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【三国志の話】三国志で脳トレ(その2)

 前週(その1)に続き、三国志の登場人物で遊ぶ脳トレ問題(クイズ?)です。どうぞお付き合い下さい!


問題

1. 間違い探し

 一つだけ違う文字が混じっているのを見つける問題です。

1-1 こうちゅう

問題1-1

1-2 ちょうしょう

問題1-2

1-3 びんじゅん

問題1-3

2. 並び替え

 ある基準で並び変えたときに、一名だけ□□に入らない人物がいます。それは誰でしょうか?

劉協りゅうきょう => □□ => □□ => □□ => □□ => 孫権そんけん

□□に入る人名:曹操そうそう曹丕そうひ曹叡そうえい劉備りゅうび劉禅りゅうぜん

問題2

ヒント1

 並び変えたあとの数字は、次の通り。
189 => 220 => 221 => 223 => 226 => 229

ヒント2

 劉協は後漢の皇帝で、諡号しごうは孝献皇帝。

3. クロスワード

 四角形(□)に入る漢字を全て埋めて下さい。三国志に登場する人物が五名出てきます。

問題2

ヒント

[1]そん
 名門揚州[1]氏の出身で、[3]策の娘を室に迎える。呂蒙りょもうに代わって陸口に駐屯。関羽を破って荊州を奪い、鎮西将軍。劉備が侵攻してくると持久戦に持ち込んで撃破、輔国将軍に昇進する。魏に対する防衛と蜀との外交を任され、丞相となる。後継者争いに巻き込まれて憤死した。

「三国志全人名事典」 徳間書店

りょ[2]
 荊州牧劉表りゅうひょうの部将。[3]堅が荊州に進出して劉表を攻撃した際、部下が落とした石に当たって死んだとの説がある。

「三国志全人名事典」 徳間書店

[3]さく
 
[3]堅の子で、[3]権の兄。呉建国の基礎を固め、のち[3]権が帝位につくと、長沙桓王と諡された。[3]堅が黄巾討伐の兵を挙げたとき、母とともに舒(じょ)県に移り、そこで同い年の周瑜しゅうゆと親交を結んだ。194年、袁術の麾下に入り、しばしば功績を挙げたが、そのたびに約束を反古にされ、袁術への不信感を深めていくなか、長江南岸の曲阿に州都をかまえた揚州刺史劉繇りゅうようを追い出して江東一帯に勢力を広げ、197年、袁術が皇帝を僭称すると、かれに絶縁状をたたきつけた。200年、官渡の戦いで曹操が許を留守にした隙をついて後漢の献帝を迎える計略を立てたが、その決行を目前にひかえて暗殺された。

「三国志全人名事典」 徳間書店

[1][4]
 呉の鬱林(うつりん)太守[1]せきの父。呉郡太守李肅りしゅくから孝廉に挙げられ、のちに李粛が刑死したとき遺体をその郷里潁川に送りとどけて喪に服した。三郡の太守を歴任して治績を挙げ、後漢の霊帝の中平年間に廬江太守となった。

「三国志全人名事典」 徳間書店

[2][3][4]
 魏の武威将軍[2][3]たくの子。父の死後、遼東太守の地位を継いだ。曹操が烏丸を破り、袁尚・袁煕が遼東に逃げたとき、かれらの首を曹操にとどけ、襄平侯に封ぜられ、左将軍に任ぜられた。

「三国志全人名事典」 徳間書店

正解

1. 間違い探し

1-1 こうちゅう

問題1-1の正解

 孔伷孔宙。筆者が個人的にこの二人をよく間違えてしまうので、問題にしました。

 孔宙は、孔子の直系の子孫で、魯国曲阜きょくふの人。孔融こうゆうの父として知られています。

孔宙こうちゅう
 後漢の北海国の相孔融の父。太山都尉に任ぜられた。

「三国志全人名事典」 徳間書店

 孔伷は陳留郡の人で、反董卓連合軍に参加したことで名を残しました。

孔伷こうちゅう
 後漢末の予州刺史。清談をよくした。反董卓連合軍に参加したが、軍事に不向きで、臧洪そうこうに実権をあずけた。

「三国志全人名事典」 徳間書店

 史実では孔融は反董卓連合軍に関わっていませんが、なぜか『三国志演義』では参加したことになっています。
 そのため、孔融から見ると孔宙は父で孔伷は同志ということになり、紛らわしくなりました。

