やりたい事とか、なりたいものとか、別になくていいねん
久しく本屋さんに行ってないが、3年以上たった今でも忘れられないシーンがある。
母と湘南にある蔦谷に行ったときのこと。当時わたしはキングコング西野さんの革命のファンファーレを買おうとしていた。
それっぽいジャンルの棚を見つけたとき私の中で時間が止まった。
溢れかえった自己啓発の本。
「〇〇すべき」「〇〇するな」
「〇〇な人は〇〇をやらない論」
「〇〇される勇気」「〇〇な人の法則」…エトセトラ
この手の本のタイトルは上げたらキリがない。それだけ多くの本が出版されていて、”売れている”ということだ。
が、わたしにとってあの光景は恐怖と未知と、どす黒いなにかベタベタした感情の渦に飲まれたような気分だった。
なぜ人は人に憧れ、現状に満足できず、高みを目指すのか。
こうあるべき、こうするべき、べきって、なんだ?
あなたの思う、べきとはなんですか?
コンサルタントの仕事をしていると定期的(2018年以降は特に)やってくる「やりたいことが見つからない」という相談。
私はいつもその質問に決まってこう答える。
「探しているうちは見つかりませんよ」と。
多くのひとが「なにかやらないと」「なにかするべきだ」と考えている。
鬼がいないのに必死に何かから逃げているような、もしくはゴールのないマラソンを永遠に走っているような、そこにゴールは存在しないのに。
こういったことに陥る多くの原因はインターネットでしょう。
いまや各自、独自チャンネルをもつことが可能になりました。
ラジオ、ポッドキャスト、YouTube等。動画や写真を配信して100万人のひとにアプローチすることが可能です。フジテレビやNHKと同等権力といっても過言ではありません。
ある日突然あなたの同僚が超有名人に成り上がり、インタビューに引っ張りだこ。独立して年収1000万ってきいたら、、どうしますか?ジブンにも出来るかもしれない!と挑戦したくなりませんか?
こういった情報が毎日、スマホをあければ飛び込んでくる。キラキラした情報が入るのと引き換えに「自分はなにもしていない」という現実を知り自己嫌悪に陥るのではと考えています。
やりたいことをやろう!
でも、やりたいことってなんだろう。
この無限ループが始まります。
ではそういった感情、状況にどう対処していけばいいのか。
答えは簡単です。
***
「好き嫌いせず全部やりましょう。」
昔、言われたことありませんか?
野菜は好き嫌いしないで全部食べなさい、と。原理は同じです。
結局のところ、やってみないと好きか嫌いかわからないのです。
「やりたいことが見つからない」は「食わず嫌い」と同義です。
見た目と感触が嫌だったアボカドを初めて食べたときの衝撃は今も忘れられません。(なぜ今まで食べなかったんだこんなに美味しいのに、、!)
やりたいこと、なりたいもの
そんなもん、最初っからなくていいんです。後付けでいいんです。
ノリと気分でオーストラリアに越してきた2020年2月。先日、映画でしかみたことがないような満点の星空をみて「オーストラリアに来た理由これや」って思いました。そう、そんなもんでいいんですよ。わたし幸せです。
お礼に元気玉を送らせていただきます。