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【ホラー小説】呪い殺されない方法【7/10】

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 先週、得意先のデザイン会社の社長が自殺して、今週は知り合いのコピーライターの女の子が行方不明になった。

 サダコとハルナから教えてもらった秘策によって、あの紫色の舌を垂らした仲間由紀絵似の幽霊をデザイン会社の社長に、ビアホールで『死ね! 死ね! 死ね!』と 叫んでいたらしいおばさんの霊を、コピーライターの女性に、それぞれ押し付けたからだ。

 サダコに払った金は、まったくムダではなかった。

 わたしの涙と食塩水(配分がわからないので、あまりしょっぱくならないように気をつけた)の混合物を相手に気づかれずに飲み物に侵入させるのは、足の指でリモコンを操作してテレビのチャンネルを変えるのよりずっと易しかった。

 誰も彼も……事務所で飲んでいる飲み物や、飲み会の席での飲み物に、いつの間に か異物が混入されるなどと思いもしないらしい。
 わたしが毒殺魔だったら、どうするつもりなのだろうか?

 とりあえず、二人は幽霊に対する耐性が弱かったらしい。
 常人レベルだったということだ。

 わたしの前から幽霊が二人消え、それに加えてわたしの知合いも二人いなくなった。

 試しにやってみたことがあまりにも上手くいったので、わたしはさっそく……真っ黒な噛みつき幽霊……あの女子中学生の霊を追い払うために行動した。

 今のところ、あれからあいつはわたしの元に現れていない。

 あいつはなかなかに強烈な怨霊だ……
 だからわたしも、これまでのザコ二匹のように一筋縄でいくとは考えていなかった。

 出現する頻度が少ないのも……たぶ ん、わたしをできるだけ怯えさせたいからだろう。
 他の連中のように無意味にホイホイ現れては、わたしの神経をイラつかせることもない。

 事実、わたしは怯えていた。

 怯えていたからこそ、素早く行動した。
 わたしは常に前向きに物事を考える人間だから。

 今のうちに……今夜のうちに手を打っておかねば……わたしはその日、 『今日は遅くなる』と妻に言って、夕方頃にハイエースで出かけた。
 あの殺害現場の山奥を目指して……車を走らせる。

 高速道路を上がったところで、助手席に……いつの間にか、以前わたしが殺した男子中学生が座っていることに気づいた。

 彼がこんなにわたしの近くに現れるのは、はじめてのことだった。
 少年は何も言わず……あの青白い顔でぼんやりとわたしの顔を見つめている。

 細い首筋には、くっきりとわたしの指がつけた黒い痣が浮かび上がっていて、下 半身は紙おむつ一枚。
 少年は黙っている。
 ちらちらと横目で確認したが、唇は動いていなかった。

 しかし、目は真っ黒だ。

 黒真珠のような、ブラックコーヒーのような、水道管の奥のような漆黒。
 その目がじっと……わたしを見ている。

「……何か言いたいことがあんの?」

 わたしは彼に聞いた。
 答はない……そして、見たところ、少年の唇は動かない。

「……おれが、憎い?

 やはり答はない。

 少年は助手席にもたれたまま、首だけをわたしに向けて、じっとわたしを見ている。
 少年を殺した夜、この道を一緒にドライブしたときと、まったく同じだった。

 
 少年とは、これまた夜の街で出会った。

 どう見ても中学生にしか見えなかったが、忘年会帰りの中年男性なみに酔っ払って路地で吐いているのを、わたしが見つけた。

 “大丈夫?”

 と親切に声をかけて雰囲気を見てみると、まったく夜の街で酔っ払うようなタイプには見えない。

 真面目そうで、大人しそうで、寂しそうな……どこか少女のような繊細な面影のある少年だった。

 彼にペットボトルの水を買ってやり、吐けるだけ吐かせて、終夜営業のカフェで話を聞いてみた。

『死にたい』

 彼が漏らしたのは、その言葉だ。
 まあ、詳しく聞く余裕はなかったが……ようするに少年は学校でいじめられていたようだ。

 教師も、両親も、まともに取り合ってくれない。

 こんな美しい少年なのに、本当に気の毒だと思った……
 わたしの息子とは、似ても似つかない美少年。
 そのせいで逆にいじめられていたのだろうか?

