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コスモナウト 第十一章 新たな星

ゴホン、と再び咳をした。長期間の航行が続いたためか、体の節々も痛む。義手の付け根も最近は傷むことはなかったが、今は、時折鈍い刺激が脳を駆け巡るのだった。自然と額にも汗がにじむ。今までの旅は病気とは無縁であった。だからこそ、初めてのこの現状に戸惑い、恐怖した。
もしこのまま続いていくとするならば、と。
そのため、この星に不時着する時も危険が伴っていた。ある程度のガイドはされていたにもかかわらず、その着地まで時には船が傾くこともあった。
満身創意の状態で船から降りる。足取りは重い。波止場守が近寄って来たが、その内容は聞き取れず、とりあえず金貨1枚を手のひらに乗せ、後にした。
まずは、休みたかった。体を横にし、暗闇の中で眠りたかった。日の光を感じることはできたので、どうやら夜、ではないらしい。そのため宿が客を入れてくれるかは疑問だったが、とりあえず目についた宿に入ることにした。
「お客様、大丈夫ですか?」
「ええ、まあ大丈夫ではありませんけど」
彼は物わかりが良く、特例と形で部屋を取らせてくれた。病人は断られることの方が多いからだ。
部屋に入るなり、その場で倒れ込んだ。ぜいぜい、とする自分の歯切れの悪い呼吸音が聞こえる。
なんとかベッドまではいずり、布団を被らずに寝てしまった。
痛みで目が覚めた。胸の痛みだ。骨の節々、義手の付け根、どれもこれもが痛かった。
咳をする。窓を見ると深夜だろうか、しん、と静まりかえる部屋の中で自分の咳をする音だけが聞こえる。その時、嫌な感じがした。口に含まれた違和感を吐き出す。それは赤色の液体であった。
朝になるまで寝付けることは出来なかった。時折、便所に駆け込んでは、吐血した。事態が最悪であることは間違いはなく、ボロボロの状態で服を着込み、部屋を出る。
「病院、ですか」
「この辺に、あるかな」
「ええ。すぐ近くん比較的技術のある医者がいますが」
「案内してくれるかな」
最後の言葉は聞き取れないほど、かすれた声だったと思う。しかし、この思慮深い青年は了承し、肩を貸してくれた。
時折、休憩しながら10分ほど歩いた時、大きな建物の前で医者が一人いた。
どうやら、出発する前に連絡をつけてくれていたらしい。それが功を奏し、すぐさま担架で運ばれた。最早、その時に意識はなかった。
気付くと病室にいた。大部屋である。カーテンが光の中、揺れていることで気付いたのだ。体を起こす、薬を投与してくれたのか体の調子はそこまで悪くはなかった。
カーテンを開けると、老人が一人座っていた。彼はうつろな目で天井を眺めている。
「まさか、ね」
一人で呟く。その言葉は咳で潰されてしまった。しかし、その声に眼鏡をかけた若い看護婦が気が付いたらしく、近寄って来た。
「患者さん、お体は」
「ああ、何とか」
彼女はすぐさま飛んでいった。医者を呼びに行ったのだろう。窓から景色を見る。はっ
きりと意識のある状態では、初めて見る景色だ。
コンクリートの建物が並ぶ。そこには様々な色とりどりの服を着た若者たちが信号を待っている。モーターカーがその横を通る。
「ええと、アポロンさん。であっているのかな」
