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考えたことの記録として 最近はサイイッド・クトゥブにはまっております

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「岩」と名づけられた男の話

私はキリスト教徒ではありませんが、イエスのことは尊敬していますし、またその尊敬心を脇に置いてもなお、イエスの物語には圧倒的な力がある、と私は感じています。 そんなところで、数ある新約聖書の物語から一つ取り上げて今回の記事の起点としたいと思います。それは以下の一節です。 この一節で述べられているイエスの奇跡は、マタイ、マルコ、ヨハネの福音書にその記述があります。しかし、後半のペトロの挿話についてはマタイによる福音書にしかありません。 鑑みるに「信仰の薄い者よ」という言い回

    • マルクスと単純化

      カール・マルクスといえば『資本論』の著者で有名な共産主義の親だ。 『資本論』を読んだ人はおおむね2パターンの行動をとると思う。 1つめは意味不明だと思って読むのをやめるパターン。 もう1つは興味深いと思ってどんどん読み勧めてしまうパターンだ。 私は後者のタイプだった。 マルクスの世界の見方は、あとで触れるように、はっきり言って粗暴だ。 だが私の持っていた世界観と共通する部分もあったし何よりマルクスの書いたものには、ひとつの社会科学の体系を打ち立てようという人間の情熱がこも

      • ChromebookでAndroid版noteを使ってみる

        こんにちは、あんぽんちゃんです。 いつもは文学とか哲学について書いていますが、たまには息抜きもよいだろうということで、ときどき他の四方山話もしてみたいなと思います。 ほとんどパソコンとかガジェット関係になると思いますが…… ところで、皆様は普段どういった環境でnoteを更新していますでしょうか? 私はパソコンで主に書いて、スマホは補助的に使うようにしています。 私はChromebookを使ってブラウザで書くことが多いのですが、ChromebookはAndroidアプリが使え

        • 昨日から頭痛がひどい……イブクイックがぶ飲みや

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          ドストエフスキーについての所感

          私はドストエフスキーの作品が好きでよく読む。ただその楽しみ方は一般的な読み方からは外れていて、うまい言い方が思いつかないが、他の作家で例えるなら、シェイクスピアを読むようにドストエフスキーを読んでいる気がする。いわゆる「サウンド・アンド・フューリー」すなわち「響きと怒り」として読んでいるときのほうが個人的には楽しめている。 ドストエフスキーをロシア文学の正統の潮流におかず、巨大なアウトサイダーに配置する考え方は近年ではもはや一般的だ。ドストエフスキーは西洋を毛嫌いし、ロシア

          ドストエフスキーについての所感

          書くこと、読むこと、話すこと、

          何かを書くときはできるだけ本とか辞書を開かないようにしている。書くために適当な言葉を寄せ集めるような作業に集中してしまうと、とたんに内容が薄っぺらく感じられるからだ。なんというか、そうやって書かれた言葉は、精彩を欠いているように思われるのである。適当な引用や表現の借用は、表面的で凄みがない、そんな気がする。正確さを期すためなら仕方がないと思えるが、それでもwikipediaの文章を読まされているようで退屈な気分になる。私は怠惰な読み手なので、そういう厳格な文章をすっ飛ばしがち

          書くこと、読むこと、話すこと、

          チョコバナナ作ったぞ、手がチョコまみれになつた。屋台で売ってるやつみたいな綺麗なチョコバナナにしたかったけど、難しい ひとつ分かったのは割り箸を刺すとバナナが裂けちゃうってことだった、チョコバナナの奥は深い

          チョコバナナ作ったぞ、手がチョコまみれになつた。屋台で売ってるやつみたいな綺麗なチョコバナナにしたかったけど、難しい ひとつ分かったのは割り箸を刺すとバナナが裂けちゃうってことだった、チョコバナナの奥は深い

          文学と聖なるもの

          ミサに行くと聖別されたパンをもらいます。これは聖体拝領といって、パンはキリストの体であり、水で薄められたぶどう酒はキリストの血であると信じられています。信徒たちはぶどう酒に浸したパンを口にする。こうして信徒は実体化したキリストの体を食べることになります。 これだけ聞くとなんだかカニバリズムのような気配がしてきます。話が逸れますが、キリスト教の聖者の身体の扱いについてはけっこうバイオレンスな部分があってなかなか面白い、興味がある人は調べてみるとよいかもしれません。トマス・アク

