不透明なビニールの窓から必死で見ようとしてもなかなかはっきりとは現れてくれないその大きな月に、は

        • 心の凪を一度は失ったとしても

          私は生まれてから20年ほど、本気で恋愛をしたことがないままに生きていた。 人を好きになるという感覚が良く分からなくて、周りの友人の恋愛話や相談事に触れていても、正直羨ましいという感情は全く抱いていなかった。 不器用なので、自分の目の前のやるべきことをこなすだけでいっぱいいっぱい。 残りの時間は自分と家族と、気の合う数人の友人たちに使うだけで充分に幸せ。 他人の言動にいちいちあれやこれやと振り回されたり、ましてや不幸な目に逢うなんてまっぴらごめんだと。 まあ、そんなこと

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        直感は数々の熟考の上にあるものだ

          わかられたら崩れるもの

          「あなたの前では、どんな時よりも素直でいられるけれど あなたの前でこそ、どんな人の前よりも素直でいられないから難しい」 と私が言った時の、「わかるようでわからない」顔を見て ずっとこのままでいて欲しいと思った 誰よりも「わかってほしい」と思う反面 わかられたら何かが崩れるような気もして

          わかられたら崩れるもの

          若さをもてあそんで

          夏になると聴きたくなる曲というものは、割と誰にでもあるのではないでしょうか。 私にもいくつかあるんですが、個人的に至高であると思っているのが、サニーデイ・サービスさんの「若者たち」です。 初めてこの曲を聴いたのは確か大学1年生の時。 私は、大学という場所が、あまりにも掴みどころがないもので、なんだか慢性的に憂鬱でした。 理由もないのに涙が出てくる日とか、ぜんぜんありました。 クラスに友達もいたし、高校生までの友達とも定期的に遊んでいたし、まあ一応サークルに入ったり、なん

          若さをもてあそんで

          6月1日

          私はなぜか、6月1日にnoteを書かないと気が済まないみたいだ。しかも滑り込みで。 今年、2022年の6月1日には、ほぼ就活を終え、アルバイトをしていました。 自分の周囲の大事な人たちの人生が動く1週間。 熱意と緊張感と運と縁。 言葉にできない「何か」たちが、ドードーと動いているのを感じて涙していたりした日です。 人の「気」(スピリチュアルな何かではなく)が人に与える波を感じた日でもありました。 みんなの人生がみんなにとって幸せなものでありますように。

          物語

          私は矛盾でできている。 読書をしていると、このことを突きつけられる気がする。 作家たちはありったけの感性を駆使して言葉を紡ぐ。 紡がれた言葉を咀嚼しようとする私たちは、その言葉たちがつくりあげる世界の広がりを見ると同時に、というよりむしろ有限性を突きつけられることがある。 何かが有限である、ことを知ることができた時、人は足るを知り、求めすぎることをやめる。 「物語」が好きな人は空想好きで浮き足立っているというのは間違いだ。 心の中に「物語」を多く蓄えている人ほど、よ

          虹、人生のすべて。『二十五、二十一』より

          以前にも一度、二十五、二十一の所感を書いたが、 友人と話したり、多少なりとも自分の人生が積もったりする中で残しておきたいことができたので、綴っておこうと思う。 適宜編集・追記を重ねます。 プラトニックな関係性の掛け算構成:「人生ドラマ」のバランス感覚日本制作では描けない関係性の尊さもまず、この作品の大きな魅力だ。 若者の恋愛関係が描かれているにも関わらず、そこにねっとり、じっとりとしたいやらしさ、性愛的な要素が全く感じられないのだ。 ヒドとイジン、ユリムとジウンの間の関

          虹、人生のすべて。『二十五、二十一』より

          仕事

          昨日電車に揺られていて思ったこと。 車内がスーツを着たサラリーマンで満ち溢れていて、「本当にこの人たち全員が働いているのか」と不思議な気持ちになった。 この人たち全員が、朝から晩まで働かないと賄えないほど、果たして世の中には必要な仕事があるのかなと疑問に思ってしまって。 そして、決してそんなことはないのではないかと思った。 生きるために働いているのか、働くために生きているのか。 心底わからないし、きっと働かなくてもなんとか生きていけるんだろうなぁと何となく思った。 こ