 確か にこの少年の表情には、人のサディズムをくすぐるようなところがある。
 当然、セックス面では普通の人間であるわたしのサディズムもくすぐられた……ので、わたし は彼を殺すことに決めた。

『実は、おじさんもずっと前から死にたいと思っててね』

 そう言ったときに、少年が挙げた顔の輝きが忘れられない。

『……実は車の中に練炭を積んであるん だ……でもなかなか、一人で自殺に踏み出せなくてね……そんなときに、君に出会った。これはたぶん、運命だと思うんだ……これからおじさんの車に一緒に乗っ て、どこか遠い山奥にでも行って一緒に死なないか?…… より、二人で死ぬほうが心細くないだろう?』

 よくもまあ、そんなデマカセが並べられたものだと、思い出しても呆れる。
 少年は、笑顔になり、わたしはみごと、少年を車に誘い込むことに成功した。

 あとは簡単だった。
 もちろんわたしの車に練炭などあるはずがない。

 いつもの場所に車を停めると、わたしはダッシュボードからペーパーナイフを出して、彼にズボンとパンツを脱ぎ、紙おむつに履き替えるように迫った。

『なぜですか?』彼は泣きながら言った。『なんでこんなことするんですか?』

『何でって……』逆に、わたしはポカンとしてしまった。『君は死にたかったんじゃないの?』

『一緒に死のうって言ったじゃないですか……ぼくをだましたんですか?』

 少年の美しい瞳から涙がこぼれる。

『それは確かに悪かった……おれは死ぬつもりはない……でも君はちゃんと殺してあげる。晴れて天国へ行けるんだ……それで満足だろう? ……おれは君が死ぬ のを手伝ってあげるんだよ』

だましたじゃないですか!』少年は叫んだ。叫んでもわたし以外、いまさら誰もそれを聞く者はいない。『ぼくをだました!』

『それは、おれが一緒に死なない、ってことだけだよ』

 わたしは諭すように……息子に言い聞かせるように話したのを覚えている。

『いいかい? ……確かに君は 騙された。わたしのような見ず知らずの男の誘いに乗って、車に乗った。これは君の失敗だった……でも、運が良かった、と考えたほうがいい。ひょっとしたら 君は、外国の工作員に引っかかっていたかもしれない。袋を被せられて、船に乗せられて……遠い異国に連れ去られていたかも知れない。そうすると、君を一流 の工作員にするための、恐ろしい拷問による洗脳と、血のにじむような厳しい訓練の日々が待っている。とてもじゃないが、自殺どころじゃないぞ……それに比 べれば、おれのほうがずっとマシだろう? ……あるいは、異常性欲者に引っかかっていたかもしれない。こんな山奥に連れ込まれるんじゃなくて、どこかの部屋に監禁されて、何日も何日も、死ぬことも許されずに、犯され続けていたかもしれない。その様子をビデオに撮影されて、インターネットに配信されていたか もしれない……あるいは、君に声を掛けてきたのが、サディスティックで血を好むタイプの変態殺人犯だったら?……そりゃ君、悲惨だぞ? ……全身をカミソリで薄く切られたり、爪を一枚一枚剥がされたり、指を一本一本落とされたり、火であぶられたり……そんな日々が、何週間も何週間も続くんだ……君が衰弱してこと切れるまで、そいつは君を……何としてでも長く生かして、じっくり楽しもうとする…… それを考えてみろよ。おれで、ラッキーだったろ? ……さあ、早くズボンとパンツを脱いで、紙おむつを履くんだ……そしたら、あっという間にあの世に連 れってあげるから……それが君の望みだったんだろ?……ほら、早く!』

『い、いっしょに……』少年がきっと口を結んだ。『いっしょに死んでくれるって言ったのに……』

『……おれみたいなおっさんと、一緒に死んでどうする?』

 わたしは少年を励ますように言った。

『人間は結局、ひとりぼっちなんだよ。死ぬときはみんな、 一人ぼっちだ。君は死ぬ覚悟ができてる……そうだろ? じゃあ、さっさと済ませちゃおうじゃないの。ラクにあの世にいこう。ラクに行かせてあげるから……』

 わたしの説明が功を奏したのか、少年はようやく観念した。

 眼を伏せながら……わたしの視線から逃れるように後ろを向いてズボンを脱ぎ、パンツを脱ぎ、紙おむつを履く……そして、泣きはらした目で『これでいいで すか?』とでも言わんばかりに、わたしを見た。

 あのときのわたしは、そんな少年に、少し欲情していたのかも知れない。

 それとも、一度は死を望んでいた人間が、ここにきてそれを拒否し、説得されてまた納得する……そういう一連のプロセスが、わたしの加虐心を掻き立てたの かもしれない。

 わたしは、やさしく、やさしく首を締めた……頚動脈のあたりに指を添えて……少年は少しもがいたが……やがて意識を失った。

 そして、少年の寝顔を見ながら、しばらく待つ。

 夜が明けるまで、時間はいくらでもあった……やがて少年が眼を覚ました。

 そして、薄目を開けて……わたしの顔を見上げる。

『あ……あれ?……ぼ……ぼく……死んだんじゃ……?』

 少年が、か細い声で言う。

『いや……まだだよ』

 そのときの少年の絶望に満ちた目が、わたしをまた残忍な行動に駆り立てる。

 そして少年の首を優しく絞めて、また意識を失わせ……目が覚めたところでまた絞め……意識を失わせ……目が覚めたところでまた絞め……それを、何度も何度も何度も何度も繰り返した。

