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06.僕がクラウドファンディングをしたい理由③-日本のマーケットにおける音楽って?-

〜はじめに〜

 1月29日に公開されましたMayprill Recordsによるクラウドファンディング企画についての僕の思いを書き綴っています。

企画始動前より書いていたものなので、文章が少し尖っているかもしれません。もし気になる方は読んでみてください。

僕が改めてみた日本の音楽マーケットについてです。

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日本のマーケットにおける音楽って何?

 職を辞したことで、様々なアーティストの活動方法や今の社会の流れに目を向ける時間を得た僕は、このことについて本気で考えてみることにしました。これからEmeraldのようなアーティストが、レーベル共に、よりカルチャーや社会に影響ができるレベルに成長していきながら、そのモチベーションと制作意欲を維持して、活動を継続していくにはどうしたらいいのだろう、と。

そこで僕はまず、ここまでの7年間の活動を、自分なりにしっかり肯定できることと、理解し、改めてきちんとアーカイブし、その活動を支持してくれた、応援してくれた人達が、こうしたバンドからの積極的な意思表明に対し、「応援してみたい」という人たちがどれくらいいるのか、僕はレーベルの代表として知りたいと思いました。そしてそうした人達にワクワクするようなプレゼントを提供してみたいと思ったんです。

僕達はただ黙々と曲を作って、誘われたライブに出て、時々企画を行って、少しづつ規模を拡大する努力をしてきただけで、実はその音楽の価値を自分達で理解したり、再評価したり、その評価を得るためのアクションをしてこなかった。とにかく新しいもの新しいものと追い求めながら、空を掴むように活動してきました。それ自体は素晴らしいことですが、「売る」「届ける」為の動きをしなくてはいけないレーベルとして、現状興味を持ってくださる方の数や、そういう人たちの持つ特性や嗜好を、定量的に実績として理解することができていないと思ったわけです。言い方が硬いのであれですが、簡単にいうと、お客さんのことを知りたいなって思ったんです。どんな風に音楽聴くのかなとか、どんなとき楽しいのかなとか、そういうことです。そうした人たちに寄り添っていくフィーリングを掴むヒントにしたかったということです。媚びるつもりはないですが、もう少し一緒に進んでる感を味わいたいなと思ったんです。

そうした時に、バンド自身も楽曲至上主義としてやってきたそのアティチュードすらも、はっきりと世の中には示していないということに気づきました。演奏者としては、曲作りもライブも最高に楽しいので、もうそれだけで十分なんですが、やっぱり新しい景色もどんどん見ていきたいわけです。お客さんや関係者ともそれを共有したい。

僕らのような楽曲至上主義のアーティストは、泥臭い面を見せることなく、ひたすらクールに、かっこよくブランディングしていく事が正しく、潔く、素晴らしい事だと思うわけですが、そのカッコいいの概念は様々で、ステレオタイプな、みんなやってるオシャレっぽいやつ。は、別にカッコ良いなと、僕は思わないわけです。まず、形はすごく大事なので、音楽に見合った着る服や言動はします。でも大事なのは楽曲であり、ライブであり、それを行う信念です。おしゃれなのは、その表現が美しく磨かれているからです。

【音楽ビジネスの現状】

僕らは若い頃から、大きいメディアが作り出した情報を元に、音楽を提供されてきました。その結果、バズることで多数決を勝ちとるか、力のある人に背中を押される形で、メディアに映し出されるアーティストだけが、「音楽をやってる人」として認識、「愛していい存在」「音楽を使って私を楽しませてくれる存在」ということになっています。実は日本においてアートと大衆のそうした関係の歴史は長年続いてきました。音楽においては90年代の音楽バブル以降、大衆と音楽の関係は大きくそこから動いていません。

結果と実績が全てであることはどの世界でも同じですが、そこに「音楽会社の資本」の介入をなくして成立しない構造になっています。SNSがどれだけ盛んになっても、その仕組みや特性が音楽会社に取り込まれたと言う印象で、本質的な関係性は続いています。

