不思議

私には、どうしようもなく、他人の過去が気になってしまうことがある。

「他人と過去は変えることができず、変えることができるのは自分と未来だけ。」

とはよく言われるもので、そんなことは頭ではよく理解しているつもりだ。

でもどうしたって、他人と自分の境界を曖昧にしてしまうことがある。「他人」×「自分とは異なる過去」をどうしたって理解することができず、受け入れることができない。こんな時は、自分のことが客観視できなくなっていて、正論や落ち着いている時の自分の言葉など、「理解」はできても受け入れることができなくなっている。

正直こうなったら時が経つのを待つしかないのだが、今日、お気に入りのプレイリストをシャッフルしながら聴いていたら、星野源さんの「不思議」が流れてきた。

幼い頃の記憶 今夜食べたいもの 何もかもが違う 
なのになぜ側に居たいの 他人だけにあるもの

ここで歌われる「ふたり」とは、恋人、むしろ夫婦のことであり、「不思議」に惹かれる感覚というのは、運命的なパートナー特有のものであるのだろう。(最後「二人をいま 歩き出す」とか言ってるし)

しかし、この曲の言葉には、「自分と他人」という関係を俯瞰するヒントが隠れているように思う。

他人との「違い」を受け入れることって、とても難しい。(と私は思う)と同時に、「違い」があるからこそ惹かれ合い、補うことができるのもまた紛れもない事実だと思う。

特に「他人」×「自分とは異なる過去」は、どうしたって理解が追い付かず、更に絶対に変えることができないために受け入れるのが難しい。

このパラドキシカルな感覚を受け入れられるほどに成長したとき、真のパートナーに出会えるのだろうか。

「パートナー」と言って異性関係だけを想定しているわけではないが、(法律的にも実質的にも)どのような形であれ、「晩婚化」が進んでいたり、離婚率が上昇していたりするという事実は、

自分のことに精一杯な時代になり、「不思議」な感覚を持ちうるまでに時間を要するようになったり、そのこと自体に価値を見出さない人が増えたり、といった背景が隠れているのだろうか。

または、モノがあふれる時代に人々はどんどん欲深くなり、「不思議」を受け入れるまでもなく、「完璧」を求めるようになったのだろうか。

「どこが違う、なにが同じ」など頭で思考せずに、時を過ごしていけたらいいのに。

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