『お……お願い………も、もう……』何度目かのときに、少年が言った『も……もう許して……』

『やっぱり、死にたいかい?』

 わたしは少年に聞いた。
 少年が、力なく首を縦に振る。

『もう……許して……ひとおもいに……こ……殺して………』

『よし、わかった』

 わたしはまた少年の首に手を掛けた……そしてさらに、あと何度か……意識を落としては目覚めるのを待ち、また絞めて……を繰り返し、最終的にはちゃんと 絞め殺した。

 その少年の幽霊が、助手席でじっとわたしのことを見ている。

「やっぱり……おれが憎い?」

 やはり少年から、答えはない。だから、自分で彼の言葉を代弁した。

「憎いよなあ……そりゃあ」

 殺害現場までのくねくねとした山道を登っていくうちに、少年の姿はどんどん透き通っていき、やがて見えなくなった。

 さて、殺害現場の路肩に車を停める。

 ヘッドライトを消せば、辺りは一片の容赦ない闇だ。

 今夜は月も出ていないので、ポケットから煙草を抜き出して火を点けるのにも苦労するくらいの真っ暗闇。
 もう少しで唇を焼くところだった。

 窓を開 けると、どっと虫の声が流れ込んでくる。
 涼しい夜だ。

 一本ずつじっくりと時間をかけて……三本ほど無言で煙草を吸う。
 そして車の窓を閉め、静かに目を閉じた。

 普通の人間は、気を抜くと泣けるらしい。

 しかしあのやる気のない女優の卵……ハルナに聞いた秘訣によると、わたしや彼女のような……もともと感情が薄く、心がカラッポな人間は、意識的に感情を 高ぶらせて泣くしかない。

 簡単に、どうでもいいことで涙を流すことができる人間がうらやましい。

 わたしも、物心がついていなかった頃……赤ん坊だった頃、 泣くことでしか自分の意思を他人に伝えることができなかった頃は、自由自在に泣けたはずだ。

 泣いて、わめいて、鼻水を垂らして……父や母に意思を伝えようと したはずだ。

 いつからそれができなくなったんだろう?

 最後に泣いたときのことを思い出そうとしても、まったく記憶がない。
 自分がいま身を浸している暗闇と同じで、記憶はただ空白でしかない。

 それは底なしの漆黒でしかない。
 触れようと思っても、形がない。

 泳ぎ着こうと思っても、泳ぎ着く岸がない。戻る岸もない。
 溺れるわけにはいかないので、ただ浮いているしかない。

  海の中ならまだ海水の冷たさや波を感じ取ることもできただろうが……真っ暗な記憶のなかにはどんな感覚もない。

 わたしは悲しみと関わらず生きてきた。

 無駄なことを考えるのはよせ、とわたしは自分自身に呼びかける。
 おまえには、悲しみなど無縁だと言い聞かせる。

 なぜ、こうなってしまったのか、とわた しがわたし自身に問い返す。
 知るか、とわたし自身が突き放す。

 お前が選んだ道だろう?
 お前が自ら好んで、こんな涯まで泳いできたんだろう?
 ……と、あ ざ笑う。
 その結果、わたしはどうなってる?

 他人なら簡単にできること……泣くことにも、こんなに苦労しなければならない。

 わたしは意識を集中した……車のパワーウインドウを上げて、虫の声も追い出し、自分自身に問い続けた……。
 そうすると、真っ暗闇の中に微かな赤い光が見えてきた。

 それは怒り。

 なんとかその方向を目指して闇の中を掻く。
 そして泳ぐように『怒り』の光に近づいていく。

 かなりの集中力が必要だった。

 目の前にある握りこぶし大の石を宙に浮かせるくらいの集中力を要した。
 もちろん わたしは超能力者ではない。

 ここまでなんだかんだと書けば、わたしが『泣く』ことに関していかに苦労したかわかってもらえるだろう。

 この方法で、わたしはこれまでに二回涙を流した。
 そして、わたしの周りにいる怨霊を二匹、退けることに成功した。

 今回の相手は……自分でもわかっているが、手強い相手だ。

 ひたすら集中する。

 自分の中にある、もっと根源的で純粋な怒りを呼び覚ますために……。


 車の窓を締め切って虫たちの声を遮断した。

 カチカチカチカチ……

 それなのに、わたしの耳が奇妙な音を捉える。

 カチカカチカチ……カチカチカチ……カチカチカチ……カチカチカチカチ……

 わたしは目を閉じたまま。

 カチカチカチカチ……
 カチカチカチカチ……
 カチカチカチカチ……
 カチカチカチカチ……
 カチカチカチカチ……
 カチカチカチカチ……
 カチカチカチカチ……
 カ チカチカチカチ……