ただ、大きく変わったことが一つ、90年代の音楽バブルを生み出した大きな要因としてあげられるのが「広告」です。平成はこの「広告業界」が音楽会社の資本すらも飲み込む流れができました。You Tubeを支えているのも、この広告です。そこに大きな風穴が空き、現在のようなYou Tubeやニコニコ動画からスターが生まれる大きなきっかけが生まれています。

しかしそれも、平成の終わりと共に少しずつ変化していくことが予想されます。自由に動画をアップロードしたり聞くことができても、今度はその収益が「バンド」や「会社」という集合体を支えるには微々たるものだという壁が待ち構えています。結果「一人でなんでもできる」スターだけが残っていくような気がしています。

今や、アーティストは共通の話題とリスペクトさえあれば、会って話すことのできる存在になり、CDやグッズを買うだけでなく、直接の支援を送ることもでき、何かしら金銭以外の活動を手伝いながら、聞き手自身の人生を変化させていくこともできる時代に突入してます。アーティストは聴き手のライフスタイルに対して与えた影響の責任の一端を、どこかで意識しながら、自身の活動を純化していく営みに移行している。

僕は海外のアーティストの活動を見たり、例えば「Roth Bart Baron」などの活動を見ていると、それを感じます。彼らとは、みんな話すことができます。有名になって手の届かない存在になることが目的ではなく、その音楽の価値を広めるために、一人一人をほんの少し信用して手渡しで対話をしていくように音楽を渡していくのです。

オーディエンスを一人の人間として見ている。アーティスト対大衆ではないんです。その真摯な姿勢が、彼らの持つ楽曲の「僕ら」という視点に集約されていきます。彼らがクラウドファンディングやコミュニティという仕組みを利用していることを知り、その活動と楽曲との親和性にソーシャルアートと呼べる美しさを感じました。彼らほど美しくやれるかはさておき、そうした動きは大きなヒントを僕にもたらしました。


【もう一つの気づき】

音楽そのものがどれほど人に届くんだろう。いい音楽を作っていれば届くというのは、思い込みなのかな?そんなふうに考えていた時に、びっくりしたことがありました。

誰もが音楽を聴いて鳥肌が立つわけではない

という以下の記事。

この研究が本当だとすると、

総務省統計局より抜粋

極端ではありますが、「鳥肌=音楽への感動」と仮定し、さらに10人に1人が「音楽に鳥肌が立つ特別な脳の持ち主」だと仮定した場合、日本の総人口約1億3000万人の中で音楽の受容体を持つ人の数は約1300万人になります。その内Emeraldのような音楽が好きな層を15歳から64歳の層を大体半分に割った26万人に割り当てると、2600人しかいないことになります。海外から来た人を入れれば5000人くらいにはなるかもしれません。この年代の音楽を好きな人の数を考えると、計算が合いません。これは

人は音楽そのものだけに感動しているわけではない

ということの仮定を立てることができます。

そうすると多くの人が感動してるのは、音楽そのものだけではないのだと考えることができます。当たり前のことかもしれませんが、音楽というものは様々なカルチャーに入り込んで、情報の伝達をスムーズにしたり、スタイリッシュにしたり、エモーショナルにすることに寄与してきたものだと思います。そうして生活のなかで「感動」を生み出すための必需が生まれてくるわけです。

コンテンツがどんどん増えていくこれからの時代にもどんどん必要にされていくわけですが、音楽単体でビジネスとして成立させるには簡単なことではないと言えます。「多くの売り上げが取れるもの」が優先されるべき社会では、その製造ラインに乗ることができない限り、広く世に知られることはないという考えになります。

「必ずしも良い音楽が評価されるわけではない」というのもこうして考えれば全然納得がいくし、「良い音楽さえしてれば世間はわかってくれる」もサバイブしていくには大変向こう見ずな思想と言えます。だけどそれくらい振り切れた思想で作る人を僕はアーティストとして否定はできないです。でも知られていない人があまりにも多くて悲しくなることがありますね。

今回のようなクラウドファンディングや、コミュニティなどの取り組みにより、価値を理解する熱いファンによって純粋に取り組んでいるアーティストたちを根っこから支えるような流れが、あって欲しいと思うんです。バズらなくても、大げさで過激な表現でなくても、音楽を続けることができて、表現の変遷を一緒に楽しみ、外へ出ていくような。

