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土橋 玄&東 祐太朗/げんたろうファーム

法人名/農園名:株式会社Gy/げんたろうファーム
農園所在地:沖縄県石垣市
就農年数:土橋 玄さん(写真左 6年)、東 祐太朗さん(同右 2年)
生産品目:露地とハウスで作る多品目野菜(オクラ、紅イモ、きゅうり、ピーマン、かぼちゃなど)
SNS:https://twitter.com/gentarofarmhttps://www.instagram.com/gentarofarm/

no.150

大学の同級生が起業。二人だからこそ、夢は2倍に膨らむ!

■プロフィール

 土橋 玄さんは日本大学文理学部、東 祐太朗さんは同大学経済学部の同級生で、同じ寮で生活するうちに親しくなり、将来は二人で起業したいと考えるようになる。

 土橋さんの海外留学により卒業時期は1年遅れたものの、2015年の卒業後、石垣島に移住し、野菜農家をしていた東さんの父親に弟子入りして、8カ月にわたってオクラなどの栽培を学ぶ。東さんの父親の伝手(つて)を頼って自分名義の土地を取得したのち、2016年に独立。

 一方、東さんは2014年の大学卒業後、石垣市役所に就職。農業関係を担当する部署を5年間、都市計画関係の部署を1年間の勤務を経て、土橋さんと二人で就農する道を選ぶ。

 50アールの畑からスタートし、現在は生産規模3.6ヘクタールに拡大。2021年12月には法人化して「株式会社Gy」を設立、農場名は二人の名前をつなげた「げんたろうファーム」と命名。

 2022年は9月に2度にわたって台風被害に遭い、80アール分のオクラのマルチングフィルム(マルチ)が壊滅的な被害に遭うなど苦労しながらも、早い段階での植付計画の変更等、試行錯誤を続けている。2022年にはハウスの規模が70アールに拡大した。

■農業を職業にした理由

 大学の同級生だった二人が、同じ寮で生活したことがきっかけで意気投合し、将来は飲食店かサービス業で起業したいと考えていた。

 海外留学を終えた土橋さんが大学3年生の時に、東さんの実家がある石垣島に遊びに行ったことで、卒業後は移住を決意し、農家をしている東さんの父親に弟子入り。

 一方、一足先に卒業していた東さんは、農業未経験者の二人が同時に就農して共倒れになるリスクを回避するために、まずは経済基盤を安定させようと島の市役所に就職。公務員として働きながら、父親の紹介で50アールの土地を取得した土橋さんと一緒に、オクラを中心に少しずつ生産規模を広げていった。

 専門知識ゼロのため、最初のうちは「種さえ蒔けば勝手に育つ」と思いこんでいた二人だったが、連作障害や病害虫被害を経験して以来、農業改良普及員の指導を受けたり、近隣の先輩や同世代の農家に教えを乞うようになって、少しずつ経営が安定。

 2020年には東さんが市役所を退職し、土橋さんと一緒に農業に専念する道へ…。法人化した方が、流通会社や商社などが相手のビジネスチャンスが広げられるとして、2021年12月、株式会社Gy、農園名「げんたろうファーム」を設立。規模拡大と共にスタッフの雇用を始め、現在はフルタイム、パート従業員合わせて6人体制となっている。

■農業の魅力とは

土橋さん
 東のお父さんに弟子入りしたとはいえ、二人とも農業の専門知識はないので、農薬にこんなにたくさん種類があることも知りませんでした。就農2年目で連作障害が発生した時に、八重山農林水産振興センターの改良普及員の指導を受けたことがきっかけとなって、わからないことがあれば、すぐに農業の先輩に尋ねることにしています。

 インターネットやSNSを通じて簡単に情報が得られるとはいえ、移住就農者にとって“生きた情報”こそ、貴重です。石垣島は移住者や旅行者が多く、都会から来た人にとって、畑作業は非日常の体験ですから、いつかマンゴーやパイナップルなどのフルーツにも挑戦して、観光農園化することも夢見ています。

東さん
 市役所では補助金や助成金などの申請業務を担当していましたので、農業経営を始めるうえで、それらの知識が役立ちました。窓口業務は苦情対応も多いので、自分が作った野菜でお客さんから感謝されたり、"スーパーで売っているものより美味しい"と喜んでもらえると、農家になって良かったなと感じます。

土橋さん&東さん
 就農4年目の2018年には、オクラが石垣島島内のシェア30%になりました。沖縄のオクラは九州産より早く、3月から出荷できますが、夏になるとポリ袋が黒ずんだり、傷みやすくなるのが課題でした。

 コストはかかりますが、ネット袋に変えた結果、取引量も増えました。今では出荷先を見直して、農協出荷分を100%から20%に減らし、toB向けの取引を増やした結果、経営が安定し、年商4,500万円に成長しました。

 二人とも農業の専門知識はないですが、農地の取得や栽培面において、頼れる師匠が近くにいたことは本当に幸運でした。これからもさまざまな課題が待ち受けていると思いますが、大学の同級生という信頼関係で結ばれているので、お互いに気を使うことなく、精神的に支え合って困難を乗り越えていこうと思っています。

■今後の展望

 2021年12月に法人化し、2022年10月にはハウスの規模を拡大しました。オクラが中心の露地栽培では収穫が終わった夏場は収入が減りますし、台風被害のリスクがあります。

 年間を通じて安定した収入源を確保するためにも、冬場はピーマンやミニトマト、きゅうり、ゴーヤなどの施設野菜の生産を増やしていこうと思っています。 これまでは作物を作ることで精一杯でしたが、30歳を節目に、5年後の35歳までには、経営者として次の展開を考えていきます。

 現在は二人で行なっている現場作業も、従業員に任せて、経営者としてオペレーションに専念するために、ピラミッド型の組織を目指しています。また、マンゴーやパイナップルなど石垣島産であることを訴求する果物を作って、観光農園や6次産業化にも挑戦したいと考えています。

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