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2019年夏、浜通り取材 ニュースの現場

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<続き>

浪江駅前でSさんと待ち合わせて、早速車に乗せてもらう。冷房が心地よい(笑)

実は、Sさんと直接会うのはこの日が初めてだ。Facebookで繋がり、お互いに現地の情報についてやりとりをしていた。互いの容姿は写真で確認していたので、すぐに本人だとわかった。というか浪江駅前にイベント以外で人がいることは、ほとんどないw

車に乗るとどこを走っているのかさっぱり見当がつかなくなるのがいつもの自分なので、今回はiPadでグーグルマップ表示しっぱなしでチェックしながらのドライブになった。未だ走ったことのないR114をリクエストして、ひとまずそちらへ向かう。

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R114は、浪江の津島地区など、未だ帰還困難区域である超高線量地帯を通り抜ける国道。帰還困難区域の通行は窓を閉め切った車の通行のみが許され、エアコンの通気口も室内循環にすることを推奨される。「放射性物質を持ち出さない」という原則からすれば本来なら車の通行も禁止だが、日本政府は2014年10月の6国(国道6号)通過容認を皮切りに、次々と国道や県道を通行可能にしている。

昨年10月と12月に僕が丸腰で歩いて通り抜けてしまった帰還困難区域である県道253号浪江町酒井地区区間も、車のみの通行が許されている。

R114は今も、道沿いに地表1mで10μSv/h近く、地表すれすれでは80μSv/hを超えるようなホットスポットが見つかっている。最も原発に近づく6国同様に、車内の空間線量も結構高くなる。

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まずはDASH村へとつながる浪江町津島地区ゲートへ。

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「この先にDASH村があるんですよね?」と聞くと、

「そうらしいですね、行ったことありませんけど」

「今行ったトラック? 途中で工事があるそうです。DASH村じゃなくて途中の道の」

素っ気なく話していた。

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ゲート付近の空間線量は1.3〜2.0μSv/hくらいをふらふらしていた。警備員が立つ場所は徹底的に除染されるが、それでもこの数値だ。

警備員は頑丈な排気弁付きのマスクに個人線量計を身につけ、被曝量を管理しながら働いている。

「除染はしてるけどここは線量高いですから」

そう言って中通りから通ってるというおじさんは笑った。

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浪江町津島地区を通過し、葛尾村へ。ここまで来ると空間線量はだいぶ下がる。

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フレコンバッグの山だ。シートが外され重機が動いているのは、中間貯蔵施設への移動が始まっているからだ。東京五輪の前年になって、体裁を取り繕うためにフレコンバッグの大移動が始まった。

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このベージュのフレコンバッグは…これも放射性廃棄物なのか?

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炎天下のなか重装備で、お疲れさまです。

中間貯蔵施設への移動が始まったと言っても、そのための用地買収は7割までしか進んでおらず、建設も追いついていない。放射性廃棄物についても、汚染水の処理や様々な工程で次から次へと増えるし、帰還困難区域の避難指示解除のために除染は今も進んでいるので、汚染土も増える一方だ。

中間貯蔵施設に入りきらない分はどこへ行くかといえば、帰還困難区域の奥の方へ仮置場を作って移動し隠すだけだ。富岡町小良ヶ浜のフレコン置場前ゲートに立つ警備員に聞いた時も、中間貯蔵施設に入らない分はもっと北の海沿い(帰還困難区域の奥)に移動しますと話し、「そうやって隠すんですね」と言っても否定することはなかった。

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同じフレコンバッグでも、黒とベージュでは随分とイメージが違う。

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DASH村へつながる葛尾村側ゲート。右の警備員はここで働くようになって1年ほど。以前は原発作業員の送迎バスの運転手をしていたという。派遣会社から派遣されており、勤務地や業務は3ヶ月ごとの契約になっているという。2ヶ月契約の介護士よりいい(笑)。空間線量は1μSv/h以下だが、場所が場所だけに簡易マスク1枚なのが奇妙に映った。

「あれ、個人線量計は…?」
「つけてません」
「え?」

するともう一人、若い女性の警備員が後ろからやってきた。排気弁付きのマスクだ。胸には個人線量計が付いている。

「あれ、そのマスクは排気弁付きですよね。で、個人線量計…でもおじさんつけてませんよね?」
するとおじさんは「会社が違うからさあ」
女性警備員は「まあここ線量低いですから」

いや、そういう問題じゃないだろう。下請けや孫請けで装備まで変わるのか。おじさんの方はこの先にDASH村があることさえ知らなかった。直接は聞かなかったが、おそらく給与も違うだろう。若い女性警備員が高線量の場所で働いていることにも驚いたが、同じ場所で働くのに装備が違うということにも驚いた。

驚きを隠せないまま、車に乗り込んでSさんにその話をすると、「まあそんなもんですよ」としれっと話した。11/16に岡山県津山市の「紅」展会場で元除染作業員と対談した時も、2次や3次と6次や7次の下請けでは装備も待遇も全く違うと話していたっけ。

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葛尾から田村市都路へと抜ける。

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走りながらさっと撮影したフレコン置き場。10月の台風19号でフレコンバッグが川に流出しニュースになったが、それはこの場所だ。どれだけの汚染土が川に流出したかはわからない。環境省は「空間線量に問題はない」と頓珍漢なコメントを出したが、川の水と一緒に流れていってしまったのだから、この場所の空間線量を測ったところで何の意味もない。

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田村市では稲作が再開されている。

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破れたブルーシート。ここの管理は地元の土建屋がやっているという。Sさんによれば、少なくとも5年はこのままだという。フレコンバッグの耐用年数はわずか3年だ。

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台風で川に流出したフレコン置場の管理もいい加減なものだった。報道では中間貯蔵施設への移動のため被せていたシートを取ったままだったというが、被せていたところでこの状態では大した意味もない。

大手のゼネコンが管理しているフレコン置場は、しっかりとしたシートが被せられ周囲を白い鉄板で囲い厳重に管理されている。福島県内に通う小学生に放射能安全教育を施し、そんな小学生に「緑のシートを被せれば周囲に溶け込むのでは」なんてアイディアを出させてまで管理をしている。しかし場所が変わって地元土建屋に任せたフレコン置場は、テキトーにブルーシートを被せてほったらかしてるだけだ。核災害という国土を失い命さえ奪う人災の置き土産を、国策で推し進めてきたにも関わらず管理は民間に任せるとは、無責任国家極まれりとしか思えない。

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禍々しい光景。

昨年10月に訪れた富岡のプロパガンダ施設「リプルンふくしま」では、除去土壌の安全性を盛んに強調していたが、それらは全て「真っ当に管理されたら」の話だ。

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溜息しか出なかった。

その後、27億かけて新築したという大熊町役場へ向かった。

<続く>

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