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【ホラー小説】呪い殺されない方法【8/10】

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 効果はてきめんだった。

 わたしはあの、白い歯を持つ真っ黒な幽霊……あの少女の幽霊を追い払うことに成功した。
 以来、夜中に白い歯に噛み付かれることはなかった。

 あれからさらに数人の男女を殺害したが、わたしは今のところ無事だ。

 わたしは万全には万全を重ねるほうだ。

 あれ以降、殺人を行うときは、いつもの場所……あの無数の『歯』に取り囲まれた山奥の路肩にぴったりと車を 停めて、犯行に及んだ。

 やり方はいつもと同じ。
 ペーパーナイフで脅しておむつを履かせて……時間を掛けて絞め殺す。

 近頃のわたしは被害者の断末魔の声と表情を楽しむ余裕もなく、あの白い『歯』が現れないかどうか、そればかりを気にしていた。

 あの日から次々と人を手にかけ、四人目の犠牲者がわたしの手によってこと切れた瞬間、わたしは自分が安全であることを確信した。

「やったぜ!」帰りの車でハンドルを叩きながら叫んだ。「バッチリだ!」

 帰り道の高速で、助手席にちょこんと座っていたのは、ずいぶん前に殺したあの十歳くらいの少女だった。

 おかっぱ髪で、大き目の白いT シャツ、下半身は紙おむつ。
 一重瞼の奥に、真っ黒な光のない黒目がある。

 ときどき、わたしが自室にいるときに、窓からこの子が覗き込む。
 ずっと無表情で、何も言わずに。
 彼女に気づいたとき、わたしはいつも彼女ににらめっこをいどむ。

 思いつく限りの変顔をしてみるが、これまでに一度もこの子が笑ったことはない。

 少女はいつもと同じ無表情な顔で、わたしを見上げている。
 他の幽霊たちと同じで、わたしに何かを話しかけることはない。

 わたしに触れてくることもない。
 わたしを怖がらせよう、という意思もないようだ。
 わたしに殺されたことすら、はっきり理解していないのかもしれない。

「……すごいだろ? おれはあいつを追い払ったんだ! ……助かったんだよ!」

 とりあえず、自慢する相手もいないので助手席に座る少女の霊に自慢した。

 少女は笑いも、頷きもしない。
 じっとわたしの顔を見上げているだけだ。

 わたしは爽快だった……とりえあえず、生命の危機は去った。

 さっきも言ったが、わたしは万全に万全を重ねるタイプだ。
 あのとき吸い取った涙を飲ませる相手は、しっかり選んだ。

 これまで霊を押し付けてきた連中のように、知合いのデザイン会社の社長と、コピーライターの女性のように……
 行方不明になったり、簡単に面会できない閉鎖病棟に入られたりしては、ほんとうにあの噛みつき霊が去ったのかわからない。

 だから確実に、その様子を確認することができる人間を選んだ。

 その人物のことは、「」と呼ぶことにしよう。

 

 すばらしかった。

 最初Sは、眠っている間に左肩をガブリとやられた。
 次に噛まれたのは、右脛だ。
 当初、それが何かの歯型であることを、本人は理解できなかったらしい。

 それはそうだろう……常識ではありえないことなのだから。

 しかし、日に日に自分の身体に傷……歯型が増えてくるに従って、ただ事ではないことが自分の身に起こっていることを確信するに至った。

 まことに気の毒な話だが……Sにしてみれば身に覚えのないことだ。
 むりやりわたしに押し付けられたのだから仕方がない。

 やがて、そのSの目の前に、あの白い歯と赤い歯茎だけを浮かび上がらせた黒い影が現れるようになった。

 あの夜、わたしに襲いかかってきたように……
 黒い影はSを組み伏せ、容赦なくその身体中に噛み付いたらしい。

 翌日、Sが血まみれになってベッドで 倒れているのを家族が発見し、慌てて救急車を呼んだ。

 病院に収容され、医師たちによってその全身に残された傷の手当が行われた。
 医師たちもその傷口の異様さに目を見張ったようだ。

 身体に残された歯型はすでに、18箇所に及んでいた。

 左肩と右脛……右上腕部……左の脇腹には重なるように二つ……
 腰には、左に二つ、右に一つ……尻には合計四つ……
 左右の太ももに4つ……左のふくらはぎ に一つ……そして、鼠径部に一つ。

 医師たちはそれらを、人間の歯によってつけられた傷だと断定した。

 そして、それらのほとんどすべてが、S本人が噛み付くのには完全に不可能な位置にあることを確認した。

 もちろん、事件性が考慮され、警察が介入する。

 まず考えられたのは、家族による犯行とういう線だった。
 テレビの二時間ドラマでもそういう流れになるだろう。それは当然だ。

 その流れに従って、家族が取り調べられた。
 家族の歯型が取られたが、それらはSの身体についた歯型とは一致しなかった。

 そうなると、Sに噛み付いたのは外部からの 侵入者、ということになる。
 警察は念入りに調べた……しかし、その線はすぐに消えた。

 当然だ。
 幽霊が家宅侵入の物的証拠を遺すはずもない。

 わたしは正直言って、幽霊がうらやましくなった。

 さらに、警察と医療関係者を当惑させたのが、入院中のSの身体に、次々と新たな歯型が増えていったことだ。

 これは見ていて少々愉快 だった。

 Sは隔離され、監視下に置かれたが……身体の傷はどんどん増えていく。
 しかも、『法医学的所見』によれば、まったく同じ者による歯型の傷が。

 日に日にSは、正気を失っていった。

 病院に運び込まれた時点で、すでに正気を保っていたとは言えなかったが、やがて廃人寸前になった。
 ほぼ全身を、包帯にくるまれ、まるでミイラか透明人間のようだ。

 口にするのは、白い歯を持った黒い影のことばかり。

 そいつは一日中コールタールに浸かっていたかのように黒光りしていて、ぬるぬるとしていて、長いべとべとの髪を振り乱しながら襲ってくるらしい。

 ぞろり並ぶ白い歯と、赤黒い歯茎を剥き出しにして。

 そうだろう……いや、そうでないと困る。
 そいつだ。わたしがSに押し付けたのは、そいつだ。

 Sは、必死でそのことを医師や、警察や……そして家族に訴え続けた。

 明らかに自分を殺そうとしている『何か』が、毎晩のように自分のもとに現れては噛み付いてくる……
 このままだと自分は殺される……助けて……叫んで、泣 いて、わめいた。

