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どれを選んでもいい。


久しぶりに友人と会って色んな話をしました。

世間一般でいう『幸せ』というものが
必ずしも自分にとって幸せを感じるものとは限りません。

どれを選んでも、自分が納得して
『自分が』幸せだと感じるならば良いと思うのです。
(だからと言って故意に人を傷つけるとかではなくて)

これがあれば、彼がいれば、こうなれば
幸せ。
それは一つのきっかけに過ぎず、その気持ちを感じるのは自分の心です。
自分が自発的に感じること。

人や環境や物に自分の幸せの全てがかかっているとは思いません。


人に話したいこと、話したくないこと
話せないこと、色んな事が出てきます。

親友だから、家族だからといって全てを話す必要もないとわたしは思っていますが
頼れる人がいて頼りたい時は、そうして良いとも思います。

変化していく自分を受け入れてほしいと思う気持ち
でも受け取る受け取らないは人それぞれの範囲なので、もしも思うようにならなくても悲しむ必要はないと思います。

ただ、人の気持ちというものは揺らぎやすいです。

起きた時にモヤモヤした気持ちや悲しい気持ち
時々湧いてくる焦りや怒り
それらを持ったまま、日常を過ごして淡々と生きていく事も良いと思うのです。

何でもかんでもスッキリ白黒はっきりさせる事が良いわけでもない。
時間が経ってみて『あぁ、そうか』と自分の中で納得する事だってあります。

自分の本音と感情を無視して見て見ぬ振りして、蓋をする方がよっぽど苦しい。
気が済むまで見つめて受け流して行けばやがてその気持ちは落ち着いて、消化されていくと思います。

人に受け入れられたいと思う気持ち
その前にまず自分が自分を受け入れてるか?

こうなっていない自分はダメなんだ、と
こだわり過ぎることは時に自分自身を突き放している事になります。

条件付きでの愛してるというもの。
それは脆くて崩れてしまうと思うのです。

良いところだけを見ていたいならそうしていれば良いです。
それも間違いではありません。

でも心が窮屈に感じるという事は
制限をし過ぎているのかもしれない
条件をつけ過ぎているのかもしれない
こうしていない自分には価値がなくてダメなんだと

自分で自分を追い詰めているのかもしれない。

一度全部を見て受け入れてから
『まー、いいか!』と思ってみると案外楽になります。

自分の中に緩みが出来て、心地良さも戻ってくる
思い出す。

受け入れられていないと感じる時
自分自身をどう見ていたか、少し離れて見てみるのも良いかもしれません。


どれを選んでも正解不正解はありません。
その時の自分の最善だったこと。

そしてそれらもまた、一つの通過点となり
点の一つです。

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