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【ホラー小説】呪い殺されない方法【1/10】

人間の屍体を見ると
何がなしに
女とフザケて笑つてみたい
~夢野久作~




 その精神科医がわたしのことを鑑定した。
 かいつまんで話せば、責任能力はある、という結果だ。

 精神科医は三〇代半ばの、なかなか魅力的な女性だった。
 こんな形で出会わなければ、わたしたちの関係はそれなりにロマンチックに発展していたかもしれな い。

 いや、それは有り得ない。

 わたしはちっともロマンチックな男ではないからだ。

「ふつうの人ですよね」彼女は言った。「ほんとうにふつうの人。山ほど症例名をつけられるけど、わたしのあなた に対する評価はたったひとつ。ふつうの人」

「ふつう、というのもけっこう大変なんですよ、先生」わたしは笑みをたたえて答えた。「とくにこんな世の中じゃね。それだけで立派なことだと思いますが」

「でも、ふつうであることに満足していないでしょう? あなたは」

「ほう」

 わたしは思わず、じっと彼女の顔を見た。

 ショートカットの髪にふちどられた顔は、少し幼く見える。

 そこには壁があった。

 べつにわたしを睨んでいるわけでも、非難がましい視線を向けているわけで もない。ただ、彼女は顔でこう言っていた。

『ここから先は、誰ひとりとして一歩も踏み入れさせません』と。

 彼女の顔は壁だった。
 美しいが、砦のような人物らしい。

「あなたは、ふつうと呼ばれてうれしいですか?」

 精神科医が美しい顔を近づけで聞いてくる。

「まあ、それなりに。こんな立場ですし」

 思わず、また意味なく笑みを作っていた。

「それはつまり、あなたはどこにでもいる、どうでもいい、どうってことない人間だ、ということですよ。そう言われると、イヤじゃないですか?」

「ううん……」

 どうだろう? 
 そんなこと、考えてみたこともなかった。

「あなたがしたことは個性的です。でも、あなた自身はちっとも個性的じゃない……ようするに、あなたがやったことの背後には、自分の凡庸への拒否感、凡庸 な自分からの脱却への願望が見えます」

「へえ?」

 これは心外だった。
 少なくともわたしは……自分が認識している範囲では……自分が凡庸であることを十分に認識しているつもりだったし、それを否定するつもりもない。

「あなたのやったことの根底にあるのは、自分という人間の凡庸さに対する苛立ちです。あなたは自分の行為で、自分の凡庸さを否定したかった。だから、犯罪 を重ねた。そうじゃありませんか……?」

「ううーん……」

 どうも話が見えてこない。
 この精神科医が言っていることが正しいのかもしれないが、聞かされているわたしはちっともピンとこない。

 確かにわたしは凡庸な男かもしれない。
 しかし、それのどこが悪いのだろう?

 個性的であることはそれほど重要なことなのだろうか。

 わたしがやったことは確かに犯罪だ。
 しかもかなり凶悪なも のに分類される類の。

 わたしはそれを楽しんだ。

 実際、手間ばかりかかり、自分にとってそれが「楽しい」ということ以外は、何の得にもならないことを繰り返してきた。

 しかし、趣味というものは本来そういうものではないだろうか?

 ゴルフだったり、釣りだったり、アウトドアだったり、さまざまなスポーツだったり……まあ、将棋や読書や映画鑑賞ならそれほど手間も掛からないのかも知れないが。

 いや、それらにしても、何の得にもならないことを楽しんでやることは、この魅力的な精神科医先生の言う『凡庸な自分からの脱却』とは違うような気 がする。

「自分がやったことで、あなたは解放されましたか? ……抑圧を忘れることができましたか?」精神科医先生の目 は、ほとんどギラギラと輝いていた。「あなた は凡庸な自分に、飽き飽きしていたんでしょう? ……そうでしょう?」

 この人のほうがふつうではないのではないか、とわたしは思った。

「普通がいちばんですよ、先生」

「はい?」

 精神科医が小首を傾げる。
 その仕草は、ちょっと愛らしかった。

「まともに生きること、普通に生きることは、近頃じゃあとても難しいことです。そうでしょう? ……わたしの知り合いにだって、心を病んでしまった人間はた くさんいます。まあ、はっきりいって普通に生きようとする人間にとって、この世はあまりに厳しい世の中じゃありませんか? ……だれだって、少なからずおか しくはなってしまいますよ。まともな神経があればね。わたしの身近な人間は、今も精神病院にいます」

