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【短編小説】大きくて切ない

【短編小説】大きくて切ない

「映画、面白かった?」

 彼女はそう言って、コーヒーがなみなみと注がれたカップにそっと唇をつけた。草原を撫でる息吹のように、ふうと息を吹いて立ち上る湯気を押しやる。僕の答えなどどちらでもいいようだった。彼女が二度息を吹きかけ、その黒い液体を口に含むのを待ってから僕は「つまらなかった」と言った。映画を見る前に彼女へ言ったように、人間が演じていると思うとどこに感情移入すればよいか分からなくなるのだ。

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【短編小説】私が腐るまでに

【短編小説】私が腐るまでに

 この家にいたら腐ると思った。それでも家を出ないのは、もう私が腐り始めているからなのかもしれない。朝の八時、仕事場へ向かう母が玄関のドアを閉めた音で目が覚めた。アラームが鳴るまであと三分ほどあったが、私は体を起こして伸びをする。まだ眠気が体を包んでいる、そんな夏休み明けの一日が始まる。

 布団を畳み、カーテンを開け朝日を浴びる。眩しさにくらっとめまいがした。夜の間についた穢れを洗い落とすように、

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【短編小説】クリスマスホーリー

【短編小説】クリスマスホーリー

 愛じゃなかったのだろう。分からない。形が変わり果てただけなのかもしれない。腐っても鯛という言葉があるように、それも愛なら、私は愛として受け取らなければいけなかった。

 12月の初めに彼と別れた。彼はそれが誠実さであると信じているかのように私に告白した。あの時と同じようにじっと私の唇ばかりを見ていた。状況が上手く飲み込めなかった。赤く塗った唇だけがひとりでに笑い、言葉を発した。それは私の言葉では

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【短編小説】熱夢

【短編小説】熱夢

 部屋が異常に広く感じた。ぶわりと膨張した風船の中のように壁は歪み距離感覚がバグる。陰影がデタラメになり、妙に影が長く感じる。私は子供の頃の悪夢を思う。酷い風邪をひいて熱にうなされながら見る夢だ。

 非常に大きく見えるものがあれば、小さく見えるものもある。それらは夕日によって覆い被さるように伸びた影がそうするみたいに私を心細くさせる。透明な衣装ケース、イヌが描かれたマグカップ、ダブルベッド、水色

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140字の作品集②

140字の作品集②

「洗い流す」

脱いだ下着から笑い声がしたので洗濯機に放り込んだ。溺れ死ね、もう二度と着けてやるか、と叫ぶドッジボールのような責任転嫁。あなたは今私がどんな格好でお風呂に入っているのかすら想像できないのだ。固めた思いがシャンプーに溶けて流れていく。ボディーソープは目を染めるだけで役に立たない。

「140字の愛」

何にもないけど、涙が出ないから言葉で泣くわ。寂しくって大人ぶって独りになったのだか

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140字の作品集①

140字の作品集①

「夏夜」

私はあなたの体温を吸って咲いた花。淡い色になる前に口に入れて咀嚼して。あなたは欠け落ちた星につけられた小指の傷。色のついた呼吸が傷口から侵略を始める。弾けた花火を眺めるふたり。夏が湿らせて伸びた前髪。

「夢と幽霊」

寂しくて気が狂いそうな夜はいかがお過ごしでしょうか。暑がりで、不幸症な私ですが枯れない花を買いました。不安定な蛍光灯が照らす部屋の中心に置かれたその花の名は幽霊。いつか

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詩集「水に浮かぶ愛」

詩集「水に浮かぶ愛」

手紙

君を見ていると好きな子への手紙を思いだす

結局、何も書けなくてぐしゃぐしゃにして破り捨てたんだ

僕は字が汚かった

きっとそれが原因な気がする

寂しさ

寂しさには慣れた、と私は声にだして言ってみる
しかし寂しさからの返事はない
我慢できるって意味なのと付け加えみた

あなたと出会ってから原因不明の寂しさに襲われることはなくなった
原因明白な寂しさになったから

あなたにあだ名をつけ

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