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虫かごのセミを見て思い出した、私は生きている儚さが怖い。<読書感想文「わすれられない おくりもの」>

カサ、カサ…。カサ……。部屋に響く不定期で乾いた音。

午前中、ばあばが
息子にと持ってきてくれたセミが、虫かごの中で動く。

このセミは、もう命が短い。

虫かごの中で羽ばたくこともせず、
時折、枝から滑り落ちそうになって、カサッと羽音を立てるだけ。

私は、そういう命が絶えそうな生き物を見るのが、すごく苦手だ。

枯らしてしまうのが嫌で、植物も育てたくなかったし、
自分の采配ひとつで生死を決めてしまうペットも飼いたくなかった。


人は、いつか死んでしまう。

人は、いつか居なくなってしまう。


気が付いた時には、もう、私の胸に植え付けられた大きな「恐れ」。

何故なのかは分からない。人並み以上に、「死」というものに敏感だった。


心理学には「教育分析」というジャンルがある。

心理職に携わる人が受ける、スーパービジョンのようなもので、

自分自身がクライエントになり、
夢などを用いて無意識層の自分も含めて知っていくことで、
より質の高いセッションを提供できるための自己分析のことだ。


私が受けていた教育分析の講座で、ある課題が出た。

「子どもの頃一番好きだった、思い出深い絵本を一冊選んできてください。」

私が選んだのはこの絵本。

誰からも尊敬され、慕われたアナグマが永遠の別れを告げる。
その前後の、森の仲間たちの様子が描かれた本だ。

このお話は、大切な人を亡くした時のグリーフワークにもよく使われる。


教育分析の講師に問いかけられた。
「あなたがこの絵本から受け取ったことはなんですか?」

「人は、」と言いかけて、もう涙が溢れてしまう。
私がこんなにも「死んでしまう」ことを恐れているのは、誰のことなのだろう。

この絵本には、様々な動物が登場する。
どの動物もアナグマから何かしらの知恵を受け取っている。

私が自分と重ね合わせたのは、キツネだった。

物語の中でキツネは、ネクタイが結べなくて、アナグマに教えてもらうのだ。
みんなが出来ることをできない姿が、不器用な私に似ている、と思った。

そしてキツネは、それ以外にも登場場面がある。
キツネは、いつまでも起きてこないアナグマの家へ入り、
アナグマが永遠の眠りについたことを、みんなへ知らせる役割をする。

それをきっかけに、森のみんなは
ひと冬の間、巣の中で悲しみに暮れ、涙で布団を濡らすのだ。


この重要な役割を、何故キツネが担ったのか…?

教育分析の時は引っかからなかった事だが、
突如それが気になって、本棚から持ってくる。

読み返してみると、キツネだけ
アナグマとのエピソードが、子どもの頃のものだと気づく。

そして、大人になったキツネは、
どんなネクタイのむすび方もできるようになったし、
自分で考えたむすび方もできるようになった、と書いてある。

アナグマからの教えそのままでなく、その知恵を「発展」させたのはキツネだけ。


挿絵を見ると、どうもキツネが年長者のようだ。
カエルやモグラがカジュアルな服装をしているのに対して、スーツを着ている。

アナグマとの別れを一番先に知る、
その時、知恵を伝えていく者としてのバトンを受け取った、とも取れる。

つまり、次のアナグマの役割を担うのは、キツネ。


私は、子どもの頃、現実世界があまり楽しくなかったので、
自分はそんなに長生きしないだろうと思っていた(今は楽しい)。

朝から晩まで、様々な人があちらからこちらへ動いているのを見て、
「みんなやることがあっていいなあ」なんて思っている熱量の低い子どもだった。

生きる事に執着がなかったし、自分が生きているべき理由も特に見つからなかった。いつでも他人事だった。

それでも、その頃から
「みんないつか居なくなってしまう」という不可抗力は怖かった。


自分が死んでしまいたい、とか、特定の誰かが死んだら嫌だ、とかではなく、

誰がどんなに一生懸命生きたとしても、すごい人がいて世界の歴史を変えたとしても、フッと蝋燭の光が消えるように、その命は終わってしまう。

そして二度とその光は戻らない。

そういう事が、怖かった。


誰かが死んで、誰かが生まれて、世代が移り変わって今の自分がいる。

私もセミのように、
大きな時代から見れば、一瞬しかない人生を終えて、
名もなき亡骸になって、塵になる。

そして、子どもたちの世代がまた世界を動かしていく。

大きなサイクルの中に自分がいるのは受け入れているけれど、
命の光が消える、その刹那が、どうしようもなく私を怖くさせる。

現在地を、歩道から車道へ1メートルずらしただけで、死ぬ。
当然のように笑っているこの生暖かい肉体が、次の瞬間も生物である確証はない。
ポクポク鼓動を刻む心臓が、動くか動かないかだけのボーダーライン。

命の危うさ。
生と死の境目の薄さ。

生きているっていうのは、ギリギリまぐれで成立している、確証のない奇跡。

私は、生きている儚さが怖い、のだと思った。


そして、アナグマのように、
肉体を失ってもなお、誰かに影響を残すほどの自分でいることを受け入れた時、
私は、やっと本当のキツネになれるように思う。


虫かごのセミは、もう
羽音を立てなくなっていた。

<大人の夏休み課題・ 読書感想文終わり>

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