若さをもてあそんで

夏になると聴きたくなる曲というものは、割と誰にでもあるのではないでしょうか。

私にもいくつかあるんですが、個人的に至高であると思っているのが、サニーデイ・サービスさんの「若者たち」です。

初めてこの曲を聴いたのは確か大学1年生の時。
私は、大学という場所が、あまりにも掴みどころがないもので、なんだか慢性的に憂鬱でした。
理由もないのに涙が出てくる日とか、ぜんぜんありました。

クラスに友達もいたし、高校生までの友達とも定期的に遊んでいたし、まあ一応サークルに入ったり、なんとなく知り合った友達の友達とも結構仲良くなったり、授業も切らず勉強も真面目にして成績もよく、恋愛はからっきしでしたが、楽しくしていたはずなんです。なのにどこか鬱々としていて、そのだるさの所在が良く分からなかったんです。

そんな時に聴いたのが「若者たち」。

まずポップで軽快で、でも淡々としたイントロに掴まれました。
シティポップって、この淡々と飄々としたようなリズムが、とっても好きでです。
繊細な者が自分を守るために鈍感になり、全ての期待をやめ、自分のリズムを作ろうとしている感じがして。

そして歌い出しはそのリズムにそのまんま乗せて。

きみの黒い髪がすこし長く
なりすぎたなら

「黒い髪が長くなりすぎる」
これだけで、青く若い人間の姿が、胸が締め付けられるくらいに伝わってくるのはなぜなのでしょう。

これを聞いた瞬間に、私はこの曲が好きだ、とても好きだと確信しました。

好きなフレーズを切り取ったらきりがないし、曲のストーリー性が失われてしまうのでやめます。
でも、サビを聴いたとき、なんだか、私が今(当時)大学生活に抱いている虚無感がすこし姿を現したような気がしたんです。

彼女はと言えば
遠くを眺めてた
ベンチに腰かけ
若さをもてあそび
ずっと泣いていた

私は「若さをもてあそんでいる」んだと。

正解の与えられない、中途半端な自由だけが与えられた時間・空間に放り出されて。別にやりたいことなんて何でもできるはずなのに、なんだかんだで結局できない、やらないこの感じ。

自分のこともみんなのこともよくわからない。

精神年齢と与えられた自由と責任のちぐはぐさ。


その所在なさからくる、「なにもかもがよくわからないや」という何となくの不安って、結局のところ「若さ」なのかなって思えたのです。

いつかはそんなことも感じなくなるくらいに忙しくなって、そんな気持ちも忘れてしまうのかもしれない。

だからこそ、「もてあそぶ」という言葉がしっくりくるんですよね。

あれから3年。

私は大学4年生になり、就職先も決まりましたが、今でも若さをもてあそんでいる気がします。