          文学と聖なるもの

          Chromebookの哲学

          当方はChromebookをよく使う。だいたいのことはChromebookで済んでしまうからだ。GoogleにはChromeブラウザで使える自前のオフィススイートがあるし、Chromebookはフルブラウザ版のChromeが使える(というよりそれしか使えない)ので、noteの執筆も快適にできる。YouTubeで動画を観る、Netflixで映画鑑賞する、Kindleで読書もできる、キーボードがあるからテクストの作業もちょちょいのちょい、身軽な機種が多いのでネットワークさえあれば

          Chromebookの哲学

          シモーヌ・ヴェイユにはもっと長生きしてほしかった。もっと生きてくれていたらどんな地平を見せてくれたのか気になる

          シモーヌ・ヴェイユにはもっと長生きしてほしかった。もっと生きてくれていたらどんな地平を見せてくれたのか気になる

          宗教は必要か?

          今の時代に「宗教って必要か?」と思う人はけっこう多いと思う。何年か前、ユヴァル・ノア・ハラリの『21 Lessons』を読んでたいへん面白かったので友人に薦めたところ、目次の8章と13章に書かれていた「宗教」「神」という文字を読んで辟易した様子で「俺はいい、読まない」と言って断られてしまった。彼曰く、宗教とか神とかいうのが胡散臭くて読む気になれない、拒否反応が出るのだという。読んでみれば分かるが、この本に書かれている宗教や神についての話題は、カルト的なものとはまったく無関係で

          宗教は必要か?

          善いもの、綺麗なもの、美しいものを見れた日はもうそれだけで良い日だ

          善いもの、綺麗なもの、美しいものを見れた日はもうそれだけで良い日だ

          生命の形

          今日、友人と「Detroit: Become Human」というゲームの話をした。人型汎用ロボット、つまりアンドロイドが実用化された時代を描いた近未来SFのアドベンチャーゲームで、こういう設定にありがちな、感情を持ったアンドロイドたちの群像を描いている。人々はアンドロイドの登場によってより便利な生活を送っているわけだが、アンドロイドのせいで雇用を奪われた人々によって反アンドロイドの運動も起きており、過激派のなかにはアンドロイドを襲撃する人も出てくる。それに加え、何らかの原因で

          チェーホフと悲しみ

          アントン・チェーホフはロシア最大の劇作家の一人であり、『かもめ』『三人姉妹』『ワーニャ伯父さん』『桜の園』の四大喜劇を残したことでも知られていますが、彼の仕事の多くは当時のロシア民衆の百科事典のような短編小説郡によって構成されています。 モスクワ大学医学部を卒業した彼は小さな田舎の郡会医の助手になり、やがて自宅で診察を行うようになるのですが、この頃から人々への細かい観察の富が蓄積され始めます。彼の作品に登場するチェーホフ的な小市民のコレクションはこうした形でその土台を築きま

          チェーホフと悲しみ

          ヴィーガンについて

          《ヴィーガン》という人々がいる。 ヴィーガンの人々が持っている思想を否定するつもりは全くない。むしろ私は肯定派である。  先日twitterで、とあるヴィーガンがチートデイを満喫している旨のツイートをして炎上した。たしかに少々鼻につく文言(「この達成感はヴィーガンの人にしか分からないんだろうな」とか)があったので炎上して当然とも思える内容だったが…… 残念なことにSNS界隈で「自分はヴィーガンです」と表明している人はやや煙たがられる傾向にある。たぶん人前でこれ見よがしに

          ヴィーガンについて

          散文詩『回転』

          この構造は無数の部品と歯車でできている、 その全貌を見ることは誰にもできない。 なぜなら静かに動き続けるその不気味な機械は 宇宙の端から端までを埋め尽くしているからだ。 自分がいる場所以外は無表情な機械たちに 取り囲まれているために身動きすらできない。 すり潰されそうになりながら、 許される範囲で視線を動かし、 自分が置かれている状況を把握しようとするが、 歯車たちは黙りこくったままだ。 だからその機械が何を目的として動いているのかすら分からないし、 実はワレワレ自身がその歯

          散文詩『回転』