一人の若い、もしかしたら自分と同じ年であるかもしれない医者が現れた。髪を肩まで伸ばした男だ。
「ええ。そうですが」
「ホテルの人が名前を教えてくれましたよ。私はあなたの担当になりました、サトウと言います」
「はあ」
彼はゆったりと、持ってきたパイプ椅子を運び、そこに座ったのだった。
「申し訳ありません。急に訪れてしまって。お金ならここに」
袋を出す。彼はそれに一瞥するだけで、受け取ろうとはしなかった。
「アポロンさん、お金はまだです」
「なぜです?」
その質問に彼は、ゆっくりと落ち着いた低い声で答えた。
「長い闘いになりそうだからですよ」
嫌な雰囲気を感じる。
「ええと、アポロンさんご職業は?」
「ああ、僕はこの辺の人ではありません、と言いますのもコスモナウトなんですよ」
「コスモナウトって、宇宙を旅する、あれですか」
「それです」
彼はその返答に納得したように頷いた。
「通りで」
「通り、とは」
彼はじっと目を見つめる。その口が開く時、自分は静かな決心をしていたのかもしれない。
「末期の癌、ですね」
彼はしっかりと、事実を述べた。
「宇宙にいる時間が長い、そういった方ならば必然的に恒星などの放射線を常人とは比べ物にならないほど浴びます。それが発がん物質となり今、アポロンさんの体には数多の腫瘍が確認されました」
自然と悲しくはなかった。これは宇宙を旅するもの、宇宙へ行く者の宿命だからだ。今まで長い旅をしてきた。だからこそ、仕方がないことなのだとは思う。
「ちなみに余命はお聞きになりますか?」
医者は淡々と続ける。その問いかけに頷く。
「一年でしょう。多めに見積もってです」
返事をどのようにすればいいのか、決めあぐねていた。流石にもう少し保つ、と自分の中で考えていたからかもしれない。
彼はしばらく、隣に座り、今後の方針、延命治療の有無、家族との連絡など様々な事を語りかけて来た。
「それでは、また明日、参ります」
そう言い、サトウと名乗った医者は消えていった。
「さて、どうしたものかな」
一人つぶやく、その言葉に交じり咳が出た。
手持ちの資金、金貨20枚程度に銀貨が50枚ほどある。これならばあと3つの星を回
ることができそうであった。1年、という歳月を病室で過ごすことを医者に勧められた。当然のことだ、と思う。
「医者として、あなたをここから出すわけには行きません。宇宙はあきらめて下さい」
サトウは、自分の退院依頼を何度も、そう言い拒むのだった。そこで、ある時の夜に一つの決意をすることにしたのだった。脱走しよう、と。
前々、というより、余命を宣告された時に脱走に近いものをしたのだが、すぐさま看護婦に留められてしまったことがあった。だからこそ、脱走は計画を十分に練らなければならないのだった。
夜中にそう考えている時も、薬は切れ、時には死の痛みが襲いかかる。
咳も多くなり、次第に吐血もますます鮮やかな赤になっていった。
時間がない。簡単に言うと、それが脱走する理由なのだと思う。今、この時も死の足音が近付いているのだ。いずれ体は痩せ細り、立つこともままならなくなるだろう。
そして、それはコスモナウトとしては死んでいることに変わらないのだ。
だからこそ、自分には時間がないのだ。宇宙に呼ばれる者にとって、また時間が無い男にとって、この病室を抜け出すこと以外に選択肢はありはしないのだ。

