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【必見】共感性羞恥という圧倒的無知

うわぁ。。。こいつ恥ずかし。見てるこっちが恥ずかしくなるわぁ。

こんな経験がある人、その人は共感性羞恥だ。あなたは違うだろうか?周りにこういう症状の人はいないだろうか?おそらくかなり多くの人がこの症状を経験したことがあるだろう。かくいう私も共感性羞恥だった。だった?そう、いつの間にか克服していたのだ。克服する前と後を考えてみるとその違いは明らかだった。その違いとは、無知か否かだ。

共感性羞恥の「私の方が優れている」感

共感性羞恥は無知の現れという事を説明する前にこのことについて触れておく。「私の方が優れている」感ということだ。「私の方が優れている」感とはいったいどういう事か。分かりやすく例を用いる。

学校の休み時間にて。。。

「おい、あいつらなんか動画撮影してるぞ。」

「うわっ、カメラの前で踊ってるよ。。。いってぇ...」

「ほんとだ、見てられないよ。。お前tiktokとか入れてる?」

「入れるわけないだろあんなのw恥ずかしくて死ぬわw」

「民度も低そうだし、低学歴の巣窟なんだろうな。」

はい。お判りいただけただろうか。この陰キャラの会話から分かるように、相手をちょっと見下している。それゆえに「あいつら痛い」という共感性羞恥につながるのだ。これが「私の方が優れている」感ということだ。ただこの陰キャラには知識がない。実際にtiktokを入れているわけでもなければ、周りにそういう友達もいない。という事は実際はSNSを使いこなしているかどうかでいえばお前らの方が劣っているのだ。しかしその矛盾に気づかずに育つから、結果的にはプライドの高い凝り固まった陰キャラになり、それが陰キャラがプライド高い事の証明になっていくのだがそれはまた別のお話。

「私の方が優れている」感は結果的に無知を生む。なぜなら、情報を集めに行かないからだ。私は元々インスタなどにかなり抵抗があった。周りが始めたおかげでその抵抗はなくなった。まあインスタはやっていないけれど、それは自由。

ここまでではSNSのみに焦点を置いていたがそれは一例であって他にも色々ある。

共感性羞恥一覧

共感性周知の例をいくつか紹介する。当てはまった場合は、その分野に耐性がない、つまり知識が浅い無知であるという事だ。

・他人が怒られているのを見たとき

・ドラマで振られるシーン

・臭いセリフ

・ドッキリ番組

・アニメで主人公が恥をかく

・グダグダなテレビ進行、スベッた芸人

・まわりに迷惑をかけているのに気づかない友人が、案の定注意を受ける

・SNSの自撮り

・中途半端な声真似

克服するひつようあるの?  ←ここ超大事!

「別に克服しなくてよくね?てか、どうやってするんだよw」という言葉が今にも届きそうなので言っておくが、俺の見解としては克服すべきだと思う。これは実体験としてそう考える。自信の付き方や考え方が変わってくるのだ。

例えば、他人が怒られるのをみて恥ずかしくなる。それは怒られるという行為に何らかの意味付けを自分でしてしまっていることにある。それだと実際に自分が怒られたとき怒られたという事実にしか目が行かず、怒られた原因、相手との乖離、現状の修正の必要性などに目が行かなくなる。

つまり、克服すべきなのだ。これは、怒られるという事象に対しての一種の偏見ともとれる。じゃ、やり方は?

共感性羞恥の克服法

これはすごく簡単だ。慣れだ。克服するには慣れるしかない。先ほどの他人が怒られるのをみて恥ずかしくなるというのをもう一度取り上げる。

怒られ慣れしている場合は怒られたことではなくて原因等を見つめることができる。何度も失敗を重ねてきた故に自分に非があるという事が理解できているからだ。ちなみに「はいはい」と受け流すというのは慣れてない証拠だ。なぜなら怒られているという事実に気が行ってしまっている。もし相手との乖離に疑問があるならば、うまく調和を取ろうとするか、なぜ乖離がうまれているかを相手を尊重しながらロジカルで説明する必要があるだろう。

共感性羞恥を克服すると偏見がなくなる

「お前がよく言うわ。」という突っ込みが届きそうなので一応一言添えておくと、別に俺は心の底から偏見を持ったことは共感性周知を克服して以来一度もない。ただこの世の中は、偏見を交えた会話が好きな奴らであふれているから一種のキャラとしてやっている。心の底から陰キャラと陽キャラとか言って変な線を引っ張っている奴は本当にやめておいた方がいい。世の中そんな奴らばっかだから別に否定はしないけれども。

共感性羞恥というものは無知から生まれる。無知は優越感を得られる。プライドが生まれる。線引きを始める。偏見が生まれる。小さい人間、何も知らない人間。

井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る

「井の中の蛙大海を知らず」これは有名な一節だ。しかしそのあとを知っている人はあまり多くないだろう。広い海は知らない。でもそれを憐れむなよ、だって空の深さは知っているんだから。最後の一文を聞いて印象が変わったという人もいるだろう。だが空の深さを知ったところで今のご時世何も変わらない。比喩表現だということは分かっているが、やはり腑に落ち切らない。知るべきことは海に出ないと知れない。まあこれも俺の考えだから、一種の偏見なのかもしれない。だって、井の中の蛙は空の深さを知るだけで幸せになれるのだから。