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ただそこにいることの意味

「やってみたらいいじゃん」という言葉が好きな人がいる。

悩んで立ち止まっているこちらの話を親身になって聞き、選択肢をいろいろと挙げてくれる。
ほら、あんなやり方もあるよ。
こういう考え方だってあるよ。
あんなのも面白そうだよね。
こんな調子でさ、いろいろ考えて、なんでもとりあえずやってみたらいいじゃん、うまくいくかもしれないよ。

その人たちは、別に自分の言ったとおりにしてほしいわけではないのだ。
ただこちらの視野を広めようと、こちらが気付いていないであろう視点を提示してくれる。
自分が挙げた選択肢に従ってほしいのではなく、わたしの中のそんな風に選択肢を見つけ出す力を呼び起こそうとしてくれるのだ。

わたしはそういう人を、優しいと思う。
純粋な心配からそう言ってくれているのだと思う。

でも、同時に、しんどいと思う。

わたしは悩んで立ち止まっていると、考えることすら億劫な状態になる。
一旦休んで態勢を整えたくなる。
体で例えると、ハードルを飛び越えるのに失敗して、足をぶつけて、痛みにうずくまっているような感じだ。
飛び方にあれこれ言われても、今ちょっとそういうのいらない、とりあえず痛みが治まって立ち上がれるまで待ってて、と言いたくなる。

「やってみたらいいじゃん」が好きな人は、きっと、強い人だ。
現状と目標の差異を見つめて、突破する足掛かりを見つけて、少しずつクリアしてゆける人だ。
そうやって言われるとしんどいなんて、想像もつかないのかもしれない。

でも、疲れた時、わたしは別に選択肢の提示なんて求めていない。
元気になったら選択肢が見えてくることは、わかっている。
疲れた時は、何も言わないで、ただそっと側にいてほしい。

何も言わないで、ただそこにいてくれるだけで、ありがたい時がある。
わたしはよく、しんどくても何かしないといけない時、側に誰かいてくれればいいのになと思う。
自分がやらねばならないことを、代わりにやってもらうでもなく、一緒にやってもらうでもなく、ただ誰かの側でやりたくなる。
信頼できる誰かの気配を感じていると、ひとりじゃないんだと思えて、こわばった体がほどけていくような気がしてくる。

時には、めそめそと泣くこともあるかもしれない。
ふと思いついたことを話すかもしれない。
こちらが何かを発した時に、リアクションを返してくれる誰か。
そんな誰かがいてくれるだけで、十分なのだ。

「やってみればいいじゃん」と言わずに、ただわたしが回復するのを待ってくれる。
すると、わたしが本来もつ力を信じていてくれることが伝わってくる。
あれこれ言いたくなるところを、ぐっとこらえて、見守る。
そうしてくれる人もまた、優しいと思う。

ただそこにいることこそが、わたしの心を癒してくれる時がある。
ただそこにいることの意味を、わたしは信じている。


最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。