次の日から、病院をくまなく調査した。看護婦の勤務する時間帯、人通りの少ない出入り口などなど。時折看護婦に注意され、患者に怪しまれる。そんな事を続け、一週間が過ぎていくのだった。
脱走計画が十分に練られたころ、一人で朝の木洩れ日の中、頭の中でシミュレーションを行っていると、看護婦が声をかけて来た。
「アポロンさん、何をしようとしているんですか?」
はじめに自分が覚醒したことに気付いた女性だ。眼鏡の下には優しい瞳が覗いている。
「いえ、別に何も」
「いいえ、それは嘘ですよ。普通ならば、宣告された人はやはり、明るく見繕っても、その心の下にある闇を感じさせるものです。けれども、あなたは違う。なんていうんでしょうか、そのまだ眼が光っている、そんな気がします」
彼女はタマキ、と言うらしい。その後も彼女は度々訪れた。他愛もない話をつづけなが
らも、彼女は自分がまだ宇宙を諦めていないことに気が付いていた。そして彼女は自分が脱走すること、それにも気付いているらしかった。それを証拠にタマキはほぼ1時間おきに自分を訪れ、安否を確認するのだった。
そのため、脱走計画は狂いが生じ始め、時期を延ばす事になった。そのままベッドで過ごす日々は1か月が過ぎようとしていた。
夜、窓からは「早く戻ってこい」と言うように星々は輝く。その返事をすることはできず、ただ安穏と星々を夢想しては眠りに落ちてしまうのだった。問題は複数ある。というのも、まず一つ目は、脱走計画の狂いである。タマキの存在がどうしても邪魔をしてくる。
二つ目の問題としては、宇宙船だ。料金は一週間ほどしか払っていないので、もしかした
ら他の保管庫に送られているか、もしくは売り飛ばされてしまったか、どうしても宇宙へ出るための足が必要になってくるのだった。
そして最後の問題、それは自分の病についてだ。いくら、脱走したとしても、薬はない。そのためどこかで調達する必要もあるのだった。またそれにともなった資金も必要になってくる。
それぞれの問題を突破できる回答を遅くとも、明日までには考え出さなければならない。
時間はあまりにもない。
「経過は芳しくありません」
サトウは次の日の朝、その長い髪をかき上げて言った。時々、自分はベッドに乗せられたまま、謎の機械に入れられる。それはレントゲン、と言われるものであり、そこでは体の中身を見ることができるらしい。
「アポロンさんは未だ若い。29歳であることから、細胞分裂は活発です。そのことが災いをもたらしている。もしかしたら余命を改めなければらない」
彼は淡々と続けた。感情は介入されていないように思えた。しかし、この事が嫌というわけではなかった。彼は事実を言う、そこに感情が入っていないことは情報のバイアスを入れることはないからだ。だからこそ、まぎれもない真実を語ってくれる、その事が彼を優秀と呼ばせているのかもしれない。
彼の去り際、答えを見つけだすことができた。今夜、この病院を脱出する、という事だった。余命、つまり病状が悪化している。もしかしたら明日には歩けないかもしれないのだ。問題を解決することよりも、まずは行動。その先に、解答を求めなければならない。
そう決心すると、昼食が運ばれた後、荷物をまとめた。
夜は訪れた。この時間、夜9時に勤務する人々は変わり、夜勤をするための若い看護婦が来る。その情報の引き継ぎのために一度、皆が集合する時間があるのだ。
ベッドから抜け出す。そろり、と靴を履き、病室を後にする。その時、しゃがれた鈍い声が聞えて来た。
「いくのかい」
あの寝たきりの老人だった。てっきり意識はないと思っていた。そんな彼が夜行生物のように目をギョロリと動かし、こちらを見ていた。
「ええ。僕には未だ」
「そうか。頑張ってくれ。命というのは、終わるまで命である」
彼はそう言い、歯を見せ笑った。
「あなたもお元気で」
そう言い、扉を開いた。
廊下は、暗闇に包まれている。道導はないため、自分の記憶が頼りだ。
壁をつたい、歩く。その行為は、久しぶりのため、自然と足取りはおぼつかない。暗闇
のなかふわりと歩く自分は、さながら宇宙空間にいるようだった。
なんとか、月明かりがこぼれる出口に辿り着いた。その下にしゃがみ、一つの手紙と手
持ちの金額の半分を置く。足りないかもしれないが、大目に見てくれることを望んだ。
ドアノブを掴む、その時背後に気配を感じた。
サトウとタマキがいた。二人は並んで立っている。
不味い、と思い勢いよく脱出しようとすると、声をかけて来た。この声はサトウだ。
「アポロンさん」
その声に振りかえる。
「宇宙へまた旅をするのですか、あなたは」
こくり、と頷く。すると彼は顔をいぶかしめる。
「分かりません。なぜ、痛みを伴うその体で、旅を続けるのか、何故、宇宙を目指すのか、全くわかりません。ふつうならば家族の元で余命を過ごす、それが普通でしょうに」
「それは分からないのは当然ですよ。私はコスモナウトですから、逆に私にはわかりませんでした。何故、私の時間がないことをしりながら、縛りつけるのか」
「それは当たり前でしょう。私は医師です。コスモナウトではない。命を守るのが私の仕事です」
「だからまた僕を連れ戻すんですか」
彼はその質問には首を横に振った。その反応は意外なものだった。いつもの彼ならば、冷たくあしらう。
「医師としてあなたをここから出すわけにはいかない」
しかし、と彼は続ける。その声は抑揚のある感情的なものだった。
「一人の男として、私はあなたに旅に出て欲しいとも思います。夢を追うもの、アポロンさん、あなたは未だそういう者の目をしている」
だから、と彼は近寄って来た。
「このお金をお返しします。これは一時退院ですから」
「でも、僕はもうここには」
タマキは一つの小包を手渡した。
「体が痛む時は、これを飲んでください。食事の後が望ましいです。けど、無くなったら戻ってきてください」
彼女は眉をひそめる。かれらは医療関係者なのだ。命を守るもの。その彼らが命を投げ出すものに手助けをしているのだ。それは彼等の仕事が、意味のないものだと突き付けるものなのかもしれない。
「ありがとうございます」
一つ頭を下げる。ドアを開けると冷たい空気が流れ込んだ。
病院を後にしようとした時、サトウが叫んだ。
「宇宙はそんなにいいものですか」
自分は笑顔で答えた。
「とても、いいです」
彼らはその言葉を聞くと、返事もせず、自分を待つ星の元へと道中を急いだ。


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次の章です。

前の章です。

一章です。

短編です。


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