書評「漫画映画(アニメーション)の志―『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』」(高畑勲)

フランスのアニメーション映画に「やぶにらみの暴君」という映画があります。日本で公開されたのは1955年です。

それから30年後。「やぶにらみの暴君」の作者たち―監督ポール・グリモー、脚本ジャック・プレヴェール―は、それを『王と鳥』という映画に作り直します。

なぜ作者たちは30年後に作品を作りなおさなければならなかったのか。この作品を”作品作りの原点”と語る高畑勲監督が、「やぶにらみの暴君」という映画の数奇な運命と、その映画が問いかけるものとはなにか。

作者たちの烈々たる志のもとに、一本の漫画映画がたどった驚くべき数奇な運命と、作品制作をめぐる壮大なドラマを丁寧に描いたのが、本書「漫画映画(アニメーション)の志―『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』」です。

なぜ高畑勲は「やぶにらみの暴君」と「王と鳥」の背景を調べたのか

本書は「やぶにらみの暴君」という作品の解説、作られた経緯、作品の評価、作りなおされた経緯などが、数多くの文献の引用も用いて、丁寧に、そして驚くほど詳しく描かれています。本書からも、高畑さんの丁寧な仕事ぶりが伺えるのは、微笑ましい所でもあります。

また、本書を読み終えると、高畑さんにとって「やぶにらみの暴君」から受けた衝撃の深さ・強さとあわせて、「自らが受けた衝撃の深さ・強さの源を知りたい」という探究心が、高畑さんに本書を書かせたのだと感じさせます。

高畑さんは、作品の完成度を追求するあまり、しばしばスケジュールや予算をオーバーすることでも知られています。「火垂るの墓」は公開までに作品完成が間に合わず、一部画面を真っ黒にして公開したことがありました。今年夏の公開が予定されていた新作「かぐや姫の物語」は、スケジュールを遅延を理由に、秋の公開に延期が決まっています。

作品の背景を調べていくうちに、自身と「やぶにらみの暴君」の作者たちに共通点を感じるところがあったのか、本書にはこんな一文が登場します。

1980年の「王と鳥」の公開時、グリモーはテレビで、
「着手してから完成まで35年かかりましたね」と言われたとき、
「それはちがう。「やぶにらみの暴君」に三年、こんどの「王と鳥」に2年、合計5年かかっただけだ。
あとの30年は資金を探すために費やされた。そういう作品だと思って欲しい」と語りました。

わたしには、自分に貼り付けられた「スケジュールを遅らせる完璧主義者」
というレッテルがグリモーの頭をかすめたような気がしてなりません。

高畑勲が自身の作品に込めた思い

本書の終章には「漫画映画の志」というタイトルで書かれた、「やぶにらみの暴君」からの影響を考慮した上で語られた、自身の「アニメーション論」が登場します。そこで、高畑さんは自身が作った作品に込められた意図の一部を以下のように語っています。

「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」などをふくめ、
私はそれまでも観客を完全に作品世界に没入させるのではなく、
少し引いたところから観客が人物や世界を見つめ、
「我を忘れ」ないで、考えることが出来るような工夫をしてきたつもりではいたのです。
ドキドキさせるだけでなく、客観的に状況を示し、ハラハラもさせたい。
場合によっては主人公を批判的にも観てもらいたい。
(中略)
「平成狸合戦ぽんぽこ」は、はっきりとそういうことを意識してつくりました。
(中略)
「ホーホケキョ となりの山田くん」を大真面目につくり、
リアリティは捨てないけれど、簡素なスタイルによって見かけ上の「本当らしさ」は捨て去りました。

「ドキドキさせるだけでなく、客観的に状況を示し、ハラハラもさせたい。場合によっては主人公を批判的にも観てもらいたい。」自身が語るように、最近の高畑さんの作品は、純粋に楽しめるエンターテイメント性の強い映画より、観た人に映画の意図を問いかけるような作品を作り続けました。

本書を読むと、高畑勲という監督のことをより深く理解できます。おすすめです。

※2013年3月の記事を再編集しました。

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