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「尽くす」タイプの女性が不幸になる理由 〜本当の人の愛し方〜

尽くし型の恋愛をするタイプの女性は、

「自分を犠牲にすること=相手を大切にすること」

と、一般的に言われます。

本当にそうでしょうか。

私は全くそうは思いません。

本当に「自分を犠牲にする」人など会ったことがありません。

「尽くす」というのは、自分本位な考え方です。

「尽くす」という意味が、「自分を犠牲にする」と考えていることが間違っています。

「相手の望むことが分かり、行動出来ること」が本来の尽くすということです。

一般的な「尽くす」とは。(以下引用)

●週末の過ごし方やデート先について彼に提案することが多い
●彼の来月の予定、仕事が休みの日を確認するのが癖
●友達も交えて遊ぶとき、どこに行こうか?と計画を練るのはいつも私
●自分から手を握ろうと、彼にアプローチすることが多い
●彼とケンカしたあとに仲直りするのはいつも私から
●彼と一緒にいると、自分の方がよく喋っている
●彼が私について質問するより、私が彼について質問する方が多い
●気に入った新しい音楽、本を頻繁に彼に紹介している

ありきたりなパターンです。

一般的なパターンをあてはめることが、そもそも「尽くす」とはかけはなられています。

「尽くすタイプの不幸な女」というのは良く聞く恋話です。

それは、相手の望む事を理解するよりも、自らの”一般的に考えられる”尽くす行為を押し付けているに過ぎません。

例えば、上記に書かれている「彼と一緒にいると、自分の方がよく喋っている」というのは、彼に質問したり、彼に興味をもってないからだと自らを疑う(=反省する)ことが大切です。

現実に、幾つになっても恋愛が苦手な女性(男性も)では、よく見かけるダメな典型例でしょう。

長年に渡り自分のことしか考えてこない習慣・習性により、相手に質問・疑問や興味を示さないので、自分のことばかり話すタイプです。

一体、このような形で付き合うことを、恋人が真に望んでいるのでしょうか。

むしろ、独善的で「つまらない」と感じるように思います。

相手の望む事を知ろうとしないのですから、押し付けがましいと感じるはずです。

「尽くす」というのは、十人十色だということなのです。

「相手の望むことを理解出来る」ことが尽くすことですから、一般論は決して当てはまりません。


極端な話を例にします。

マゾの男性が、マゾの女性に満足するでしょうか。

マゾの男性にとっては、いじめてもらうことが心地いいのです。

いじめてくれることが、「尽くす」ということではないでしょうか。

SМというのは、性的関係に良く使われますが、性格面でも当てはまらないことはない。

自己満足の状態では「相手の望むことが完全に理解出来る」ことはあり得ません。

現実に、自己犠牲出来る”聖人君子”のような人は存在しない。

だからこそ、恋人同士、喧嘩もするし、不貞腐れるし、口論にもなるし、最後には・・・別れることもあるのです。

それを繰り返してゆく事で、お互い(男女)の”望むこと”が理解出来るようになります。

1つの仮定として、「本当に尽くせる」ならば、その関係において、別れることはあり得ないということになる。

尽くし過ぎて嫌われることは、論理的に間違っているし、尽くし過ぎて別れるというのは、尽くしてないということです。

自己犠牲が尽くすことだと一方的に考えているから、尽くされた方は自分の望む事ではないので「嫌気がさす」のです。

そう言った古い価値観での「尽くす」というのは、本質的に「自己満足」「自分本位」です。

相手の望むことではなくて、自分のやりたいことをやっているだけです。

本来の「尽くす」事が否定されるとは、「依存し過ぎる」からです。

「依存し過ぎる」ことが、「尽くす」と誤解されている面がある。

「依存し過ぎる」ことは、恋愛だけでなくて、あらゆる恋活の場面で望ましい形ではありません。

「依存する」というのは、全ての人に共通です。

仕事に依存する、

趣味に依存する、

ギャンブルに依存する、

親に依存する、

ゲームに依存する、

恋人に依存する、

夫・妻に依存する、

等々は「その程度」が問題なのです。

本当の意味で、何物にも「依存」しない人はいません。

しかし、「依存し過ぎる」ことは問題です。

依存と尽くすことを、勘違いしてしまうから、「自己犠牲」などという間違った解釈になるのです。

ゲームに依存している人を、ゲーム会社に尽くしているという人はいません。

仕事に依存している人を、会社に尽くしているとは言いません。

客観的にみると、ゲーム・仕事中毒に見えるということです。

ゲームも仕事も依存しすぎると、過度の自己満足となる。

むしろ、周りの状況を見失い、独りよがりな印象になるものです。

つまり、恋愛において、「尽くす」ことの善悪を論じるのではなくて、相手の望むことを真に理解する事で「相手に依存し過ぎない」ことが大切なことです。

とはいっても、「し過ぎる」という程度が人それぞれで難しいですね。

それは、恋愛においては、お互いに話し合いながら、喧嘩しながら、学んでいくしかないのです。

恋愛や結婚の醍醐味は、人生で唯一無二の”依存し合う”ことでもある。

依存されなければ、「寂しい」「悲しい」「冷たい」「頼られてない」「無視されている」ということに必ずなります。

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