 これは事実だ。
 最近ではふつうに生きて、正気を保つのも一苦労だ。

「知ってまいす……」精神科医が長い睫毛を伏せる。「あなた自身も相当奇妙な人ですけれど、あなたの周りではもっと奇妙なことが起こってますね?」

「奇妙……ですかね?」

「わたしのような立場の人間にとって、あなたの身の回りに起こっていることと、あなたがしたことを結びつけて考えることは……職業上、有り得ないことです。両方とも、あまりにも異常なことですが、これらが繋がっているなんてことは……わたしの理解や専門を超えたことです」

「待ってください、先生。私は何もしていませんし、わたしの周りでも確かに……不幸なことは起こってますが、単なる偶然に過ぎません。わたしは やってないことで逮捕され、裁判にかけられて、おまけにあなたが『おまえはこんな人 間だ』と決めつけるのを聞かされている。こんな不条理なことがあります か?」

「不条理?」精神科医が顔を上げる。彼女はまだまだ経験不足なのかも知れない。目に怒りが見えた。「あなたのやったことは、不条理じゃないんですか? あなたが自分の凡庸さから逃れるためにたくさんの人々を手にかけ……」

「だからー……」わたしは精神科医の言葉を遮った。「……わたしは何もしていません。先生が考えておられるような恐ろしいことは何もね」

 魅力的な精神科医は、声に出さずに『やれやれ』と首を振って気持ちを示して見せた。

 残念だ。
 警察に拘束される前に、彼女に出会いたかったものだ。

 そうすれば、わたしはもちろん、彼女も大いに楽しんでくれたはずだ。 


 なぜ人間は、他の人間をハエや蚊でも殺すように殺せないのだろう?

 警察に捕まって、罰せられるから?
 重い刑を……最悪の場合は死刑になることを恐れているから?
 それとも、誰の心にも『生命を大切にしなければいけ ない』という認識が、生まれながらに備わっているから……?

 どれも、わたしには当てはまらない。

 また、警察に捕まるとか、重い刑に処されるとか、あるいは死刑になるかもしれないとか……そういうことが、一体どれだけ人間の行動を抑制で きているのか、正直言って疑問だ。

 人間は、そこまで理性的な生き物ではない。

 程度の差があれ、この世の中から殺人をはじめとするありとあらゆる犯罪…… 暴行、傷害、レイプ、詐欺、汚職に談合、裏金造り、不法な政治献金から万引き、自転車泥棒まで……が根絶されないのは、多くの人間が自分の罪に対して課されるはずの罰を、深刻に考えて いないからだ。

 重い罰は、人間を大人しくさせておく戒めとして、あまりにも頼り無さ過ぎる。
 とくに、殺人のように割のあわない犯罪の場合は特にそうだ。

『死刑は殺人などの犯罪の抑止になりえない』

 これは、世の中で死刑に反対する善良な人々がよく口にする理屈だ。
 わたしもそれには同感だ。

 ではなぜ、人は他人を殺すことを躊躇するのだろうか?
 答は実に簡単だ……殺した相手に、呪われたくないから。

 人間は、徹底的に利己的で自己中心的であり、本当は他人の生命などハエや蚊くらいにしか感じていない。

 でも、人を殺すと、その人間に呪われる、と心のどこか奥で信じている。
 そのことに対する恐怖が、まともな人間を殺人から遠ざけている。

 なぜこんな極端なことを思いついたのかといえば、それはわたしの趣味が殺人であることからきている。

 職業ではない……お金を稼ぐための仕事なら、別にやっている。
 趣味がそのまま仕事になればいい、と思う人も多いだろうが、趣味を仕事にしてしまうと、人 生から楽しみが失われてしまう。

 仕事となると、めんどくさい相手、自分としてはまったく殺したくもない相手を殺さなければならなくなる。
 大真面目に、効率 的に、手っ取り早く、事務的に。

 そうなると……殺しが楽しくなくなってしまう。
 それだけは御免被りたい。

 普段の職業は……詳しく説明する気はないが、まあフリーランスで広告関連の仕事をしている、とでも説明しておこうか。

 けっこう、不安定ながらも、それな りに収入はある。
 忙しいときはそれこそ、気が狂うほど忙しいが、ヒマなときは何日も、何週間も、あるいは最長二ヶ月くらいは、ヒマを体験することになる。

 ヒマというのは……人間の心を蝕むものだ。

 フリーになって二年目、半年間まるで仕事にありつけないことがあった。
 わたしが殺しをはじめたのは、その頃だったと思う……あまり、詳しくは覚えていない。

 まあ、何かカネのかからない趣味でも見つければ良かったのかもしれないが……たとえば、自転車に乗るとか、楽器を演奏するとか、近くの池に釣りに出かけ るとか、インターネットでエロ動画を何ギガも集めるとか……しかし、最終的にわたしが見つけ出したものは、人殺しだった。

