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自分が経験してきたことを自分で否定するのはキツい?


昔得た「成功体験」が現在では真逆、真っ向否定されることもしばしば。スポーツの世界も当然社会と連動しているのだから、知見だってどんどん刷新されていくもので。

昔は「水を飲むな」と言われた時代もありました。ちょうど自分たちの頃までそういった風習は残っていました。幸い、当時の顧問が「水飲め派」だったので運が良かったです。

確かに水分を摂ると一時的に身体が重く感じたり、だるくなったりしますがその感覚に従ってそういう仕組みを作っていたらダメなんですよね。しっかりと摂取法を考え、工夫しながら導入していく。


議論の余地があるものはまだ良いかもしれません。冷静に比較検討し、考え抜けば良いでしょう。しかし「あぁこれはもう完全に自分たちの体験を真似させてはいけない。次代に残してはいけない」というものも多くあります。

それは自己否定に繋がるもので、ちょっとばかりの痛みを伴うこともあるかもしれません。しかし、心配は要りません。

だって、勉強をしていたら当たり前に起きることですよね?新しいことをどんどんやっていけば自分に変化が訪れる。それは前に学んだことを否定したり、疑ったり、上書きしたりすることだったりします。


何も完全に過去を破壊しろという訳でもなく。過去の積み重ねに、土台にして一部新しいものを取り入れると「過去の全面的肯定」は否定されるだけです。

「過去の全体」の中でほんの一部を否定するだけ。考え直すだけ。

実際はそれほどの苦痛はないはずです。ですがそれを大きく苦痛と感じる人も居ます。「その全体」が「自分そのもの」と思ってしまうからなんでしょうね。


指導者も選手も常に勉強しなければいけない。

身体性を伴うもの、「体験」ってどうしても「身体の変化」と同様、なかなか意固地で変化し難いもの。その変化し難い身体に基づいた発想ではなく、精神的、意識的に身体から切り離し、頭脳や理性で変化を受け入れることも必要です。

思考や意識ってあんまり身体に縛られないんですよね。割と簡単にふわふわ浮き上がる。その性質を利用して変化する必要があります。


本来は自己否定など、どんどんしてしまえば良いんです。人間の身体って何か月かもすれば全て新陳代謝などによって入れ替わってしまう。

「連続した自分」なんて幻想だったりします。

ただそれだと自我までも崩れ、自信も失いかねない。だからある程度は「連続性」を繋ぎ止めておいても良いでしょう。

ただあまりに固執すると・・・というバランスの問題が大いにあります。


★★★

「明日の自分」は「今」までの自分ではない。今の自分は過去の自分からどんどん未来へと変化を遂げていく。

そんな心構えを以って、でもおおらかに自己否定と自己構築を行っていきたいものですね。

だからといって過去を振り返らないという訳でもありません。過去の体験が全て無駄になるわけでもない。あくまで疑義を持ち、再検証していく中で「新しい自分」を構築する為には「過去」が大事です。

それに過去の「成功体験」があった方が「否定的に考える」上でも重要なのは解りますよね。なんの「体験」もなければ疑義を持ったりし難い。

実際には何の「成功体験」もない人は居ません。ただそれを「成功」としてきちっと書き留めたりしておかないと「失われ」てしまうだけ。

出来れば自然に、あまり気張らず変化を受け入れられたらすごく楽です。それも自分の来し方、行き方、習慣だと思います。

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