2020年3月福島取材㉖/人のいない“聖火リレーと常磐線全通に沸く町”
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<続き>
双葉北小へ足を運ぶと、校庭はゼネコンの資材置場になっていた。
校舎の側にはモニタリングポストがあり、0.569μSv/hと表示されていた。実際の線量は毎時1.0μSv前後。
浪江の大堀小学校よりは少し低い。浪江の大堀小学校周辺は既に2017年3月に避難指示解除され、人も住んでいる。しかしそこより若干線量の低い双葉北小は(帰還困難区域内の)特定復興再生拠点区域で、立入規制は緩和されたものの、未だ人は住めない。基準など曖昧でいい加減なものだとつくづく思う。そこに暮らす(暮らしていた)人のことなど何も考えていない。
(放置された自転車)
(校舎はしっかりしている。問題なのは、目に見えない放射能)
浜通りの強制避難区域の復興がほとんど進んでいないことを記者等が伝えると、「そこに住んでいる人がいるのに」と当事者性を前面に押しだして黙らせようとする人たちがたくさん出てくる。僕は、イデオロギーに囚われた批判(というか誹謗中傷)を繰り返している人たちの方が、よっぽど「そこに住んでいる人」のことなんか全く考えてないと思う。
放置された自転車の脇を抜け、校舎の中を覗くと、そこには震災時に周辺の住民が避難した時のままの光景があった。
(保健室。今でも眠れそうだ)
放置されたポータブルトイレ、今でも眠れそうなベッドの置かれた保健室、教室に散乱するスリッパに子供の長靴、畳まれた布団…震災当時そのままの雰囲気に圧倒される。
体育館を覗くと、富岡第二中と同じように、卒業式の準備がされたままだった。
プールの水もそのまま…あの水は、どれだけ汚染されているだろう?
ざっと歩いた感じでは、小学校の敷地内で最も高いところは毎時1.4μSvほどだった。もちろん、詳しく調べたわけではないので、もっと高いところはあるかもしれない。しかし全体としては、浪江の大堀小学校よりは低い印象だった。
(悲しき朝礼台)
ここもいずれ解体されてしまうのだろうか。地震も津波の被害もさほどなく、ただ、原発事故によって打ち捨てられた学校。「原発事故遺構」として保存すべきではないか。
しかし、太平洋戦争の敗戦直後は言うまでもなく、平時である今でさえ、この国は記録を残さない。そして記憶もいずれ消えてしまうのだろう。
その後、双葉駅の西側の住宅街を見て歩く。駅前同様、玄関や窓が開きっぱなしの家が多い。
どれもこれも、空き巣によるものだろうか…洗濯物が干しっぱなしだったり、様々なものが散乱し…そこに人の暮らしがあった。それが今は、人っ子一人いない。
荒れ果てた町に、「避難指示を解除しました、さあ帰ってきなさい」というのだろうか? 解体して更地にして、何もなかったかのように取り繕って、「さあ、放射能は見えません、科学的に見て安全ですから帰ってきなさい、10年ほったらかしてきた土地へ」というのだろうか?
今は立入規制が緩和されただけだが、2022年には人が住めるようにするという。一体何人の双葉町民が帰還し、そして帰還しない町民は「非科学的」「町を捨てた」と中傷されるのだろうか? 福島県だけ基準を20倍に上げて無理矢理避難指示解除、帰還を進めようとしても、生まれるのは分断だけではないのか。
フラフラ歩いていると、東京電力の寮が見えてきた。
「原田寮」と書かれている。建物が頑丈なため、荒らされてるということはない…ここはおそらく独身寮だろう。この建物を、東電はどうするつもりなのだろうか。
川を渡って駅方面へ戻ろうと橋へ向かうと、「通行止」。なんとか渡れないかと近づいて見てみると、道路と橋の間に切れ目があり、下が丸見えだった。
ダメだ、ここを歩いたら崩れて大事故になる。ここで引き返すことにする。
振り返ると、廃墟の脇からトボトボと狐が現れた。さっき駅前でやってきた狐だろうか。食べ物を持たない僕をちらっと見た後、残念そうに道を歩いて去っていった。哀愁の漂う背中に、思わず笑顔が出た。
<続く>
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