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78日目 「悲しみ」を「悪」と考えないために

どうもこんにちわ!こんばんわ!
100日後に人生を変える副業サラリーマンです。

前回、「悲嘆」とはどういうものか
お話してみました。

悲嘆には、いろいろな段階がある、
という研究があります。
ただ、段階といっても、順番に起きるわけでも
1つだけを経験するわけでもなく、
同時に経験したり、何度も経験する

ということもあります。

そして、悲嘆の段階を知ることで、
それを克服したり、どのように悲嘆すべきか、
といったルールがあるわけでは
ない
ということです。

ただ、「悲嘆」は正常で健全なことだ、
ということがあらためてわかる、ということです。

否認

圧倒的な悲嘆の痛みに耐えて生き抜く助けになります。
直面する状況と否応なく待ち受ける新しい現実を
どのように受け止めるかが徐々に変化していく、
という意味になります。

否認が薄れるにつれて、感情の新しい波が表面化します。

取引

「もし、・・・だったら」とか「・・・しておけば」
といった思いにふけることを言います。
この思いが進むと、自責に行きつきやすいと
言われています。
「あの時別の選択をしていれば・・」
といった思いに駆られることもあります。

抑うつ

深い喪失感、激しい悲しみ、虚しさのことを
言い、精神疾患とは異なります。

これが悲嘆の一部と分かったら、
自らその痛みを癒そうとし始めるのです。

だから、周囲の人は治そうとしたり
抜け出させようとせず、ただただ
見守るのがよいとされます。

受容

充分な時間とスペースがあると、
再び前進して積極的に人生にかかわろうと
思えるようになります。

ただ、新しい現実は意にかなうものでは
ないし、望ましいものでもないけれど、
受容の段階では、その事実を受け入れ、
自分の欲求を感じ、新しい経験と
新しいつながりを求め始めます。

受容したことで、悲嘆がおわる
わけではなく、また「取引」に
もどったり、感情も行ったり来たり
することもあるでしょう。

でも、それが人生において、
正常なことだということで、
人生が後退しているのではない、
ということです。

いかがでしたでしょうか?

どの段階でも大事なことは、
悲嘆は「悪」ではない」
ということです。

このことがわかると、悲嘆を感じても
少し、安心できるのではないでしょうか。

それでは、また明日。
楽しい1日をお過ごしください。

(前回の記事)


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