おすすめの本「誰もボクを見ていない」山寺香 を読んで
例えば殺人事件のニュースがお茶の間に飛び込んできたとする。それを聞いた人は当然、事件の起きた「事実」しか分からない。世の中で起きた事件について、その事件の背景には何があったのか、事件に至るまでの経緯など、深く知ることはとても少ない。
この事件も当初のニュースで誰もがふと頭をよぎったのではないか、
「少年が遊ぶ金欲しさに祖父母を殺害」と…。
……実は全く違った。
あらすじと内容
・虐待がもたらすもの
子どもは生きていくためにどんなに腐った母でも「愛す」という本能がある。そうしなければ生きていけないから。
少年の家族は母親の浪費癖で住む家がない。公園などでの野宿やラブホテルでの生活。学校へも行かせてもらえない。義父からの暴力。性的虐待。母親からはネグレクト、暴言。脅し。
総称である「虐待」の中での全ての種類と言っても過言でないほどのちぎれるような痛みと辛い仕打ちを少年は幼い頃から受け続けた。
それでも少年は母の元を離れることはなかった。
「見捨てられ不安」という文字通りの「見捨てられるのではないか、という不安」が母親に依存していく理由だという。また、「学習性無力感」といわれる[ストレスを自分の力では回避出来ない環境に置かれるとその環境から逃れる努力すらしなくなる現象]ものもあったのだろう。
・この社会に望むこと
この本を読んだ人の感想として優希(少年)の母、幸子の人格に対してクズとかクソとか言う人は多い。しかしこんなに非道な幸子は、ほんとに「人格が悪い」だけなのだろうか。それだけでは済まされない何かがあるのではないか。精神を病んでいるのか或いは脳の病気かもしれない……そんな人間を保護する施設がこの国にあるのか、わたしは知らない。優希のようなこどもを救うということは親も同時に救わなければ、根本から救ったことにはならない。
税金は高いが社会保障、福祉が行き届いた北欧などの諸外国に日本は見習わなければならない、と思う。
先日テレビで、ゲームのアバターに虐待やいじめなどの悩みを相談出来るという情報を見た。なるほど、生身の人間でない方が話やすいかもしれない。こうした取り組みが広く利用されることを願う。
・母親の心情
何年何月と時系列に優希の過酷な日々が綴られ、読みながら思っていたことがある。
あぁ、優希が辛い目にあっていた時は自分の子が何歳であの頃はこんなことをしていて遊んでいた…。
当たり前だと思っていた自分達の日々は当たり前ではないんだと。
もしかしたら自分だって貧困や健康などが原因で間違った行動をしてしまうかもしれない。
幸子は家賃としてのお金をもホストクラブやゲームセンターなどで浪費し、住む家を優希から奪った。そんな生活の中、彼女に罪悪感のようなものがあったのか、何を考えていたのだろう。
知りたい。
今度は幸子目線で語られた本を読んでみたいと思った。
・理想と現実
何故、周りにたくさんの人間がいて、この家族を救うことが出来なかったのか、
児相(児童相談所)は一時保護をする場合、原則としてこどもや保護者の同意を得て行うがそれとは別に強力な権限がある。裁判所が認めた場合に、強制的に家庭に立ち入り、子どもを保護することが出来る。しかし児相職員は、警察のようにピストルを持ってはいない。逮捕権もない。それ故、簡単には出来ないという。
街中でもしも、子どもが学校へ行っていないと薄々気づいても、汚れた服を着ていても、人々は、声をかけることをためらう。わたしなら声をかけることが出来るか、「出来ます!」と、はっきり断言は出来ないだろう。
「行事振り替えの休日かな」「汚れた服は、たまたま…」など適当に理由を考え、自分を正当化するかもしれない。
この事件は社会全体に責任があるんだと思った。
・愛
ふと、ミスチル(Mr.Children 日本のロックバンド。)
の曲で「タガタメ」という曲の歌詞の一部を思い出した。
この歌詞で桜井さんは、
被害者、加害者のために、かろうじて出来ることは、愛すること以外ない、と結んでいる。
我々は見返りを求めない善意や裏表のない優しさなど純粋には存在し難い社会で生きているのかもしれないと著者は言っている。小さな社会である家庭にそれがなければ社会にもそれは存在しないだろうと思う。
優希は過酷な環境の中で生まれた妹をあやしたり、ミルクを飲ませたりして愛し、逮捕後も妹の今後を心配していた。だから優希には「見返りを、求めない善意や裏表のない優しさ」が純粋に世の中に存在することを信じて欲しいし、信じていけるはずだと思った。
逮捕後に優希が語った、
「自分と同じような境遇の子を社会が見つけ、早い段階で保護することを望む。」
自分を犠牲にして、犯罪者になってまでも社会をかえようとしている姿にこの子を犯罪者という括りで縛っていいのか…。
・優希の詩 『存在証明』
ここに「存在証明」という
曲を紹介する。
優希が事件前日にJR北千住駅前の大型ビジョンで聴いたという自殺対策のキャンペーンソング『あかり』(バンド名「ワカバ」ボーカル松井亮太さん)は優希の心に沁み、優希は「もっと早くこの曲に出会いたかった」と思ったという。後にそれを知った松井さん。
優希と音楽を通しての交流が始まった。そして事件後に優希が書いた詩に曲をつけた。
それが『存在証明』だ。
優希が辞書を引きながら書いたであろうこの詩。この本を読む前にも、一度目を通した。その時には感じなかった思いは、本を読み終え、もう一度詩を読んでみた時、優希の伝えたい気持ちがすぅーっと染み入るように入ってきた。
子どもは家庭内で親から金銭などの「経済資本」と教養、学歴、言語能力などの「文化資本」を相続するというが、そのどちらもマイナスだった優希は渇望していた勉学を皮肉にも逮捕されてから出来るようになった。
『MOTHER マザー』
という映画にもなったこの事件は
「この社会で生きる大人一人一人の責任が問われている。」
行動を伴わない善意というのは、
同情したり、どんなに心を痛めたりしてもただおもっているだけ。
さぁ、勇気を出して声にしよう。一歩踏み込んで何かをしよう。
『誰もボクを見ていない』
山寺香
おすすめの本。是非手にとって読んでみて欲しいと思う。
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