 わたしは相手を選ばなかった……少女ばかりを狙って強姦しては殺す、というようなタイプではなかった。

 他人を監禁して、何時間もサディスティックにいた ぶって殺す、というようなタイプでもない。
 まして、死体をどこかに晒し上げて、警察に脅迫状を郵送するような、底なしの阿呆でもない。

 殺した死体は、ある山奥の貯水池に重しをつけて沈めた。

 よほどの干ばつが発生したり、あるいはこの貯水池そのものが取り壊されたりするようなことがなければ、わたしが沈めてきた二~三〇(四~五〇?……正確に数え てないのだ)の死体が発見されるようなことはないだろう。

 場所は絶対に明かせない。
 人気スポットになって、死体で貯水池が溢れかえってしまうと困る。

 わたしの場合、人を殺すのにあたって、『誰を殺すのか』はそれほど重要ではない。『いなくなっても問題がなさそうな奴』がいるから殺してみる、ということがその選択基準だ。

 世の中には、いなくなっても誰も気にしない人間が結構、大勢いる。

 都会暮らしをしていると、ほんとうにたくさんその手の人間と出会う。

 住所不定だったり、住所はあってもフラリと行方をくらます可能性があったり、すでにこれまでにも姿を消したことがあったり……だいたい、今の日本、年間 どれくらいの人間が行方不明になっているかご存知だろうか……?

 増減はあれ、実に一年で85,000人弱もの人間が、われわれの認識の外への脱出に成功している。

 わたしが手にかけるのは……そのうちの、ほんの数人。

 微々たる数字だと言っていい。

 人殺しは気晴らしになった。
 誰かを殺す場合、いつもわたしは自分の両手を使って、首を絞めて殺す。

 ナイフで切り裂いたり、ノコギリでバラバラにしたり、というのは、大の苦手だった。

 わたしは人殺しは好きだが、血は嫌いだ。

 ただ、首を絞めた人間の 顔が紫色に変色し、目が飛び出し、舌が飛び出す様を見るのが好きだ。

 彼らの “なんで?……なんでおれ(もしくは私)が?”という顔を眺めるのは最高だ。

 自分のことを、かなりまともな人間だと考えているわたしだが……そんなところは、じゅうぶん変態的と言っても問題ないと思う。

 あと、わたしはいつも相手を絞め殺すとき、ナイフ(これは、見かけだけで手紙の封もちゃんと切れないような古いペーパーナイフだった。どこかに外国に旅 行したときの土産に買ったんだと思うが、よく覚えていない)で相手を脅して……相手に紙おむつを履かせる。そして、愛車のハイエース車内に敷いたビニール シートの上で、首を絞めて殺す。

 首を絞めて人を殺すと、相手が失禁することが多い、ということはけっこう有名な話だ。

 わたしは車を汚したくないので、いつもそうやって殺すことに決めている。

 そして、天に召された哀れな被害者のみなさんには、紙おむつを履いたまま、貯水池に沈んでもらう。
 汚物は見たくもない。
 その点に関しては、あなたにも共感してもらえると思う。

 で、わたしは気が向いたとき……恐ろしくヒマなときや、ちょっと仕事がうまくいかなかったとき、逆にやたら仕事がうまくいってハッピーなときに、適当な 人間を殺し続けた。

 警察に捕まるかどうかは、それなりに万全を期していたので、それほど心配したことはない。

 先ほども触れたが、刑罰を厳しくして死刑を増やせば殺人そのものが減るだろう、などという考えは、わたしにしてみればお笑い種だ。

 少なくともわたしは……法で裁かれたり、法の名のもとに殺されたりすることに関しては、まったく現実感を抱いていない。

 だが、それらのリスクと、この殺 しという楽しみを続けることのリスクは、いつも冷静に秤にかけている。

 殺しをやろう、と思うたび……そろそろ、また殺しをやろうかなあ……となんとなく考えるとき……あるいは、実際に殺しを終えて、一定の興奮が収まり、さて、次はどうしようか……と考えるとき……わたしはいつも、じっくり考える。

 そして、結局、殺しを続けていくことを選ぶ。

 あるいは、こんなことを続けていれば、死んだあとに地獄が待っている、というふうに恐れることはできるかもしれない。

 しかし……閻魔大王の裁きに血の池に 針の山? ……そんなものを、どうやって真剣に恐れろというのだろう。

 わたしが真剣に恐れているのは、ある怨霊だ。

 わたしに殺されたことに怨みを抱き、わたしを呪い殺そうとやってくる幽霊。

 彼らは、存在する。
 わたしの知る限り。

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