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感情は裁かれない

こんにちは
あそびっこart&playのゆうです。



年末年始って、せわしくって
自分の気持ちを置いてけぼりにしていませんか?

子どもたちのわさわさや
祖父母の「あれしてやりたい」「これしてやりたい」や
自分の中の「本当はこうしたいのに!」
だったり。

イライラして「んもう!」って思ったり、
焦ったり、怒ったり、もやもやしたり。

そんな「負の感情」を感じたときに、
自分はどんな反応をしているでしょうか?


「こんなこと思っちゃダメだ」
と感情を否定していませんか?


イライラ、焦り、怒り、悲しみ、嫉妬など
負の感情って言われるものって
胸の中にある時、居心地の良いものではありません。

だから、自分で自分の感情を否定してしまいがち。

「こんなこと感じる私はダメなやつだ」
「こんなこと感じる私は嫌な人間だ」
「なんてひどい人間なんだろう」
と自分責めをしていませんか?



でもね、感情は自然現象のようなもの。
雨を否定しても、雪を否定しても、仕方がないのと一緒で

湧いてくる感情は自然なんです。

ありのままって言うけど、
感情はありのままの自分そのもの。

否定しなくて大丈夫なんです。

責めなくて大丈夫。

負の感情も持ってて良いんです。


なぜか、っていうと、

負の感情って、本当の自分からのメッセージだから。


「負の感情の奥に何があるのかな?」

って視点で見てみると、
メッセージがたくさんかくされているんです。


例えば。

私の場合、夜になってもなっても子どもがうるさいとき、
どうしてもイライラしてしまいます。

不機嫌になって、怒りっぽくて、
「夜なんだから静かにして!」って怒鳴ってしまっていました。

でもふと、
「夜なんだから、ってなんで静かにしなきゃいけないんだ?」
と思ったんです。

小さい頃、私は「夜は静かにするもんだ」って
こっぴどく叱られながら育ちました。
それは、同居している祖父母を意識した母の教えで、
今では「祖父母に迷惑だから静かにしなきゃいけなかったんだ」と
わかることができます。

でも、今私は実家をでて子供と夫婦四人家族の生活です。
家の壁も厚いから、少し騒いだくらいでご近所迷惑にはなりません。

ならば、なぜ、こんなにも「夜騒ぐこと」を怖れるのか?

と、疑問に思いました。


「このえも言われない怖れはどこからくるのかな?」

と、怖れの奥をのぞいてみたんです。


それには、ちょっとした内観のコツがあるのでまた次の機会にお話しします。


ちょっと時間をかけて、のぞいてみると、

そこには、
母の「子どもたちを祖父母の理不尽な怒りから守りたい気持ち」
が見えてきました。

同居していた祖父母は母の実の両親でしたが、
とても厳しく「世間様に恥ずかしくないこと」をとても重んじていました。

昔の木造家屋は音は筒抜けだし、ご近所の目もあったのでしょう。
夜、兄弟喧嘩や大声で歌ったり、騒いだりすると
「山から鬼が連れに来るよ!」と脅されたものです。

母もそうやって育てられたので「子どもたちにはそんな思いはさせたくない」という気持ちがあったんだろうな、と思いました。


この「怖れ」の向こうには「母の愛」がありました。


なあんだ、それだけか!

と思うと、心が軽くなりました。

でも、夜子どもたちがうるさいとイライラがなくなるわけではありません😂

でもその時に、感じるイライラを否定しなくて良くなりました。

「私は夜は静かにしていたいの。あなたたちが騒ぎたいのなら、私はもう寝るね。」

と言って、別の部屋に移ったり、ただきもちを伝えるようになりました。


感情を裁かないで、責めないで、
その奥を見つめれば、
裏側にある何かに気づける。


それが何かはわからないけど、
きっと心を軽くしてくれます。

まずは感情を責めないで、裁かないで、
「この奥にあるものはなんだろう?」と
のぞいてみてください。

小さい頃の自分の声や本当のことが見えてきたら、
その感情は「ありがとう」と手放してOK。

心の中にスペースが生まれて、平安を感じられると思います。


心や感情との付き合い方。
ちょっとずつ言語化していきたいと思います。

ではまた次回。


ゆう 2024.1.2

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