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”死”と”生”の関係

みなさん、こんにちは。おかぴです。

100日チャレンジ37日目の投稿です。

今日のチャレンジ内容は
①毎日1つ心が喜ぶことをやる
⇒死ぬまでにやることリストをつくる

②毎日1つ新しい学びを発信していく
⇒死が生をより一層輝かせる

死ぬまでにやりたいこと

最近は調子がいい日が続きます。おそらく2週間後には低迷期が来るのでしょう。なんだかここ数か月はずっと浮いて沈んでを繰り返しています。そろそろ波を乗りこなさないといけませんね。

さて、今日のような調子のよい日は自分の考えをまとめたり、未来へのモチベーションアップのために行動したりするようにしています。

取り組んだのは「死ぬまでにやることリスト」。
名前のまま、自分が死ぬまでに成し遂げたいことを紙に書き出すだけ。

シンプルですが、やってみると自分の心の奥がのぞけて面白いです。”死ぬまでに”と考えると必然的に”生きているうちに”を考えざるを得ないので、いつでもできるようなちっぽけなことは考えなくなります。
そして一番最初に成し遂げたいと浮かんだものは、自分の心の中で大切にしたいこと、本当にやりたいことだったりします。

私も書いてみて驚いたのですが、人とのつながりに関することが大半でした。どんだけさみしがり屋なんじゃい。笑

一番の野望は「47都道府県の人と友達になること」。全世界と言わないだけ謙虚ですね。笑

自分の心の中では、人との出会いや体験が人生を一番豊かにしてくれるものだと思っているので、必然的に多くの人との出会いを欲しがったのでしょうね。
他にも細かい野望はありますが、どれも人間関係に繋がってくる気がします。

もし考えたことの無い人がいたら、A4用紙1枚にでっかくペンで描いてみてください。なかなか楽しいですよ。

死が生をより一層輝かせる

死ぬまでにやることリストで死ぬについて触れましたが、本来はとても繊細で扱いにくい項目です。”死=恐怖”と考える人もいるでしょうし、少なくとも楽しい話題ではないので当たり前ではありますが。

ここから私の死についての考えを書きますが、先に言っておくと死ぬことを良しと思っているわけではありません。むしろ私の考えは逆です。
それにあくまでも”死”という概念についての一見解であることを分かったうえで読んでください。お願いします。

話を戻すと、私にとって”死”、そのものには意味はないと思っています。

”死と生”の両方がそろってこそ、かけがえのなさが生まれてくるのだと考えています。
結局人間は遅かれ早かれ死を迎えます。私は当分死んでやるつもりはありませんが、それを証明できるものはありません。
でも死ぬことがわかっているからこそ、生きている今の時間が大切なものであり、全力で生きてやろうという気持ちを湧きおこすのでしょう。

わざわざ野望を文字に起こして、なんとしてもやってやろうと思うのも、漫然と生きていてもいつかは死とご対面せざるを得ないことがわかっているからです。

普段暮らしていると、死を感じることは少ないですが、皆に平等に訪れてしまうもの。
どのように生きるかの自由があり、自分で生を輝かせる自由もある。生きている時間を大切にするほうが後悔しないのではないかなと思います。

凹む日もありますが、そんな心持で毎日頑張っています。それではこのあたりで失礼します。
また明日も頑張ります。

最後までご覧いただきありがとうございます。
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