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それどころではない【コトバビタミン】第21回

こんにちは!虹色さん太(@nijiiro_santa)です。

今回は、何か面白いことを思い付いたり、やってみたいと思ったりしたことを発言した時に、「それどころではない」と一蹴されたことのあるあなたに、勇気を与える話です。


あなたは2020年シーズン(正確には2021年元旦の天皇杯決勝まで)で現役を引退した中村憲剛というサッカー選手を知っていますか?

彼は大卒で川崎フロンターレに入団し、18年間このチームでプレーして、40歳で引退した人物である。

この中村憲剛という人物は、W杯にも出場した日本を代表するプレーヤーだが、私が注目したのは、彼がとってもファンに近い存在だったということ。


彼はチームのホームタウン川崎市への地域貢献を労を惜しまず行っていたサッカー選手だったのです。川崎フロンターレ自体が、地域にチームを知ってもらうため、応援してもらうために発足当時からそういう活動を行っているチームです。


今でこそ、地域貢献を行っているチームは増えているのかもしれませんが、昔のサッカー選手のイメージは、サッカーして、いい車に乗って、美味しいもの食べて…みたいな感じだったのではないでしょうか?


このチームがやっている取り組みは私の知る限りでは、

・地域の商店街への挨拶回り
・地域のイベントに参加
・地域の学校でのゲスト講師
・地域の一日消防署長


などなど(詳しくは中村憲剛選手のドキュメンタリー映画『ONE FOUR  KENGO THE MOVIE』で観てね!とても泣けます)。


銭湯のイベントとか、勝利者インタビューでバナナの被り物したりもしてて、もっともっとたくさんあると思います。
このように中村憲剛選手やフロンターレの選手たちはホームタウンに住む人々のもとへ足を運び、サッカーだけではないところでもみんなを笑顔にしています。

川崎フロンターレはこのような活動の効果もあり、地域のファンが増え、試合への来場者も増え、リーグ上位常連に位置するようになっていきました。

しかし、2016年まではなかなかタイトルが獲れず、カップ戦などでも決勝で勝てずに2位になることが多く、チームはシルバーコレクターと呼ばれていました。

そんな状況の中、他のチームの選手からは、「練習時間を削って地域に顔出しに行ってるから勝てないのでは?」と言われることもあったそう。

この地域に足を運ぶ活動が、この言葉を言った選手にとっては「それどころではない」ことなのかもしれません。


しかし、中村憲剛選手やフロンターレの選手たちはこの活動を止めたり、減らしたりすることはありませんでした。

この地域貢献に関して、どんな依頼も断ることなく率先して引き受けてきたのが、中村憲剛選手だったのです。


そして2017年シーズン、遂にJ1リーグチャンピオンになったのです。

このときチームの人々は、地域貢献活動がチームの勝利につながっていることを証明できたと思ったそうです。

「それどころではない」「それ」をやってみることが、実は本来目指しているところへ辿り着くための大切な役割を果たすことがあります。


意外に、「それ」「それどころではない」状況を良い方向に転換させるかも?


私たちは普段、応援しているチームや地域にあるスポーツチームなどが勝つことで、笑顔になります。話す話題なども増えます。


スタジアムに観に行ったり、リアルタイムで経過を見ていたりすると、その結果で「今日はいい日だった」と思えます。



私の場合では「目の前で対話すること(最近はもっぱらオンラインですが)」「どこかで自分の発信したのもに触れてもらうこと」で人が笑顔になれば嬉しいし、存在意義を感じられます。

まぁなんやかんや言うて、私、サッカー大好きなんだな。社会人までやってたし。
サッカーから学んだことってたくさんあるなと、これを書いて見つめ直すことができました。


中村憲剛さんは、特に出会えて良かったサッカー選手の一人です。会ったことないけどw

一つ彼のことで不満を述べるとするならば、2014年ブラジルW杯のメンバーに大久保嘉人選手を選んだなら、その最大の得点源であるパサーだった中村憲剛選手を一緒に選んで欲しかったな〜、と一生言います。

あっ、もう一つ言うと、2017年にフロンターレがリーグ制覇した時に川崎市で行われた優勝パレードの前日まで、その商店街付近に出張で泊まってたので、もう一日居たかったよ…。

いつか憲剛さんに会えたらいいですね!


ではまた!

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