 当然、わたしにはそれが真実だとわかった。

 しかし、『真実』というものは証明するのが難しい。
 証明できない限り、『真実』は『真実』足りえないからだ。

 わたしとSが、実際にこの身で体験した、というだけでは……
 それがいかに『真実』であろうと、それぞれの身体に酷い傷跡を遺そうと、それが人間の生命を 脅かしていようと……客観的に確認できない限り、それは『真実』として証明できない。

 たとえ、わたしがSの訴えを『それはわたしの身に起こったこととまったく同じ現象だ』と公言しようとも……
 この世でたった二人の人間が主張する『真実』 など、いったいどれほどの価値がある?

 もちろんSの言い分を支持してやるつもりなど、さらさらないのだが。

 Sの病室にはカメラが設置され、二四時間体制で監視が続いた。

 その部屋は精神病患者……特に錯乱状態や強い躁状態にある患者のために用意された保護室だった。
 壁はファンシーな色のふかふかのクッションで覆われている。

 ここにカメラが取り付けられ、監視が行われた……もうこの段階まで来ると、Sの苦しみをなんとか取り除いてやりたい、という意図が医師たちにどれほどあったのか、疑わしい。

 手の施しようがないうえに、Sの身に起こっていることは、医師たちこれまでに目にしたこともないような不可解な現象だ。

 医師たちはSの症状 に対して、『強度の解離性憑依ひょうい障害による極端な身体症状』と仮説を立てた。

 憑依?
 診断名を聞いたとき、わたしは思わず笑いそうになった。

 観察を続けることにより、今後こうした同様の症状が別の患者に発生した場合……それ を治療したり、症状を和らげたりすることに役立つかも知れないので……Sはただ、何の処置も施されることなく監視されることになった。

 毎晩、深夜のある時間になると……Sはとても人間のものとは思えない叫び声を上げ、 病室を転げ回り、壁に頭を打ち付け、わめき続ける。

 屈強な男性看護師が三人がかりで押さえつけようとしても、とても狂乱は収まらなかった。

 ある日のことだ。

「助けて! あいつがいる!!

 いつものようにガラガラに枯れた声でSは叫ぶが、『あいつ』は誰にも見えない。
 その日、ある男性看護師がSを押さえつけていた。

 何重にも手当てが施され、包帯が巻きつけられてほとんど素肌を見ることさえできなくなっているその肩に……
 ギシリ、と新たに歯型 が浮かび上がるのを、その看護師は目撃した。

 絆創膏の上に、見えない歯が食い込んでいく。

 Sが悲痛な叫び声を上げる。 

「痛いっ! 痛いっ! 肩っ! 肩っ!」

 看護師はあわててその部分を抑えたが……あっという間に絆創膏に血が滲み出してきだ。

「肩です! ……ほんとに肩を噛まれてます!」

 看護師は自分が見たままのことを同僚たちに訴えた。
 しかし同僚たちは暴れるSを抑えるのに精いっぱいで、それを確認する余裕はなかった。

 看護師はSを取り押 さえ、なんとか鎮静剤で落ち着かせようとした。

 その時のことだ。

 歯型だらけのSが、一人の看護師の頬に噛みついたのは。
 それは、Sの身体に新たに歯型が浮かび上がるのを目撃した看護師だった。

 Sは、他の看護師に制止されながらも、その看護師の左頬肉を噛み千切った。

 血しぶきと絶叫が、柔らかい色調で統一された保護室を満たす。

「噛まれると、痛いよね?」Sは、噛み千切った頬肉を吐き出して、叫んだ。「わかった? 噛まれると、痛いよね? ……死ぬほど、痛いよね?」

 Sの尻に鎮静剤の注射が撃ち込まれた。

 それでも錯乱は止まらなかったので、さらにもう一本注射が使用される……これも異例なことだった。

 その間に、頬を噛み千切られた看護師が担ぎ出される……彼は激痛に叫び続けていた……
 保護室はまるでパニック状態になった猛獣の檻だ。

 同僚たちは 彼の頬の傷を見て『大丈夫、安心しろ。大したことない』とはとても言えなかった……なぜならその血塗れの傷口からは、数本の奥歯が覗いていたからだ。

「痛いんだよ? 噛まれたら、痛いんだよ!」

 意識が落ちるまで……口を血塗れにした歯型だらけの彼らのSは、叫び続けた。

 こういう経緯もあって、いまSはベッドに手足を縛りつけられたまま、ほとんど一日中……鎮静剤を与えられ、死人のようにベッドに横たわっている。

 それでも、身体の歯型は日に日に増えていく。

 ベッドの上で、ミイラのように包帯でぐるぐる巻きになったSが呟き続ける。

「………痛い…………痛い………痛い………」

 患者に頬肉を噛み千切られた看護師は、気丈にも数か月後、職場に復帰した。

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