見出し画像

【三国志の話】三国志の「失われた世代」(前編)

はじめに

 団塊ジュニアとその下の世代が「ロスジェネ=失われた世代Lost Generation」と呼ばれるようになって、かなり経ちました。

 日本の近現代は「40年ごとに好景気の山と不景気の谷を繰り返す」と言われています。
 論者によって多少の差はあるかと思いますが、だいたいこのようなまとめになると考えられます。

日本の近現代の略年表

1865 徳川幕府の失政による不景気。通貨政策なき開国により国内の金が大量に流出してハイパーインフレが起こる。

1905 日清日露戦争の勝利による好景気。軍需産業が潤うとともに、国策企業を中心として大陸への市場開拓が進んだ。

1945 太平洋戦争の長期化による全体主義政府の自己破産。物資不足により今度は不況下のハイパーインフレが起こる。

(昭和の成功パターンが確立。年功序列により低賃金で揃えた若者の労働力を、新卒一括採用で質も揃えて、終身雇用を保証して長期に大量に確保する。)

1985 高度成長とバブル経済による経済成長のピーク。実際は低賃金労働者の人海戦術に支えられた、将来の成長を先取りした好景気のインフレ。

2025? 昭和の成功パターンの行き詰まりが招いた長い不況。サラリーマン経営者の思考停止(任期満了までの事なかれ主義)のため、新規事業への転換にも人材への再教育リスキリングにも舵を切れず。ただ早期退職で人材を流出させるのみで、少子化と家計防衛による内需の先細りに対して打つ手なし。

日本の近現代の略年表(筆者作成)

 単純計算では、80年生きれば好景気の山と不景気の底をどちらも経験するはずです。問題は、いつどちらを経験するかです。

 例えば団塊世代だとしたら、こうなります。
 1947年に生まれて、幼少期には食糧難の生活を経験するも、高校生で東京五輪を迎え、以後もずっと経済成長を続ける。40歳前後でバブル景気を経験して、2007年リーマンショック前に定年退職。

 それに対して、約25年遅れて生まれた団塊ジュニア世代は、こうなります。
 1972年に生まれて、高校生まではバブル景気に浮かれた大人たちを見て育ち、突然のそれも長い不況による、就職氷河期という名の同世代による椅子取りゲームを繰り返す。公的年金も退職金も減ったため、定年以降も低賃金で働く。計算上は、90年以上生きれば2065年前後に好景気を迎えるはずですが・・・。

歴史は繰り返す

 長い人類の歴史上は、同じように、山と谷が交互に来るような時代は多々あります。というよりも、天国から地獄、地獄から天国の繰り返しだったと言ってもよいでしょう。
 2世紀後半から3世紀の中国(後漢末から三国時代)にもありました。

後漢末から三国時代の略年表

外戚がいせき名士めいしが手を結び、宦官かんがんとの権力闘争が激化する)
※外戚は皇后や皇太后の一族で、「平家にあらずんば人にあらず」のように高位高官を独占した。名士は、儒教的な秩序を重視する知識人階級。宦官は宮刑を受けた男性のことで、集団を形成して多くが皇帝の側近になった

167年 第一次党錮とうこの禁

168年 竇武とうぶ(外戚)・陳蕃ちんばん(名士)が宦官排斥に失敗して殺される

169年 第二次党錮の禁

(国家公務員が大量に逮捕やリストラされる)

184年 黄巾こうきんの乱が勃発

(各地の役所が攻められることになり、地方公務員も命がけとなる)

189年 何進かしん(外戚)と組んだ名士めいし袁紹えんしょう袁術えんじゅつら)が宦官を一掃。董卓とうたく献帝けんていを擁立し、一時的に混乱を収める。

(ここから名士の復権が始まる。ただし多くの名士は戦乱を避けて、荊州けいしゅう揚州ようしゅう交州こうしゅう幽州ゆうしゅうなどの地方への移住生活を選択した。)

196年 曹操そうそう董承とうしょう(外戚)の要請で、洛陽らくように軍勢を派遣。献帝をきょ城に移して保護する。

(曹操・劉備りゅうび孫権そんけんが群雄割拠を勝ち抜く。もちろん文官も実力があれば栄達も夢ではない。)

220年 曹丕そうひが献帝から皇帝の座を譲り受けて、魏国の皇帝に即位。

(ここから再び実力主義から世襲制になる。名士の地位が安泰になる一方、礼教主義の宿命で、階級が固定される。)

後漢末から三国時代の略年表(筆者作成)

 後編では、仮にこの時代の名士の子として生まれたとしたらどういう人生を送ったか、ケーススタディを見ていきたいと思います。

後編につづく

この記事が参加している募集

世界史がすき

貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。