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青沼 光/clover farm

法人名/農園名:株式会社clover farm
農園所在地:富山県高岡市
就農年数:7年
生産品目:酪農
HP:http://clover-farm.blogspot.com/

no.171

放牧に憧れて酪農家へ。牛乳の価値を高めるために行動する

■プロフィール

 広島県広島市の非農家出身。中学2年生の時にテレビで草原を走り回る牛の姿を見たことがきっかけで酪農に憧れるようになり、広島県立西条農業高校畜産科に進学。

 教師のアドバイスを受けて進学した新潟大学農学部では、草地学や牛の繁殖技術を研究する。大学卒業後は、後継者候補として長野の牧場に住み込みで働くようになり、経営改善のためにさまざまな提案を試みたものの、雇用主との関係が悪化して2年で退職。

 深い挫折感と失意のなか、新規参入に取り組もうと考えたこともあったが、自信は取り戻せなかった。 2011年、富山県黒部市の新川育成牧場(現・くろべ牧場まきばの風)で研修生として働き始め、翌年には妻・佳奈さんと職場結婚。

 第一子誕生後の2014年には牛舎長に昇格して、経営にも関わるようになった頃、高岡市の酪農家が廃業するため、経営を引き継いでくれる就農者を探していると知る。

 経営開始資金や資金の無利子貸付制度を利用するうえで必要な認定新規就農者資格を取得して、2015年4月「クローバーファーム」を開業。米どころ富山で、県産牛乳の生産供給体制を維持するためのさまざまな活動にも熱心に取り組み、県乳牛協会会長も歴任。

■農業を職業にした理由

 サラリーマンの家庭に生まれ育つが、10代の頃から酪農に憧れて、地元の農業高校から新潟大学農学部に進学。酪農家を目指すうえで必要な牧草の勉強や繁殖技術を学ぶうち、資金不足を補うためには、あとつぎがいない牧場に就職して、経営を継承した方がいいと考えるようになった。

 卒業後は長野県の牧場に後継者候補として雇用され、牧場主の家に住み込みで働き始める。この牧場は、牛をつながない「フリーストール形式」の牛舎で放飼いをしていたにもかかわらず、牛が牛舎を出て土の上に出ることはなかったため、放牧を部分的に取り入れるなどの提案を繰り返し伝えたものの、ことごとく反対にあって、雇用主との関係も悪化。

 挫折感を味わって2年で退職し、一時は「酪農から足を洗おうか」とさえ考えるようになった。24歳の時に友人から紹介された富山県の育成牧場の仕事は、後継者候補としてではなく、一研修生という立場も手伝って、精神的な負担が軽くなり、自信と情熱を取り戻すリハビリになったという。

 職場結婚して子供が生まれ、牛舎長として責任ある仕事を任されるようになった頃、高岡市の80代の酪農家が引退することを知り、4年勤めた育成牧場を卒業して、独立への道が開けた。

 事業承継にあたっては、つなぎ飼いをやめて、牛が自由に動くことができるフリーバーンに改修したり、農機具や設備は他の離農農家から中古を譲り受けたり、自分たちでできる部分は手作りするなどして、投資額を小さくすることに努めた。

 乳牛の頭数を増やして規模拡大を目指した矢先に、乳牛の市場価格が高騰。そこで大学時代に習得した知識を活かして、廃用予定の母牛41頭を格安で導入し、餌をたっぷり与えて栄養状態を改善した結果、6割の牛で生産能力が回復。2年後の2017年には1頭あたりの年間成績が、富山県全体の酪農家の平均を上回り、県の酪農業を牽引するリーダーとして期待されている。

■農業の魅力とは

 独立当時の2015年は、乳牛の市場価格が高騰していた時期でした。生産規模拡大のために、当初は市場で買った牛で増頭するつもりでしたが、借入金を少しでも減らすために試したのが大学時代に学んだ繁殖学の知識です。

 乳牛は妊娠しにくくなったり、1日あたりに生産する乳量が20kg以下になると廃用処分になります。先輩農家からそういった牛を格安で引き取って、もう一度現役で働けるようにする再生方法を思いつきました。

