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映画『ラストマイル』から見る「極端なシステム化」がもたらす悲劇

みなさんこんにちは、日々にじゅうまるといいます。

先日、ようやく映画「ラストマイル」を観てきました。

元々「アンナチュラル」が好きで、そのキャストが出るということで発表された時から楽しみにしていました。もっと映画を楽しむために、未視聴だった「MIU404」も観て、こちらにも大ハマりしました。

そんな中で映画を観たのですが、そのストーリーの奥深さにめちゃくちゃ感動しました。
映画でこんなに感動したのはいつぶりだろう。

どの場面でも豪華すぎるキャスト陣の面々に興奮しっぱなし。
ミステリーとして新しいトリックを打ち出していて、製作陣の多大な努力が垣間見えます。

そのうえ大きな社会問題も映画に入れ込んでいて、一度観ただけでは頭が追いつきません。

特に物語の大きなテーマである現代の労働問題が、今の仕事と重なる部分が多すぎて、つい書きたくなってしまいました。

普段このような感想文を書くことが少ないため、稚拙な文章で申し訳ありませんが、ラストマイルを観て、仕事について考えるきっかけを得たという方々と、少しでも感想を共有できると嬉しいです。

前提として、この映画は豪華なキャスト陣、制作陣が多大な時間と労力をかけて作ってくださった名作中の名作なので、まだご覧になっていない方はぜひ映画館でぜひ観てみてください。

1. 人のスキルを「平準化」し、再現性を生み出すことが地獄の始まり

まず、強く感じたのは、私はエレナや孔と同じく、多くの人たちを雇って、彼らをシステムでがんじがらめにして、動かしていく役を演じる側だということです。

私はコールセンターで正社員として働いていて、100名以上のオペレーターさん達と一緒に働いています。

私たちはコールセンターを運営したいクライアントたちから仕事をもらって、「採用→育成→退職したらまた採用」のサイクルでセンターを運営しています。

毎日つつがなくセンターを運営して、みんなが働きやすいように課題を少しずつ解決していくことが仕事です。

働いてくれる人は様々な方がいます。
当然年齢層も、性別も、これまでの職歴もバラバラ。
だから当然、電話業務への向き不向き、成績も高い人・低い人バラバラです。

しかし、クライアントは当然業務上のミスを0にし、さらに成果を最大化し続けることを望んでいます。
そんな中で私達がすべきなのは、働くみんなの成果を平準化するためにシステムを作ることです。

例えばコールセンターでは、案内の統一化が行われます。
お客様に正しい内容を素早く伝えるために、ほとんど全ての質問に対する答えをあらかじめ用意し、できれば文言まで統一することで伝わりやすさのムラを無くしていきます。

また、生産性を上げるためにもシステムを構築します。
なるべくヒューマンエラーをなくせるように、人がする作業はどんどん減っていきます。
どうしても人の判断が必要な作業が必要な場合は、必ず二次チェックが行われるように運用フローを構築します。
これも「システム化」ですよね。

私たちはこのように、システムを使って成果を最大化しようとする。

この映画ラストマイルで描く、立ち止まる人に「弱い人」と烙印を押し、切り捨てる社会は、このようにシステムを構築・運用していくことで生まれていきます。

多くの人が、システムの中で動くようになると、それを動かしている人間からはその働く人たちの人間性が見えなくなっていきます。

少人数ならそんなことはないのでしょうが、働いている人の数が増えるほど、働く一人一人の顔を思い浮かべることはできなくなります。

それによって、私たちはこの先に人がいる、ということを意識せずに仕事を命じるようになっていくのではないでしょうか。

ラストマイルでは、働く人の顔を見ずに利益だけを見る行為が、いつの間にか、痛ましい事件の引き金になってしまうのでは、という警鐘を鳴らしてくれているのだと思います。

人が作ったはずの「システム」がいつの間にか働く人を単なる歯車に作り替えていって、システムに人が使われるようになる、ということは、私たちの社会の中にもきっとたくさんあるはず。

そして、この映画をみてこんなにも切ない気持ちになるのはこのシステムによる人間への抑圧がこの先もずっと誰かを苦しめるとわかってしまうからだと思います。

この問題の所在が明らかになったところで、私たちはこのシステムを全てとっぱらったり、誰も苦しまなくていいように緩めることは難しい。
そうすれば会社にとっては利益が減るし、社会もその仕事が継続されることで成り立っているからです。

会社が存続していくためには、コストをいかに減らし、売り上げを伸ばしていくかということを考えないといけません。

「サービス」というものが生まれた当初は、本当はお客様が喜んでくれれば良くて、そのためには労働者に無理をさせる必要なんてなかったはずなのに。

この資本主義社会では、利益を上げるために頑張り続けることしかできないのです。
そもそも業績を伸ばし続けないと、会社自体が存続できない。
だから、会社はシステムを構築して、時に労働者を追い込んでしまう。
これも全てお客様にサービスを提供し続けるため。
お客様ファーストの姿勢であることに変わりはない。

こうやって見てみると、資本主義自体も、社会全体を包み込む一種のシステムにも見えてきますね。

この社会のなかで人が人を使うことで起こる残酷な無機質さと、それを変えることの難しさを訴えかける、すごく深い映画だと感じます。

2. 主題歌と映画

もう一つ、私が特に好きなのは、米津玄師さんの「がらくた」の歌詞と映画がリンクする部分です。
歌詞の中で「壊れていても構わないから」という一節が優しすぎる。
この映画では色々な現場で働く人たちが描かれますが、働く中では当然成果を出し続けることが求められ、そこには妥協が許されません。

「壊れている状態=うまく利益を生み出せない存在」とするなら、この競走社会は、壊れた人間を許容してくれません。

壊れていても構わない、とは相手自身を大切に思うからこそ出てくる言葉です。
相手がどんな状況でも、変わらず大切な存在だということですよね。

私は仕事に忙殺され、成果を求められ、上司と部下からの板挟みになる中で、こんな無条件の優しさを忘れていたような気がします。

人を「仕事における有用性」だけで測ろうとする社会では、人を評価する側もされる側も、幸せに生きることはきっと難しい。

「がらくた」のように、人を丸ごと包み込むような温もりを持つことだけが、幸せをつかむ唯一の方法なんじゃないか。

そう気づかせてくれた作品でした。

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