だから音楽を中心としつつ、それ以外の楽しみも提供できる緩やかで楽しいコミュニティを成立させてみたいと思ったんです。

この後紹介する「SHAKEHANDS」や先ほどの「Roth Bart Baron」のようなこうした小規模から外へ出ていくうねりは、今後の大きな主流のやり方になる気がします。新しいレーベルのあり方のような気もします。レコード会社から声がかかるまで闇雲にライブや音源を重ねるなんて、ナンセンスだというバンドも増えてきてますね。

まずは自分たちが今この瞬間楽しめているか、自分の周りの人間がいい顔してるか。そういうことに重きを置いているバンドも増えて、彼らの雰囲気は人を惹きつけます。自分自身の価値をわかっているのは紛れもなく自分自身であるべきで、それを理解してくれるオーディエンスは、センスを分かつ仲間であると。バンドはその魅力で、目の前の人を巻き込めるかどうかを問われるわけです。それは本来の「正しい音楽のあり方」のような気もします。

優秀なレーベルマンの数を考えると、億千万とあるバンドの中で自分たちの音楽を誰よりも愛して広めてくれる。そんなマネージャーやレコード会社が現れるのを「待つ」のは、宝くじほどの確率です。しかも僕らはいくつか活動の制限があったりします。そうなると、確率はいかがなものでしょう。もちろん出会うことができたら嬉しいですが、待つのではなく、進み続けたいんです。自分たちの足で。

これからは自分達で、直接お客さんの元に、社会に漕ぎ出して、出会った一人一人の気持ちを少しずつのせて、社会をつくり、拡大し、その中でできることを増やし、冒険をしていく。そうやって、参加しながら、変わっていくストーリーを楽しみ、そこから生まれる音楽を愛でるというスタイルが、広く一般的になっていくような気がします。そのうねりの最中に、その音楽の価値をメディアなどで伝える価値が生まれた時、取り上げられ、広がっていくという形があってもいいように思うのです。又はレーベルやレコード会社と呼ばれる人たちに関わってもらえるぐらいの資本や実績が自分たちにある状況で、現実的に協力関係を作ると言うのもいいと思います。

これができないと、アーティストとレコード会社の関係もいびつになってしまうのです。アーティストとメディアの関係も同様です。

レコード会社はアーティストに「貸し」をつくった状態でデビューさせ、一通り型にはめてプロモーションした後に、結果次第で打ち切ると言うことが起きてきます(最近は変わってきているように思いますが)。時と場合によりますが、メディアに対しても出稿料としてプレスを掲載してもらうためのお金を払う必要があったりします。一つの記事を制作する大変さは知っていますし、いずれも元を取らないといけないのが会社なのです。自分も会社員をしているので事情はよくわかる。なのでそこは否定するつもりは実は全くありません。ただ、メディアもレコード会社も本来「伝えるべきことを伝える」が本職です。その価値があるんだと言うことを、僕らは音楽とそれを取り巻く社会活動の中でアピールして行かなくてはいけません。

しかし、そんなことも、最近わかったんです笑
最近考えるようになったんです。

作ることと、仕事と、ライブで、考える時間がなかったと言えば甘えになりますが、それが全てです。ただ急にバンドを人気にしてくれなんてのはよくわからない話なので、一番かっこいいと思うプロダクト、バンドらしい活動のために支援を募ったり、期間限定のコミュニティを作ってお祭りをしてみようと思ったわけです。

僕達は楽曲をひたすらのめり込んで作ることと、ライブの精度を上げることに注力しすぎるあまり、自分達の恐ろしいほどの素晴らしさやポテンシャルを自分たちでちゃんと理解していなかった。言語化し、社会にアピールしていなかったなと、思ったわけです。7年間で5タイトルも作品を作ってきたのに、、、。

なので僕はまずEmeraldのここまでの活動のアーカイブを、Emeraldを愛する人の音楽の歴史の中に刻み込むアイテムはないかと考えたわけです。なんてったって僕は音楽レーベルの代表ですから。Emeraldの音楽をきちんと世間に紹介しなくてはいけません。

だから、レコードなんです。

どういうことかを説明します。

「07.なぜレコードなのか」へ(リンク

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