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【三国志の話】三国志の登場人物リストをつくる(その2 同姓同名編)

はじめに

 その1では、総人数の見積りについて書きました。その2からは、何かの条件を満たす人数やランキングを取り上げたいと思います。

 今回は「同姓同名」です。

劉岱りゅうたい

 曹操そうそうの前任の兗州刺史で192年に黄巾軍と戦って戦死した「劉岱りゅうたい」と、曹操の部将で199年に徐州の劉備りゅうびを攻撃した「劉岱りゅうたい」は同姓同名。しかも、あざなまで「公山」で一致している!というウソのような本当の話があります。
  そのため、死んだ筈なのにもう一度出てくると勘違いされやすい。

 そして、三国志に登場する人物には、もっと多くの同姓同名がいます。
 筆者が集計した範囲ですが、同数一位は四名のケースで二例ありました。そして三名のケースはかなり多数あります。
 それらの中から4例を、独断でランク付けしてみました。

1位 劉煕りゅうき(4名)

1. 学者の劉煕

後漢の訓詁くんこ学者。一種の語源字書『釈名しゃくみょう』を著わした。

「三国志全人名事典」 徳間書店

補足:戦乱を避けて交州に長く住んだ学者で、大学者鄭玄じょうげん/ていげんのお弟子さんだそうです。

2. 皇族の劉煕

後漢の献帝けんていの子。212年、済陰王に立てられた。

「三国志全人名事典」 徳間書店

補足:後漢書では、216年に琅邪ろうや王の劉煕が曹操に殺されています。同一人物なのか別人なのは要調査です。

是の歳(建安21年)、曹操、琅邪王煕を殺し、国除かる。

※注:「謀りて江を渡らんと欲するに坐し、誅せらる」。江南に逃れようとしたのである。

「後漢書・巻二 献帝紀」

3. 幽州の劉煕

魏の光禄大夫劉放りゅうほうの子。軽薄な評判をもてはやす者として免職され、官吏の資格を剥奪された。

「三国志全人名事典」 徳間書店

補足:幽州ゆうしゅう涿郡たくぐんの人。つまり劉備とは同郷ですが同族ではありません。

4. 豫州の劉煕

後漢末の揚州刺史劉馥りゅうふくの孫、劉靖りゅうせいの長子。魏の鎮北将軍だった父が死ぬと、その後を継いだ。

「三国志全人名事典」 徳間書店

補足:豫州よしゅう沛国はいこくの人。つまり曹操と同郷人で、あとで出てくる劉靖りゅうせい三号の子です。

  4人全員が正史に登場するということで劉煕を1位にしました。が、正直、インパクトが弱い人たちです(笑)

2位 劉靖りゅうせい(4名)

1. 匈奴きょうどの劉靖

強盛を誇った匈奴王。

「三国志全人名事典」 徳間書店

2. 董卓とうたく配下の劉靖

董卓の別部司馬。

「三国志全人名事典」 徳間書店

3. 魏の劉靖

 劉靜とも書く。後漢末の揚州刺史劉馥りゅうふくの子。魏に仕え、尚書を経て、鎮北将軍に任ぜられた。死後、建成郷侯に封ぜられ、景侯と諡された。

「三国志全人名事典」 徳間書店

補足:1位で書いたように、劉煕りゅうき四号の父親です。

4. 呉の劉靖

呉の将軍孫皎そんこうとその弟孫奐そんかんに礼遇された。

「三国志全人名事典」 徳間書店

 劉靖も4人全員が正史に登場しますが、さらにインパクトが弱い。そのうち3人が「三国志全人名事典」でわずか一行の紹介文です。

 そして、劉靖一号は匈奴の人なので本名は別だったかもしれないし、三号は別名が伝わるということは誰かが間違って記録したかもしれない。
 ということで、本当に4人いたのか?という疑問符がつくため、2位としました。

3位 董和とうわ(3名)

 2位まではインパクトが弱く、しかも劉姓の人物ばかりでしたので、多数ある同率3位の中から厳選して「董和」をピックアップしました。

1. 魏の董和

魏の彭城王曹拠そうきょの司馬。禁制品の器物をつくらせるため、曹拠から都に派遣された。

「三国志全人名事典」 徳間書店

2. 呉の董和

 呉の参軍。孫権が皖城を攻撃したとき、盧江太守の朱光しゅこうとともに捕虜となった。

「三国志全人名事典」 徳間書店

3. 蜀の董和

 後漢末、一族を率いて西遷し、益州牧劉璋りゅうしょうから江原の県長、成都の令を任ぜられた。粗衣粗食に甘んじ、倹約を旨としたため、赴任先はよく治まった。
 益州太守のとき劉備が蜀を平定し、召されて掌軍中郎将となり、しばしば諸葛亮しょかつりょうにその過失を直言、信頼された。死んだとき、家に蓄えがなかったという。

「三国志全人名事典」 徳間書店

補足:ただ正史に登場するだけでなく、蜀書に伝があるエース級の人材です。荊州けいしゅう出身で蜀に仕えるというのは蒋琬しょうえん馬良ばりょう劉巴りゅうはらと同じ経歴。益州と荊州のバランスを重視した諸葛亮に厚遇されたと考えられます。

 3名全てがちゃんと三国時代の人物である上に、魏・呉・蜀のそれぞれに分かれて所属している。
 つまり、コーエーがその気になれば全員を三国志の次回作(15?)に出そうと思えば出せると思います。
 ややこしくはなるでしょうが(笑)

番外 李豊りほう(3名)

 ちなみに、コーエーの「三國志X(10)」に「李豊りほう」が三名登場することは、知る人ぞ知る話かと思います。

コーエー「三国志X」の登場人物「李豊」(筆者作成)

もちろん、この三名も正史に登場します。

1. 袁術えんじゅつ配下の李豊

 袁術の部将。袁術が曹操支配下の陳国を攻めて敗走したとき、残された他の諸将とともに防戦したが、敗死した。

「三国志全人名事典」 徳間書店

2. 蜀の李豊

 蜀の驃騎将軍李厳りげんの子。230年、李厳が曹真そうしんの軍を防ぐために漢中に出陣したとき、江州都督督軍として父の職掌をつかさどった。のちに父を職務怠慢のかどで流罪に処した諸葛亮から、励ましの手紙を受け取っている。官は朱提しゅてい太守に至った。

「三国志全人名事典」 徳間書店

3. 魏の李豊

 魏の明帝(曹叡)・斉王曹芳そうほう二代に仕え、黄門郎、騎都尉、給事中、永寧太僕、侍中・尚書僕射を経て中書令となった。
 曹爽そうそう司馬懿しばいの対立に際しては中立の態度をとったが、のちに張緝ちょうしゅう夏侯玄かこうげんらと司馬師しばし謀殺の密議に参加、計が洩れて司馬師に自白を迫られ、真実を明かさぬままに悪口の限りをつくして殺され、三族皆殺しにされた。

「三国志全人名事典」 徳間書店

 さすがにコーエーが採用するだけあって、三名ともインパクトのあるキャラクターですね!

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