1-2 ちょうしょう

問題1-2の正解

 張昭張紹。「ちょうしょう」と読む人物は多数いますが、その中でも特に紛らわしいのがこの二人。
 前者はおなじみの呉の重臣で、後者は蜀の功臣張飛ちょうひの子ということで、どちらも存在感があります。

張紹
 蜀の車騎将軍張飛の次子。侍中、尚書僕射にまで昇った。蜀滅亡後、劉禅に従って洛陽に移り、列侯に封ぜられた。

「三国志全人名事典」 徳間書店

 ちなみに魏にも張昭がいるため、呉の張昭は「張昭①」、魏の張昭は「張昭②」となっています。それも紛らわしい理由の一つ。
同姓同名の話はこちら

張昭①
 呉建国の功臣。若いころから博識で知られた。黄巾の乱を避けて江南に移住し、孫策が江東に地歩を築いたとき参謀となった。孫策の死後、周瑜らとともに孫権を補佐して呉の創建に尽力した。官は輔呉将軍に至ったが、赤壁の戦い前夜、降服論を主導し、またしばしば直言して孫権と衝突したため、ついに丞相の位につくことはなかった。文侯と諡された。晩年になって『春秋左氏伝解』や『論語注』などを著わした。

「三国志全人名事典」 徳間書店

張昭②
 魏の丞相参軍事祭酒張承ちょうしょうの弟。兄が反董卓軍を組織しようとしたとき、時期尚早を理由に中止させた。

「三国志全人名事典」 徳間書店

 魏の方は兄弟ともに「ちょうしょう」で、兄が張承、弟が張昭ということになります。
 そして呉の方はなんと、張昭の子が張承です。あー、紛らわしい。

張承①
 呉の輔呉将軍張昭の長子。若いころから学才で知られ、諸葛瑾らと親交を結んだ。長沙西部都尉として山間異民族の討伐に功績を挙げ、濡須都督・奮威将軍に任ぜられた。人物鑑定にもすぐれ、蔡款(さいかん)・謝景(しゃけい)らを見出し、諸葛恪の滅亡を予言した。定侯と諡された。

「三国志全人名事典」 徳間書店

1-3 びんじゅん

問題1-3の正解

 閔純関純。これは分かりやすい。前者が本物で、後者は偽物です。

閔純びんじゅん
 冀州牧韓馥かんふくの別駕。冀州を袁紹に譲ろうとする韓馥を諌めたが、容れられなかった。

「三国志全人名事典」 徳間書店

 『三国志演義』では、原典を読み間違えたのか、大衆向けのため簡単な字に替えたのか、いずれにせよ「関純」という名前で登場します。

2. 並び替え

劉協(後漢の献帝、189年) => 曹丕(曹魏の文帝、220年) => 劉備(蜀漢の昭烈帝、221年) => 劉禅(蜀漢の懐帝、223年) => 曹叡(曹魏の明帝、226年)=> 孫権(孫呉の大帝、229年) 

問題2の正解

 これは、皇帝の即位順に並び変える問題でした。問いはこの中に入らない人物なので、正解は曹操そうそうです。
 曹操は皇帝になっておらず、武帝の諡号しごうは死後に贈られました。
 前回より並び替えの難易度が上がっていますが、正解を出すだけであれば容易に感じた人も多かったかと思います。

3. クロスワード

問題3の正解

 陸と孫は埋まりやすいでしょう。そのあとは、陸康りくこう呂公りょこうのどちらが先に埋まるのか、いきなり公孫康こうそんこうが出てくるか。
 昔の記事(三国志学会 第十七回大会)を読んだ方は、主要人物として公孫康が出てくるので、容易だったかもしれません。

 いずれにせよ比較的知名度のある人物ばかりで、前回(その1)よりは易しくなっていると思います。

(その3)はこちら

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