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私のこと分かってくれる人ひとりでもいたらいいやって言うセリフって、もう肯定者ひとりは確実にいるっていう状況から生まれる言葉だと思うんです

他人から私に「変だね」とか「変わってるね」って悪口いうのはオッケーなのに、私が他人に「わたし変わってるみたいなんですけど」って言うのはなんかダメみたいな風潮なんなんですかね
わざわざ自己紹介しといてやるかーーって親切に言ってあげるためのことばだったりあんまり私に関わらないでくださいっていう牽制であったり自己防衛本能の象徴ともいえるような言葉だと思うんですよね
スーパー自己意識高い自己肯定能力レベルマックスみたいな人間と私って真夏のデンジャラスマッチであれば圧倒的な勝ち負けが決まるような関係ですよ、もしくはクラスマッチとか重量級マッチとかだと闘うことすら出来ない関係ですよ

自分の正義とか意欲とか考えを100の力でドッチボール始められても避けるか当たって外野に出るかの二択しかなくて、なにより勝ちたいとか思わないですよね。私のこと分かってくれる人ひとりでも居たらいいやって言うセリフって、一人居るっていう状況から生まれる言葉だと思うんです
圧倒的孤独を抱えてる人間っていうのは
「あ、私分かって貰おうとか思ってないんで。聞かれたら答えるし伝えるけど貴方の中に入りたいなんて一ミリたりとも思っていませんのですみません」ということも伝えるのが面倒くさいから『すみません』に要約して生きてるんです

社会的弱者の叫びとして伝えたいけど

メンヘラって言われたら
あんたの勝手だからいいよ、許しちゃう!でもこんな可愛いメンヘラいねーよって思うし
エゴの塊だよねって言われても
あー、そういう風に受け取ってくれたんだセンキューって思えるし(何故なら解釈は人それぞれだし私の考えがエゴであると私自身もわかってるしエゴだから一人でやってんだくそやろーってなる)
ごめん、理解できないって言われても
そりゃそうでしょうよ!!!って思うけど
孤独と一人は違いますよとかマジレスぶっ込まれると、は??ってなっちゃうんですよね
きもちわりいーーってなっちゃうんですよね
だってさ君たちだって君たちの世界があってその主人公が君なわけじゃないですか。
でもそういうこと押しつけられた瞬間に、今まで創ってきたわたしの世界の主人公が一瞬そいつに乗っとられるわけですよ
「◯◯と△△は違いますよー!もっとちゃんと人のこと考えろよー!きもちわりーぞ!」って政治交代されちゃうわけですよ
それで一旦会話はキャッチボールなんで返さなきゃいけないでしょ?それで自分の考えを答えとして返すんですよ 
それなのに『いや、わたしは私の意見伝えたまでなので』っていきなりボール受け取らないんですよ
いや、怖っ、怖すぎない?ってなっちゃう

私は普通の仕事している瞬間は世間からなんもヘンテコな偏見持たれてその眼鏡で見られることってないんです、だけど一瞬でも画用紙とペンもったら変になっちゃうみたいなんです
社会から変わっている人ってレッテルを貼られちゃうみたいです。
会社でパソコンしてるときは普通の人らしいし通勤時間YouTubeみてる時間も普通の人なのに
こうやって日記書いてるときとかこんなんやりたいなーってもの考えてるときとか作品創ってるときは変な人ってなるみたいなんですよね、世間が勝手にそう見てるだけなんですけど。
変じゃないですか?全部同じ人間ですよね?ってなるんです。怖っ、ってなるんです
穏やかで怒んないよねっていわれた48秒後破天荒だねっていわれたら自己審議入っちゃうでしょ?自分自身だけの会議始まっちゃうでしょ?怖っ、、、ってシンプルになるんですよ。そういうやつだよほんと
いやになっちゃうよねー地球って
地球とかいったらダメか。日本しかいたことないし。ごめん地球。悪いのはわたしかもだ