          「あの年の夏は、私たちのものだった」

          先日、韓国ドラマ、「二十五、二十一」を鑑賞し終えた。 ラブコメでもスポ根でもない、「人生ドラマ」に、悩みを抱えていた私は馬鹿ほど泣いた。 数々の名言に心動かされたこのドラマ。あらすじなどは割愛するが、軽く所感を綴っておきたい。 今22歳の私にとって、このドラマのテーマは「刹那の輝き」であるように見えた。 IMFや9.11。一人のしがない人間にはどうしようもない出来事たち=「時代」に、主人公の若者たちは大きく人生を動かされていく。 それは、変異を続ける未知のウイルスに翻弄さ

          「あの年の夏は、私たちのものだった」

          不思議

          私には、どうしようもなく、他人の過去が気になってしまうことがある。 「他人と過去は変えることができず、変えることができるのは自分と未来だけ。」 とはよく言われるもので、そんなことは頭ではよく理解しているつもりだ。 でもどうしたって、他人と自分の境界を曖昧にしてしまうことがある。「他人」×「自分とは異なる過去」をどうしたって理解することができず、受け入れることができない。こんな時は、自分のことが客観視できなくなっていて、正論や落ち着いている時の自分の言葉など、「理解」はで

          不思議

          さくら

          今日は、久しぶりにダラダラとテレビを見た。 「毎週録画した番組を、食事の時間に消化する」 いつの間にか、それ以外の見方をしなくなっていた。 スマホには、いつでもアクセス可能なコンテンツがいくらでも溢れているし、CMは時間の無駄だから。 ダラダラとテレビをつけていたら、ヒットソング特集のような番組をやっていて。 紹介される曲たちと、それに乗せてパネラーたちが話すエピソードと。 何より全力で曲を歌う歌手たちの映像が、何だかとってもよくて泣いてしまった。 昔の曲を聴いて、

          さくら

          しあわせ

          わたしは今、たぶん自分の人生の中で1番しあわせだ。 悩みやストレスももちろんあるけれど、それがほとんど自分のことだから。 与えられすぎて、「自分の努力次第でどうにでもなるでしょ」と思われる環境もそれはそれで酷だが、 自分ではどうすることもできない環境に置かれることのやるせなさったらない。 自分が辛い時、自分ではどうしようもないことで沼にハマっている時、 「普通」にしあわせそうにしている人たちを見るのが辛かった。 別にしあわせそうにしていなくても、「普通」を「普通」に

          しあわせ

          ピアノ

          きょうは、ダメダメな一日だった。 気づかないうちに疲れがたまってしまっていたみたいだ。 最近はコロナも怖いし、やることも多いしで、家から出ない日が続いているが、それも関係しているのかすっかり気が滅入ってしまった。 全く捗らず、思考停止になってしまった。こうなるともう、お腹もすいて疲れているのに何が食べたいのか分からなくなり、布団でひと眠りしてスッキリしたくてもできなくなる。 大好きなお笑い番組を見てもあんまりおもしろくないし… あーまたやってしまったという感じだ。

          ピアノ

          「他人が撮った写真見て、何が楽しいの?」

          はじめにここ数年、SNSが急速に普及して、思うことがたくさんある。 シェアするってなんだろう、自己呈示ってなんだろう、自己表現ってなんだろう、マウント取るってなんだろう。 どれも同じようで全て異なっていて、それがごちゃごちゃになっていることでカオスと化しているSNSというフィールド。 自分の世界が広がってゆく、いいところもたくさんあるけれど、私たちは知らなくてもいいことを知りすぎているのかもしれない。 現実の世界で普通に生きていたら、出会ったり知ったりすることのなかっ

          「他人が撮った写真見て、何が楽しいの?」