見出し画像

2020年3月福島取材⑨/町の悲鳴が聞こえる

「有料」とありますが、基本的に全て無料で読めます。今後の取材、制作活動のために、カンパできる方はよろしくお願いします。

〜〜〜〜〜

<続き>

高台の下の高線量地帯を抜け、駅方面へ向かって歩く。

画像1

更地と、壊れたまま放置された家と。

画像2

ここにも「needs」。地元企業のようだが、儲かってたまらないだろうな。この看板は昨年からやたらと目につくようになったと記憶しているが、なぜだろうか。

画像3

ここでも家が解体されていた。屋根がすごい音を立てて重機によってひん曲げられていく。まるで悲鳴のようだった。

画像4

更地。ここにもかつて暮らしがあった。

今年3月、双葉駅を訪れたカンニング竹山がSNSで「これから解体され、新たなる町が始まる」と書いていたが、なんて無神経なことを書くのかと思った。なんでも解体しリセットすれば物事が前に進むとでも思ってるのだろうか。結局、上っ面をなぞっただけで知った気になってる芸人風情に、当事者の気持ちを知る気など毛頭ないのだと思う。

竹山は、結局「福島」を1つの物や数字としてしか見てないのだと思う。

画像5

ここでダンプが浪江中学の中に入っていったので、立っていた警備員に「解体ですか?」と質問する。単純に「校庭を資材置き場にしています」ということだった。

浪江中学も閉校が決まり、いつ取り壊されてもおかしくない。

画像6

犬が吠えていた。ここには、一昨年から住民が帰還している。瓦礫の上に乗り、こちらに向かってひたすら吠えていた。

画像7

コスモス保育園へ向かう。ここも解体か…

画像8

画像9

画像10

ここは厳重にガードされている。中の様子をここから伺うのみだ。ここを卒園した子供たちも…一番若くてももう高校生になるのか。

画像11

線路を越え、駅前のスナック街、カーニバルステーションへ。

画像12

画像13

僕は福島取材の際はいつもいわきに宿泊しているので、夜まで浪江にいることは少ない。そのため、営業してる店舗があるのかないのか、ちょっとわからない。

常磐線が全通したことで、遅くまで浪江に滞在することも可能になったが…それとて、いわき行きの最終は20時41分だ。

画像14

更地と廃墟の合間を抜けながら、イオンを目指す。

画像15

画像16

画像17

五輪は延期になった。来年、本当に開催されるのか。開催されるならば、聖火リレーのルートはどうなるか。そのままなのか。

聖火リレーでここを映したらどうだろう?

画像18

今でも駅前に廃墟はたくさんある。

画像19

イオン到着。イートインでアイナメの寿司を食す。美味!

画像20

3月5日と6日の2日間、イオン以外の場所で住人らしき人とすれ違ったのは4人だけだった。町中を歩くのはほとんどが工事関係者、解体作業員ばかりだ。

飯舘の知人によれば、避難先とで2重生活をしている人が多数いるという。避難先に生活の基盤を持ち、昼間、あるいは平日だけ浪江や飯舘に来る人が多いという。本当の意味で「帰還」しているのは、“居住者”の半分の半分ではないかと話す。

イオンで休憩後、イオン裏のアスナロ幼稚園へ。

画像21

前回来た時と比べ、いくつかの遊具がなくなっていた。

画像22

そして園舎の前にあった「友愛」の像もなくなっていた。ここもいよいよ取り壊しだろうか。まさか鳩山由紀夫が友愛が好きだからといって嫌味でどかしたわけではないだろう。

画像23

画像24

まち・なみ・まるしぇのリラクアさんにて。もう貼り出されてる。

画像25

(「放射線科」が何となく気になった)

画像26

画像27

浪江小学校。ここも閉校が決まった。今やイベント時の駐車場に成り下がっている。

画像28

画像29

安藤ハザマの駐車場。いつも思うのだが、こういうのはちゃんと家賃を払って土地を借りているのだろうか。更地だからといって、勝手に駐車場にしてるのではないか。

10年前、当時働いていたデイサービスで同僚だったおじさんと、数ヶ月に一度呑みにいっている。そのおじさんの弟が安藤ハザマの社員で、震災後は福島に転勤になり、今は儲かって仕方がないという。居酒屋でその話を聞いて、僕は急に体調を崩しトイレで嘔吐したことがある。

…文字通り、反吐が出る。

画像30

浪江神社は工事中だった。

画像31

スナック店舗。ここもとうとう解体か。

画像32

駅前ではテレビ局が中継中。3/5に大野駅周辺の立入規制が緩和された。常磐線は3/14に全通となる。この時期の福島はこのニュースで持ちきりの印象だった。

浪江駅前の建物は、印象としてはどこもかしこも解体されていくようだ。何もない更地の駅前が復興の印にでもなると思ってるのだろうか。いったいこの町をどうしていこうというのか、さっぱり未来図は思い描けない。ただただ、「なかったことにしたい」ようにしか見えない。

…代行バスに乗り、帰途に就いた。

画像33

常磐線が全通しようとも、これからも帰還困難区域は厳然と存在する。

画像34

画像35

この日の代行バス車内は、強風だった前日の最大5.92μSv/hより2.0以上も低い数値だった。こんなにも変わるものなのか。

画像36

画像37

画像38

画像39

画像40

さらば福島。

この次は、本来はFoE Japanのシンポジウムで、3/13に福島市に行く予定だった。しかしCOVID-19の蔓延により国際シンポジウムは中止。3日間で千人近い人に僕の作品を見てもらうことは不可能になった。

考えた末、僕は1週間後の3/13に再び浜通りを訪れ、最後の代行バスの運行と、常磐線の全通を見届けることにした。

この国の狂気を見届けようと思った。

画像41

<続く>

ここから先は

0字

¥ 100

サポートしていただけると大変ありがたいです。いただいたサポートは今後の取材活動や制作活動等に使わせていただきます。よろしくお願いします!