 つなぎ飼いの牛は通常、太らせてしまうと繁殖や分娩事故につながるため、エネルギーの給与量を緻密に計算されていますが、計算上の量と実際の給与量、牛の個体差によって、必要量をわずかに満たせていないことが原因で、繁殖に失敗している場合があることを学んでいました。

 そこで、勇気は必要でしたが、食べる量を牛自身に任せて、バランスが取れた餌を好きなだけ与えることで、繁殖率が高くなり、乳量も回復したのです。

 3年間に導入した廃用牛41頭のうち、この方法で26頭を再生しました。同時に、生産能力が高い遺伝子を持つ牛を増やすため、育成と交配にも力を入れたのです。

 酪農を志したきっかけが放牧風景ですから、開業当初から積極的に組み込んでいます。放牧はただ牛を放つだけでなく、事前に環境整備の必要があるのですが、機械や農薬を使うことなく、乳牛とヤギを一緒に放牧することで、牛が嫌がる硬い雑草の少ない、イネ科中心の放牧地に切り替えることに成功しました。

 牧場は、市内中心部に近く、本来ならば畜産には不利な条件ですが、日ごろから市民に酪農に慣れ親しんでもらう機会を増やすことで、ファンを増やしていきたいと思っています。

 こうした努力は、地域のフードロス解消にも結びついています。米どころ富山では、稲穂と茎葉を刈り取ってロール状に成型して乳酸発酵させた稲発酵粗飼料(WCS=稲ホールクロップサイレージ)があるので購入しています。

 また、酒粕やビール粕、ウイスキー粕、おからや野菜の切れはしなどの食品残差物は、これまで食品加工メーカーがお金を出して廃棄していましたが、餌として譲り受けています。

 時期にもよりますが、こういったエコフィードなどが大量に集まる時には牧場にいる牛の餌の量の半分を置き換えることに成功しましたし、フードロス解消への貢献によって酪農の価値が高まります。それに、牛糞は田畑の堆肥になりますから、地域の資源循環にもなっているのです。

■今後の展望

 ウクライナ危機によって輸入飼料が高騰し、燃料高、子牛の価格暴落などが打撃となって、酪農家の経営はかつてないほど深刻です。コロナ禍で学校給食が減って牛乳余りが続いたことから、政府は生産能力の低い牛の淘汰に助成金を出す方針を決めました。日本の酪農の存続が危ぶまれています。

 そうしたなか、私があえて問いたいのは、「牛乳の価値を上げるために、酪農家自身はこれまで何をしてきたのか?」ということ。現在の畜産業は、海外から輸入した飼料に多くを依存していますが、地域で作られた餌(=資源)を与え、米や野菜農家と一体で取り組む「耕畜連携」によって、資源を循環させていくのが本来あるべき姿だと思い、エコフィードに取り組んできました。

 フードロスや地域資源の活用など、酪農家自身が社会のニーズに応えるために、日頃からベストパフォーマンスを尽くすことで、「牛乳を飲んでください」と胸を張って訴えることができると思います。「酪農経営が苦しいから助けてください」とすがっているだけでは、社会の理解を得るのは難しいでしょう。

 酪農は毎日牛乳を搾っていれば、乳業メーカーが引き取りに来てくれるので、農家が自ら販売する必要ありません。牛を飼う技術さえあれば家族で生活できますが、牛のことを知れば知るほど、牛乳の価値を高めるために、酪農家自身が社会に眼を向ける必要があると思います。

 富山県には乳牛メーカーが7社あるのですが、実は県内の牛乳の消費量の半分近くが県外産で、酪農業はジリ貧の状態です。県産の新鮮な牛乳生産体制を維持するためにも、乳牛の数を2.5倍の100頭に増やしたいと考えています。

 そのためには雇用を進めて、人材育成にも力を入れていきたい。かつての自分が苦労した経験から、独立を希望するスタッフにはのれん分けを通じて、第2、第3牧場の形でサポートしたいと考えています。 また富山県は米どころなのに牛糞堆肥の活用が進んでいません。そこで、耕畜連携体制を確立して、地域の資源循環の輪を広げていきたいと考えています。

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