 音はさらに高まっていく。
 どうやらその音は、車の窓のすぐ外から聞こえてくるようだった。

 あいつがやってきたようだ。
 あいつは頭がよく、狡猾だ。

 おそらく、わたしの思惑もあいつにはお見通しなのだろう。
 つまり、あいつはわたしの集中を妨害しにやってきたらしい。

 カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カ チカチカチカチ…… カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチカチカチカチ……カチ カチカチカチ……カチカチカチカチ……

 目を開かずとも、車外にどんな光景が広がっているかはわかっていた。
 わたしは目を閉じ、耳を塞いで、涙を呼び出すための集中を続ける。

 ガツッ、ガツッ、ガツッ……

 カチカチ言う音に、何かが車の窓ガラスに激しくぶつかる音が加わる。

 フロントガラスにも、ドアガラスにも、リアガラスにも。

 ガツッ、ガツッ、ガツッ……
 そいつは音でわたしを脅そうとするだけならまだしも、この車の窓を破ろうとしている。

 窓だけではない。
 車のボディにも、おびただしい数の『それ』がぶつかっている。 

 ときにそれは、ギイィ……という耳障りな音をともな い、金属の表面を擦った。

 やがて、車が揺れ始めた。
 ゆさゆさと、縦に、横に。

 
 さすがのわたしも目を開ける……想像通りの風景がわたしを取り囲んでいた。

 窓の外を、無数の『』が埋め尽くしていた。

 カチカチと噛み合わされる、顔のない歯、歯、歯。

 真っ暗闇の中に、剥き出されたおびただしい数の白い歯が浮かび上がり、カスタネットのようにカチカチと開閉を繰り返している。

 その歯のすべてに、あの熟しすぎたトマトのような赤黒い歯茎がついていた。 

 そのうちのいくつかは窓にぶつかり、ガラスを噛み破ろうとしているようだ。
 いくら目をこらしても、何百もの歯と歯茎だけ。 
 それぞれの持ち主の顔は見えない。

 噛み合わせ続けられる歯と赤い歯茎以外は、すべて暗黒だった。

「あはははははは!」わたしは笑った。「……これでいいのかよ?」

 わたしは歯たちに言った。

「その気になれば、車に入って来れるだろう?……なんで、入ってこない?」

 しかし歯たちは答えもせず、カチカチと音を立て、無意味な体当たりを続け、車のボディを擦って耳障りな音を立てるだけだ。

「それだけ歯があれば……おれをズタズタに噛み殺せるだろ? だったら、なんで今すぐそうしないの?」わたしは歯たちに再び語りかけた。「おれを怖がら せようとしてるのか? おれを震え上がらせようとしているのか? おれに悔いてほしいのか? おれに、許しを請うてほしいのか? おれに、命乞い してほしいのか? ……おい、いい加減にしろよ。カチカチ言ってないで、ちゃんと言えよ」

 わたしの心に苛立ちが募っていった。
 いい傾向だ。
 なぜ、こんなに苛立たせられなければならない?
 その調子で、苛立ちを高めていく。

 この世には腐るほど人殺しがいる……直接的に人を殺す人間もいれば、人間から仕事や財産や、希望そのものを奪って死に追い込んでいる人間など、それこそ 履いて捨てるほどいる。

 わたしだけが、特に悪質だというのか?
 なぜ、人殺しをしているからって、ここまでイラつかせられなきゃならない?

 なぜ? なぜ? なぜわたしだけがこんな目に……?

 苛立ちのせいで、予想より早く激しい怒りにたどり着くことができた。
 泣くことができない自分自身への苛立ちと、車を取り囲む『歯』たちへの。

 そし て、その歯の持ち主であるあいつ……あの少女の亡霊への苛立ちを、心のなかで混ぜ合わせ、混じりけのない怒りとして蒸留していく。

 わたしの心の中で、大玉の打ち上げ花火のような激しい怒りが炸裂した。

 涙が溢れた。
 とめどなく。

 すかさずわたしは、それをスポイトで吸い取った。

【8/10】はこちら


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